「ヴァーサス!?」
「――師匠!?」
「ギ……ギギギ……っ!」
塔最上層。
周囲一帯を凄絶な衝撃波が駆け抜け、あまりにも強い光が三人の視界を奪い取る。
二刀を緩やかに振り、傷だらけの体で最後の残心を行っていたミズハも、装置の横で座り込んでいたリドルも、そして全ての短剣を破壊され、忌々しげに地面へと倒れていたクロテンも、全員が一様にその光を見た。
迸る閃光はその輝きを徐々に弱める。
しかし光を中心として発生した猛烈な突風と、辺りに響く不気味な震動は収まらない。
「これ……絶対にまずいやつじゃないですか……! ミズハさん!」
「はいっ!」
「私はヴァーサスのところに行ってきます! クロテンさんと装置をお願いできますか!?」
言うが早いか、リドルは決意に満ちた瞳で立ち上がると、破壊された部屋の壁面に向かって駆け寄っていく。
「任せてください! でもリドルさんは一人で大丈夫なんですか!?」
「はい、どうやらクロテンさんの影響が消えたことで、私の力もまた使えるようになったみたいです。ミズハさんのおかげですね!」
「リドルさん……。どうか、お気をつけて」
「ミズハさんも!」
リドルとミズハは互いに笑みを浮かべ、静かに頷き合った。
次の瞬間リドルはその場から消え、残されたミズハは二刀を油断なく構えたまま、鳴動する天を仰いだ。
「師匠……リドルさん……。私も、いつかお二人のようになれるでしょうか? 絶対に、無事で戻ってきてくださいね……」
ミズハは呟き、心からの祈りを光の中に捧げた――。
● ● ●
「ヴァーサス! どこですか!? 返事をしてください、ヴァーサス!」
リドルが飛んだ先。
そこは荒れ狂う光と衝撃、そして全宇宙へと響き渡る次元震の中心。
今このときまであらゆる次元で発生したことのない、完全にイレギュラーな空間。
辿り着いたリドルが見たのは、まるでだまし絵のように空間にぽっかりと空いた巨大な裂け目だった。
その裂け目は目に見える立体的な映像の中にあって不気味なほどにのっぺりとした、二次元的な裂け目。
しかしその裂け目の周囲に存在する物質は次々とその概念を失い、まるで霞のように消えていく。
リドルにも確かな知識は存在しなかったが、この裂け目を放置すれば世界にとって致命的なことが起こることはすぐに理解できた。
「リドル! そちらはもう済んだのか!?」
「ああ……」
そんな破滅的な事態を前に愕然と立ち尽くすリドルの耳に、なによりも聞きたかった声が届いた。
声の方へと振り向いたリドルの目に、傷ついて倒れる皇帝ドレスの横で満面の笑みを浮かべて立つ、傷一つないヴァーサスの姿が飛び込んでくる。
「来てくれて助かった! 実は俺もこれをどうしたものかと困っていたのだ! 少々暴れすぎて――」
「――っ!」
リドルは何も言わず、次の瞬間にはヴァーサスの胸に飛び込んでいた。
「私との約束――破りましたね? 二度と無茶しないって約束したの、もう忘れたんですか?」
「ぬあっ!? そ、そうだった……本当にすまない……またやってしまった」
その言葉にあたふたと目をそらすヴァーサス。
リドルはヴァーサスの胸からゆっくりと顔を上げた。
そして、大粒の涙を浮かべた瞳でヴァーサスをじっと見つめた。
ヴァーサスの瞳は、いつのまにかリドルの透き通った紅い瞳だけを映していた。
「駄目です。もう許しません――」
瞬間――。
ヴァーサスを見上げたまま涙を零すリドルの微笑みが、彼の視界の全てになった。
どこまでも深い優しさと愛おしさを湛えた暖かな感触が、ヴァーサスの唇にそっと触れた――。
二人が触れ合っていたのは本当に僅かな、数秒のことだった。
だがそれは、二人にとって時が止まったかのように感じる永遠の一瞬だった――。
「……っ? り、リドル!?」
「――約束、破った罰です。これに懲りたら次からはちゃんと約束守ってくださいね。そうしたら、またしてあげます」
やがて二人の距離がゆっくりと開き、微笑むリドルを完全に真っ赤に染まった顔で見るヴァーサス。
リドルはそんなヴァーサスをからかうように、いたずらをした子供にも似た笑みを浮かべ、ヴァーサスの胸からぴょんと跳ねるようにして離れた。
「あとはこれをなんとかしないとですね! 互いに積もる話はあると思いますが、それは家に帰ってからにしましょう!」
「むぅ……い、今のは……まさか……しかし……?」
「ほらほら、いつまでもぼーっとしてないでしゃきっとしてください! 門番様! 出番ですよ! 門番様ー!」
「お、おお!? そうだった! すまない!」
すっかりと元気を取り戻したように見えるリドル。
リドルは巨大な裂け目を前にどうしたものかと思案顔でうんうんと唸る。
先ほどのリドルとの口づけで夢の世界に意識を奪われかけていたヴァーサスも、彼女の呼びかけでなんとか持ち直す。
「何か策はあるのか?」
「いやはや……困りましたね。どれもちょっと上手くいくかわからないです。多分、私の座標の力とヴァーサスの全反射の盾でなんとかいけそうな気もするのですが……」
どんどんと勢いを増す裂け目を前に、二人は行動を起こすことができない。
もし対処を誤れば、それはこの世界そのものの崩壊を招くかも知れないのだ。
悩み、最後の決断を下せずにいる二人。
だがそんな二人に、背後から突然声がかけられた。
『リドル様……貴方は、どうしてもこの世界を救おうというのですね……』
「お前は……!」
「ゴトー……やはりバックアップを用意していたんですね……」
二人に声をかけたのは、白い服に身を包んだ紅い瞳の痩せた男。
さきほどドレスによって惨殺されたはずのゴトーだった。
『はい。そうでもなければ、長き時の旅路に耐えられませんので……』
「お願いですゴトー。母の研究をずっと手伝っていた貴方なら、これをなんとかする方法も知っているんじゃないですか? もしそうなら教えてください! どうしても止めないといけないんです!」
幽鬼のように現れたゴトーに懇願するリドル。
ゴトーは俯き、その皺が見える痩せた顔をしかめ、ため息をついてからゆっくりと口を開いた。
『正直に申し上げますと……先ほどこうして美しく健気に成長されたリドル様を見たとき、私の戦意は既に折れておりました。たとえ全ての人類がエルシエル様を憎み、恐れようと、その世界にはまだ貴方がいる……それだけで、この世界は私にとって消すことのできないものとなってしまったのです……』
「ゴトー……」
『このゴトー。微力ながらリドル様のため、亡きエルシエル様のため、力をお貸しします。しかしながら、それでも成功する可能性は僅か。どうか、覚悟をお決め下さい』
ゴトーは先ほどまでのおぼろげな様子とは打って変わり、かつてはそうだったのだろうと思わせる鋭い眼光で裂け目を睨み、呟いた――。
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