「――ヴァーサスよ。そういえばお前はナーリッジに知り合いなどはいないのか?」
それは、今まで話題に上らなかったのが不思議な問いだった。
三人で小さなテーブルを囲む静かな夜。
門の隣に自分用の豪華な屋敷のようなものを建築した黒姫も、こうして食事の際は押しかけてきて三人で食卓を囲むのが日常となっていた。
「うむ! いないな!」
「ふむ……ならば両親や育ての親に当たるような人物は?」
「ちょ……ちょっと黒姫さん……!」
「いない! 俺はずっと一人だった! 自分でも良く死ななかったと褒めてやりたいところだ! ハッハッハ!」
そう言って笑みを浮かべて笑うヴァーサス。本人はさらっと言っているが、これは相当なことだ。
実は、このヴァーサスの過去についてリドルは出会った当初から深く踏み込まないようにしていた。ナーリッジが生まれ故郷であること、十年間修行の旅をしていたこと以外、リドルはヴァーサスの過去について何も知らない。
ヴァーサスに姓はない。これは既に大陸で文明の及んでいる地域のほぼ全ての人が姓を持っているこの世界において、それだけで親無しであることを意味していた。さらに生まれ故郷だというのにヴァーサスは一度も自分からナーリッジに行こうとも言わなかったし、誰かを尋ねることも、誰かがヴァーサスを尋ねてくることも無かった。
リドルは出会ってすぐにそういったヴァーサスの事情を察し、その過去に触れることを止めていたのだ。
「ヴァーサスはそんな笑ってますけど…………きっとすごく大変だったんじゃないですか? 私、そう思って今まで聞かないようにしてたんですけど……」
「大変……大変か…………。たしかにクルセイダスに助けられたあの日までは、自分でもなかなかにどうやって生きていたのかよくわからん。どうもあまり当時のことを覚えていないのだ! 困ったものだな!」
「……当時は五歳だったか? そのくらいの歳なら覚えていなくても無理もないことよ。五歳のヴァーサスか……ククッ。悪くない……! 悪くないぞッ!」
「いやいやいや……やっぱりそれって洒落になってないですよ。覚えてられないくらい大変だったってことじゃないですか……少年ヴァーサス君がかわいそうですよ……」
突如として興奮が頂点に達した黒姫が椅子から立ち上がり、邪悪なオーラを立ち上らせて笑い声を上げる。反対にリドルはやはりという表情でヴァーサスを見つめ、心を痛めていた。
「ありがとうリドル! しかしたとえどのような過去だったとしても、俺はこうして君と出会い、立派に憧れの門番になっている! これ以上ない最高の今だ! なにも問題は無い! ハッハッハ!」
「ヴァーサス…………」
そう言って満足そうに笑うヴァーサス。
だがリドルはそんなヴァーサスの笑みに、どこか儚いものを感じていた。そして、たとえようもない不安も――――。
実は、それはヴァーサスと出会ってからずっとリドルが感じていた違和感だった。
こんなにも力強いのに。
こんなにも暖かく目の前で自分のことを見つめてくれているのに。
どこか、まるで精巧なガラス細工を見ているかのような儚さを感じるときがある。
目を離した次の瞬間には、ヴァーサスの存在そのものが跡形も無く消えているんじゃないかという、どうしようもない不安――――。
リドルの中でヴァーサスという存在が占める割合が大きくなればなるほど、その不安もまた、日増しに大きくなっていた。大切な存在だからこそ感じる不安かとも最初は思ったが、それは黒姫の出現とその際に黒姫が発した言葉で決定的なしこりとしてリドルの胸中に残り続けていた。
――――いないのだ! あれから万を超える次元を探したが、ヴァーサスはどこにもいなかったのだ!――――
ヴァーサスは、ここにしか居ない――――。
リドルも門と融合する際に見た、数え切れないほどの可能性の世界。
その無数に存在する世界で、ここにしかヴァーサスが居ないなど、そんなことが本当にあり得るのだろうか。
