「お名前……ですか?」
「はい……私の名前を、貴方達から頂きたいのです……この世界を捨てず、ここに留まる者として……そして、貴方達に教えて貰ったことを決して忘れないように……」
それは、名も無き神と呼ばれ続けていた存在の切なる願いだった。
あの戦いの最終局面。ヴァーサスの因果生滅の炎によって虚無の闇から救われた名も無き神は、心からの謝罪の後に、二人に対してそう語った。
本来、名も無き神となった神々の願いはこの宇宙から別宇宙への逃避。
しかし、かつての創造神レゴスがそうだったように、もはや今の彼にそのような願望はない。
ただ自らを追い詰めた門番達への憎悪があり、それすらも溶けて消えた今。名も無き神は、再びこの世界で生きる一つの意思として、この地に留まることを決めていた。
ヴァーサスとミズハに頼んだその願いは、名も無き神がこの宇宙と共に生きるための、大きな一歩でもあったのだ。
「うむ……名前か。ならばミズハ、君が何か良い名前をつけてあげるといい。残念だが、俺はそういったセンスがあまりないようなのでな! はっはっは!」
「はいっ! わかりました、師匠っ!」
全てが凪いだ新たなるエントロピーの領域。
ミズハは自身の目の前でただ一つの輝きとなって浮かぶ生まれたばかりの存在をまっすぐに見据え、そしてそっとその小さな手を添える。
そしてその瞳を閉じて暫く沈思黙考すると、一つ頷いて再びその瞳を開いた。
「コトノハ……コトノハ様というお名前は如何でしょうか……?」
「コトノハ……?」
「はい。今で言う言葉の古い言い回しなのですが……」
ミズハは少しだけはにかんだ笑みを浮かべると、手を添えた輝きに思いを乗せて聞かせる。
「私達が最初に出会った時。その時はお互いに言葉を交すことなく、刃を交えることしか出来ませんでした。それはどちらが悪いということではなく、ただとても不幸なことだったと思うんです……でも、それから時を置いて、今の私達はこうして言葉でわかり合うことが出来た……私は、それが凄く素敵だなって……そう思ったんです」
「うむ……! そうだな、ミズハの言う通りだ!」
「コトノハ……私の名前は、コトノハ……」
「あっ! でも、もし嫌だったら仰って下さいねっ! それでしたら、もっと他のお名前を――――」
「いいえ……とても嬉しいです。ありがとう、ミズハ。ありがとう、ヴァーサス……私は、貴方達からとても大切なことを教えられました……っ」
「おお!? 君の……コトノハ殿の姿が……!?」
するとどうだろう。ミズハによって新たなる名前を与えられた名も無き神――――新たにコトノハという名を得た生まれたばかりの輝きは、二人の目の前でその姿を変え、やがて小さな人型の輪郭を成していく。
それは黒く長い髪に銀色の瞳を持つ、小柄な体躯の少女の姿。
その華奢な体に薄衣を纏っただけの少女は、本当の意味での誕生を迎えた喜びからか、照れたような、しかしどこかミズハを思わせる可憐な笑みを二人に向けた。
「なんと……! ミズハとは明らかに違うが、雰囲気も姿もミズハにそっくりだ! ミズハの妹とでもいうような……!」
「ええっ!? どうしてそのようなお姿に……っ!?」
「え……っ? あれ……? あの……! その……わ、わかりません……私にも、どうしてミズハさんに似ているのか……コトノハという名前が私に重なった、そうしたら、この姿に……」
まるで、ミズハを手本として自我を成したかのようなコトノハの姿。
これには流石のミズハもヴァーサスも、共に驚きの声を上げる。
「はっはっは! これではまるでミズハが二人に増えたようだな! だがコトノハ殿よ、君の気持ちは俺にも分かる。ミズハは俺が知る中でもとても素晴らしい人間だ。きっと、コトノハ殿もそう感じたからこそミズハを手本としたのだろう!」
「っ!? し、師匠……っ!? わ、私はその……そんな……っ! まだ、色々と未熟で……っ!」
「も、申し訳ありません……っ! その……皆様にご迷惑がかかるようでしたら、また別の容姿になれるように努力して……」
「ええっ? いえ、そんな……! 迷惑なんて……その、ちょっとだけ恥ずかしいとは思いますけど……でも嬉しいですっ!」
「うむ! 君もこれから色々と大変なこともあるだろう。たとえ門に用がなくなっても、何か困ったことがあればいつでも俺達の所に来てくれ! 俺達が力になれることがあるのなら、いつでも君の力になろう!」
「はいっ……! ヴァーサスさん……! ミズハさん……! 本当に、ありがとう……!」
「こちらこそ! これからは一杯お話してくださいね、コトノハさんっ!」
「俺からもよろしく頼む! コトノハ殿!」
そう言って差し出されたヴァーサスとミズハの暖かな手。
コトノハという新たな名を与えられた生まれたばかりの少女は、初めは戸惑いながら――――しかしやがて安心したように微笑んで、二人の手をしっかりと握り返したのだった――――。
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