歌は止んだ。
戦いは終わり、崩壊した礼拝堂が再び静寂に包まれる。
「――――あ」
歌を終えたメルトの輝きが消え、それと同時に足下からがっくりと崩れ落ちそうになる。しかし、そんなメルトの肩をヘルズガルドが抱き支えた。
「すまねぇ。無理させちまった」
「――――ううん。クラウスが無事で良かった」
自らを抱き留めたクラウスの横顔に、衰弱した様子で弱々しく笑みを浮かべるメルト。通常、メルトは歌うことでこのような状態になることはない。しかしヘルズガルドの為だけを想い、彼だけに歌の力を集中した際の消耗は尋常ではなかった。
メルトは、このまま数日は休まなければ回復しないであろうレベルに疲労していた。このような状態になるゆえに、ヘルズガルドは自身の強化のためにメルトが歌うことを良しとしていなかった。先のアッシュとの戦いは、それほどまでに追い詰められた状況だったのだ。
『く……力、及ばずですか……俺の完敗ですね……』
そんな二人から離れた場所で、アッシュが肩口から大きく切り裂かれた傷口を押さえ、倒れたまま呻き声を上げた。ヘルズガルドはそっとメルトを壁際に座らせると、大剣を抜き、油断なくアッシュへと歩みを進めていく――――。
「おい……なんでメルトを狙わなかった?」
開口一番。ヘルズガルドから発せられたのはアッシュへの問いだった。
アッシュの傷口からは鮮血の代わりに光の粒子が溢れていた。最後の一撃、ヘルズガルドはこの問いをするためにあえてアッシュの命を奪わず、戦闘不能に留めていた。
『はっは……俺がそんな三下ムーブするような雑魚に見えますか? これでも世界最強って呼ばれてたこともあるんですよ。貴方たちが二人で一人だというのなら、俺は万全の貴方たちを越えて勝利する。それでこそイケメンな俺ですからね』
「ケッ……めんどくせぇ野郎だ。メルトを狙わなかった分で命までは取らねぇが、てめぇには色々喋って貰うぜ? ここに居た奴らの借りだって返して貰ってねぇんだからな」
ヘルズガルドは刀身を失った大剣の切っ先をアッシュへと向けると、腰に備えられた革袋から特殊な縄を取り出す。これは聖域で任に当たる門番や衛兵であれば全員が支給される捕縛装備だ。
『――――ああ。それには及びません。俺はもうすぐ消えます。任務に失敗したら、そうなるように作られてるんです』
「なんだと?」
瞬間、アッシュの肉体が輝きを増した。傷口を中心として光の粒子の流出が増し、その体がみるみるうちに透けて、存在が希薄化していく。
『――――でも、そうですね。最後に教えてあげましょう』
消えゆくアッシュはそう言ってヘルズガルドに爽やかな笑みを浮かべると、左手の指をびしっと顔の前で立てる。
『今頃、貴方たち以外の門番も襲われていますよ。それと、俺は仲間の中では弱い方です。見たとおり身軽なんで、雑用させられてますけどね!』
「くそがっ! まためんどくせぇことを――――!」
その言葉にヘルズガルドの顔色が変わる。なぜ聖域内でこれほどの戦いが発生しているにも関わらず、自分達と同じくこの場に居るはずの彼女の障壁は展開されていないのか。アッシュとの限界を超えた死闘で見落としていた異様な現状に、ヘルズガルドは焦りの表情を見せる。
『今回の俺はここまでですけど、ヘルズガルドさん、メルトさん。個人的には俺はお二人を応援していますよ! かなり厳しいと思いますけど、どうかせいぜい頑張ってください! さようなら!』
アッシュは最後まではつらつとした様子で二人に声援を送ると、そのまま一切の痕跡を残さずに消滅した――――。
アッシュの最後を見届けたヘルズガルドは舌打ちすると、大剣を収めて踵を返し、メルトの傍に片膝をついて彼女の様子を確認する。
「――――メルトにこれ以上無理はさせられねぇ……今のあいつが弱いだと? ふざけやがって、どんだけめんどくせぇんだよ……ッ!」
「クラウス……あの人が言ってることがほんとなら、きっとダストベリーさんも……まだ、私も歌えるから……早く、行かなきゃ……っ」
「だめだ。お前にはもう歌わせねぇ。つっても、お前を一人にもしねぇ。とりあえず戻るぞ」
ヘルズガルドはそう言ってメルトを片手で抱え上げると、そのまま崩落した礼拝堂を後にした――――。
● ● ●
デイガロス帝国、帝都ディガイロン。謁見の間――――。
『これはこれは。ドレス皇帝陛下におかれましては、ご機嫌麗しゅう――――』
「――――おかしいですね。この時間に陛下への謁見は予定されておりませんが」
「な、なによあんた!? どうやってここまで!?」
「……二人は下がっているんだ。どうやら、彼の目当ては僕のようだからね」
荘厳な石柱が連なった広大なホールの正面。壇の上の玉座に座る門番皇帝ドレスと、その横に控えるカムイの前で、漆黒の法衣を纏った騎士が恭しく片膝を突いた。