そんな心配など微塵も感じさせない、満足そうな笑い声を上げるヴァーサスに困ったような微笑みを向けながらも、リドルはそんな自分の中の危惧が、もはや無視できないレベルまで大きくなっていることを感じていた――――。
● ● ●
「タイムリープ……ですか?」
「……そうだ。実は私も夕べの会話の後少し気になってな……歴史改変して五歳児のヴァーサスを我が物にッ…………いや、少しヴァーサスの過去を確認しようと時間跳躍を試みてみたのだ」
「おもいっきり欲望たれ流されてるじゃないですかっ!? 歴史改変は犯罪! タイムパトロールに捕まって臭い飯を食べることになっても知りませんよっ!?」
――――それから一夜明け。
ヴァーサスが今日も元気に門番活動に勤しみ始めたのを確認した黒姫は、リドルを宅配業用の倉庫の中へと呼び出した。
そしてこう切り出したのだ。「二人でヴァーサスの過去を見に行こう」と。
「クハハハッ! バレたのならば仕方ない! しかしな、実は私一人の門の力ではヴァーサスの過去の時間軸に跳べなかったのだ。修業時代の十年はともかく、ヴァーサスが言う五歳前後の時空間だけ完全に封じられている――――この意味がわかるか?」
「封じられているって……そんなの、偶然で起こる事じゃ……」
「そうだ――これは何者かが意図的にヴァーサスの過去に手を出すことを禁じている。我が門の力をもってしても突破できぬ時空領域など見たことがない。ならばここは次元の破壊者の名にかけて、なにがなんでも見てやろうと思ってな!」
「そ、そうですか……そうなんですね…………」
黒姫の持ちかけたその話に、リドルは我知らずに自身の胸を強く押さえた。
自身の鼓動が大きくなるのを感じた。今すぐ門の前に立つヴァーサスの姿が見たかった。その熱いほどの温もりを抱きしめて確かめたかった。
「ん? どうした白姫。貴様は気にならんのか? 一つの門では無理だったが、私と白姫、二つの門の力を合わせればおそらく突破できるだろう。二人で見に行こうではないか! 五歳児のショタヴァーサスを! きっと可愛いに違いない!」
「私は…………」
逡巡するリドル。
出会ってから今まで、ずっと無意識に、そして意識してからも避け続け、触れることが出来なかったヴァーサスの過去。それを知ることが本当に二人の未来に繋がるのかがわからなかった。不安だった。
だが――――。
「わかりました。行きましょう黒姫さん。でも歴史改変とかそういうのは無しです。ただ見るだけ、知るだけです。それでもいいですか?」
「むう……わかった。残念だがその条件は受け入れざるを得ぬな……だが心配せずとも、おそらく二人の門の力を合わせても見るのが精一杯だろう。それほど強力な領域だ」
黒姫の言葉に頷くリドル。
リドルは決断した。もしこれから先ヴァーサスの身に何かあったとき、自分がなにもできないのが嫌だった。知っていれば、わかっていれば避けられたかもしれない悲劇を招くのが嫌だった。
自分に何か出来ることがあるのなら、例えそれがどんなことでもヴァーサスの力になりたかった。そのために、リドルはヴァーサスの過去に跳ぶことを決断した。
「では早速行くとしよう。ヴァーサス本人には伝えることも止めておいた方が良い。本人の自覚と干渉は碌な事にならんのだ」
「わかりました」
差し出された黒姫の手を取るリドル。
薄暗い倉庫の中、二人のリドルの赤い瞳が輝き、白と黒に輝く二つの門をその場に展開する。
「(ごめんなさいヴァーサス……ちょっとだけ待っててくださいね……少しだけ見て、すぐに戻ってきて、またいっぱいあなたとお話しますから……)」
リドルはその心の中で祈るように呟くと、重なり合った門の向こうへと消えた――――。
門番VSタイムリープ――開戦。
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