夏である。
大陸でも西の端に位置するナーリッジは、海から吹く季節風の影響を大きく受ける。そのためか大陸の中でも季節毎の気候の移り変わりがはっきりとしており、冬になれば寒く、夏になれば暑かった。
湿度はそれほど高くないのが幸いだったが、降り注ぐ夏の日差しは常に門の前に立つ門番という役職にとっては大問題だ。
今日もリドルが管理する巨大な門の前に立つヴァーサス。
リドルの設置してくれた日除けがあるとは言え、今の彼はさらにかわいらしいピンク色のリボンがついた麦わら帽子を被り、首に手ぬぐいをぶら下げて流れ落ちる汗を何度も拭っていた。
その背中にリドルと黒姫をくっつけながら。
「くんかくんか……むふふ……もう離しませんよ……っ」
「あああああ! ヴァーサスぅぅぅぅ! 絶対に私が幸せにしてやる!」
「ど、どうしてこうなった……!? 二人とも、昨日から一体どうしたというのだ!?」
● ● ●
封印されたヴァーサスの過去。二つの門の力を合わせ、その先にあった出来事を知ったリドルと黒姫は、戻ってからも暫くの間呆然と立ち尽くしていた。
それほどの出来事だった。とてもすぐに整理できるような内容ではなかった。
しかし、そんな二人を心配して様子を見に来たのがヴァーサスだった。
「二人とも大丈夫か? 倉庫に入ったっきり気配が感じられなかったので心配して見に来たのだが…………泣いて、いるのか……?」
「ヴァー……サス……っ」
先ほどまで、リドルの腰の高さまであるかないかという大きさだったヴァーサス。
儚く、今にも消えそうだったヴァーサス。
そして、父と母に願いを託され、こうして自分と巡り会ってくれたヴァーサス。
あのとき、楽しそうに笑いながら夜のナーリッジに向かって一人駆けていったあの小さなヴァーサスが、今こんなにも頼もしくなって自分の傍にいる――。
もう駄目だった。
リドルと黒姫は自分たちを心配するヴァーサスの胸に飛びつくと、大声で泣いた。
そしてそんな二人に何も言わず、ヴァーサスはただ二人の肩に手を置いて気の済むまでそうさせた――。
その日はそれで終わった。
その日の晩は狭い二つのベッドを無理矢理並べ、ヴァーサスを抱き枕にして三人で眠った。この日ばかりはリドルも何も言わなかった。
――――そして、その続きが今のこの有様である。
「うむ! さすがにこの暑さの中で三人固まるというのは、き、厳しいな……っ!」
「もう門番活動とかいいじゃないですかぁ……今日はもう門番活動おしまい! あとは黒姫さんの大きな部屋でひっついてだらだらしちゃいましょうよぅ……」
「あああああ! 素晴らしい考えだ白姫! 私の部屋なら三人寝ても大丈夫なベッドもある! 今すぐ向かうぞヴァーサス!」
「め、目を覚ませ二人とも! リドルだって宅配の仕事があるだろう!? 君の宅配業者としての誇りはどこに行ってしまったのだ!?」
まるで夏の暑さなど関係ないとばかりに、ぴったりと隙間無くヴァーサスに身を寄せるリドルと黒姫。
実際、二人にはこの暑さもあまり関係がなかった。二人は門の力で適度に領域を展開し、太陽から降り注ぐ熱を自分に快適なようにコントロールしていたからだ。つまり暑いのはヴァーサスだけだった。
「そう言われましても……大体依頼されたら翌日配達なんていうシステム自体無茶なんです! 完全にブラック企業! 私だってたまには一日中ヴァーサスにくっついてたい日だってありますよ!」
「その通りだ! 下界の者共の声など放っておけば良い! そもそも宇宙すら容易く吹き飛ばせる我ら二人が力を合わせれば、宅配の百個や二百個どうということはない!」
「翌日配達にすれば大もうけできると言って始めたのはリドルだったではないか……。本当に一体何があったのだ……」
そんな二人の様子に大きなため息をつくヴァーサス。だが実のところ、二人の様子は昨日と同じように見えて同じではなかった。
確かに昨日過去から戻ってきた時点では感情が暴走し、溢れ出る想いを抑えきれなかった二人だったが、今は違う。今二人の脳裏に浮かんでいるもの。それは――。
『――そんなお前が恐れるのがこの子だ! お前はこんな子供一人に怯え、恐れおののいている! 全ての次元からその存在を消さねば夜も眠れぬほどに!――』