『我が名はアルゴナート・アライサム。あの方に忠誠を誓った筆頭騎士。本日は陛下のお命を頂戴しにやって参りました。どうか、ご無礼をお許し下さい――――』
アルゴナートと名乗った騎士は淀みなく、恐れなく言い切ると、周囲を歪める禍々しい領域を放つ漆黒の長剣を静かに抜き放った――――。
● ● ●
「――――シオン、アブソリュートの出撃準備完了。いつでもいける」
「こちらでも確認した。アブソリュート、シオン・クロスレイジ。出るぞ」
漆黒の闇の中。上下左右に四列の光のラインが伸び、スラスター直下に炎輪を形成した蒼い魔導甲冑――――アブソリュートがライン上を滑るように加速する。
一瞬で音速を超える速度まで達したアブソリュートが闇の中を抜け、空中に浮遊する巨大な機械の船から射出される。
「ターゲットのデータは限られてる。何もさせずに一気に決めるか、データの集積を待ってから倒すか。いずれにしろ、中途半端はやめて」
「了解だ」
そしてそのアブソリュートが向かう先。そこは広大なジャングルが広がる密林地帯。そこには巨大な人影――――否、アブソリュートを二回りほど上回る、巨大な魔導甲冑が待ち構えていた。
『――――逃げずに応じたか! このゴッドライジンの相手として不足無し!』
「――――付き合うのはここまでだ。後は俺の流儀でやらせてもらう」
『異論ない! それは俺とて同じことぉおおおお!』
ゴッドライジンと名乗ったその巨躯は、両肩と両膝のドリルを高速回転させると、全てを打ち砕く決意を溢れさせながら、挑みかかるようなポーズを取るのであった――――。
● ● ●
『ふぅ……参った。こういうのはいつまで経っても慣れないな……おい嬢ちゃん、これだけやられてまだやるつもりか?』
「……く……っ……う……」
ナーリッジ郊外。穏やかな風が吹き抜ける草原の上。
しかし今、その草原は無数のクレーターによって無残に破壊され、恐るべき衝撃によって散々に荒れ果てていた。
そしてその無数のクレーターのうちの一つ。最も凄絶な衝撃を受けたであろうその場所の中心に、全身傷だらけとなったミズハが倒れていた――――。
『このまま嬢ちゃんを殺しちまっても良いんだが……正直、俺はそういうのは趣味じゃあないんだ』
無精ひげに焦げ茶色のトレンチコート。見慣れない帽子を深々と被った壮年の男。
男はコートの下からなにやら小さな箱を取り出すと、そこから取り出した棒を口に咥え、指を鳴らして火をつける。尖端に火のついた棒から紫煙が立ち上り、それが煙草の類いであることを見る者に教えた。
「く……あな……たは……いったい……っ」
既に、ミズハの全身は立ち上がれぬほどに傷ついていた。
もはや刀を握ることすら覚束ない。どんなに気力を振り絞ってみても、身体機能が失われていては動かすことはできない。ミズハはこの目の前の男との戦いで、両手両足の骨を破壊されていたのだ。
『俺か――――そういやまだ名乗ってなかったな。俺はクロガネってもんだ。普段は街の揉め後を解決して――――いや、それはもう昔の話だったな――――』
クロガネと名乗った男は忌々しげに首を振ると、深く吸い込んだ煙草の煙を一息にはき出す。そして再びクレーターの下でうめくミズハに向かい、言葉を投げかけた。
『なあ、嬢ちゃん達はこの世界で門番ってのをやってるんだろ? 相談なんだが、あんたがその門番ってのを辞めてくれれば、恐らく俺はあんたを殺さなくて済む。どうだ? 命は一つ、だが仕事はいくらでもある。嬢ちゃんほどの器量と腕なら今の仕事以外にも色々選べるだろ?』
「なに……を……っ!」
『いや、いきなり出てきてボコボコにされた挙げ句、今の仕事を辞めろとか言われて怒るのは当然だ。だから今すぐじゃなくていい。答えは暫く待つ。だから――――』
「――――貴様。ミズハに随分なことをしてくれたな」
瞬間。ミズハの体を凄絶な光が包み込んだ。
その光は暖かく、どこまでも慈悲深い。折れたミズハの手足が一瞬で治癒され、全身に負った傷も全てが跡形もなく消滅する。そしてそれと同時、ミズハの倒れていたクレーターの直上に、巨大な蛇に似た半身を持った上位存在が出現した。
「れ、レゴッチさん――――!」
『やれやれ……こいつはまたエライのが出てきやがったな……どうなってやがるんだこの世界は?』
「――――異界からの使徒よ。残されたこの世界の創造者として、そしてミズハの配信応援ランキング一位として――――それ以上の無法はこの創造神レゴスが許さぬと知れ」
絶体絶命のミズハの危機を救った者。それは創造神レゴス。
ミズハをして手も足も出なかった異界からの使徒――――クロガネの前に、この世界に残された最後の上位神が今、立ち塞がったのである――――。
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