そう、父クルセイダスが反転者と呼ばれる強大な存在に対して発したあの言葉――。
リドルも黒姫も、あの言葉の意味に思考を巡らせていた。
反転者はまだなんの力もない無力なヴァーサスを、あらゆる次元から抹消しようとするほどに恐れていた。その結果ヴァーサスの因果は五歳時点での消滅へと収束し、なにもされていないにも関わらず存在が希薄化するほどの影響を受けていた。
そして二人の父クルセイダスは、そんなヴァーサスを守ろうとしていた。ヴァーサスを希望と呼び、自分の命を賭けて反転者から守り抜いた。
一体ヴァーサスは何者なのか。過去の時間軸に跳んでこの目で見たにもかかわらず、結果としてその謎は更に深くなったのだ。
今になって思えば、エルシエルと対話できたあの瞬間に聞いておけばとも考えるが、あのときのリドルと黒姫の感情状態で、残された僅かな時間にそれを行うのは不可能に近かった。
更に――――。
「(さっき確認しましたが……あの時間軸への跳躍はもう無理でした……まるで、そこだけがぽっかりと消えているような、誰かがあの光景を見たら、自動的にそこだけ消えるように、あらかじめ仕掛けられていたような……)」
もうあの時間軸に再び跳ぶことはできない。
エルシエルが仕掛けていたであろう領域の力によって、すでに目に目えぬ範囲に隠されてしまった――。
ヴァーサスの正体についての謎は深まった。そしてそれによって発生する二人の心の不安が、今こうしてヴァーサスから離れられない症候群の発症へと繋がっていた。
「ふふっ……汗をかいたヴァーサスの匂いもなんだか癖になってきましたよ……くんかくんか……むふふ……っ」
「ぐ、ぐわー!? 本当にどうしたのだリドル! 早く正気にもどってくれっ!」
「私はいつだって正気なのだ! 正気でヴァーサスを求めている! くんかくんか……むふふ……っ」
「ぬわー! こ、このままでは俺たちの生活その他諸々が危うい気がするのだが!?」
二人のリドルに抱きつかれ、悶絶するヴァーサス。しかしその時、そんなヴァーサスの叫びが天に届いたのか、三人に呼びかける声が響いた――――。
「……お、お取り込み中すみません……デス」
「――っ!? き、君は!?」
その声の主――――白いローブに身を包んだ、気弱そうな少年。かつて、門番ランク叙任式の際にやってきた門番皇帝ドレスの遣い、シロテンである。
まさに天からの助けとばかりにシロテンに反応したヴァーサスだったが、リドルと黒姫はくんかくんかするので忙しく、シロテンの来訪にも気づかない有様。どうしてこうなった。
「お忙しいようであれば、終わるまで待ちますか? ――です」
「い、いや……大丈夫だ……! というか、終わらぬのだ……! なので、このまま用件を教えてくれっ」
「あ、はい……! こちらです。皇帝陛下から、門番テストのお知らせ……デス」
「も、門番テスト……だと!?」
シロテンから差し出された羊皮紙を四苦八苦しながら開いて中身を確認するヴァーサス。暑さによるものではない、嫌な予感からくる汗がヴァーサスの額をつつーっと流れ落ちていく。
そう、門番テスト。
それは、大陸中の門番が一年に一度その適正の確認のために受けることになっている試験。試験内容は毎年更新され、常に最新の門番に求められる様々な要素が課題として提出される――――。
「な……なんということだ……っ! 俺は、俺はまたアレと闘わなければならないのかっ!?」
中身を確認したヴァーサスの手から、静かに羊皮紙が落ちる。
広げられた羊皮紙に書かれた、課題一覧の項目。そこには――――。
【歌唱力テスト】
【ダンステスト】
【トークテスト】
【学力テスト】
などの文字がつらつらと並んでいた――――。
二人のリドルをその身にくっつけたまま、がっくりと地面に膝を突くヴァーサス。
かつて、後に次元超越者にまで至ることになるヴァーサスを敗北寸前まで追い詰めた最強の敵が、今再びヴァーサスの前に立ちはだかったのであった――――。
門番VS門番テスト――――開戦。
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