漆黒の空間に浮かぶ、青く輝く美しい星。
しかし、今その星があるはずの場所は赤い絵の具で塗り潰されたような、不自然な空間がその口を大きく開けている。
この世界そのものを作り出した創造主たる者達が、その星を絶対不可侵の領域と定め、大挙して押し寄せていたからだ。
そして、その軍勢の主力が向かった先。
この次元そのものの特異点と化した門の前では――――。
「うおおおおおおおおおお!」
『ガアッ!? おそろ……しや……人の子……!』
最早その速度は雷光を超えた。光の瞬きにしか見えぬその一瞬で、灰色の全身甲冑に身を包んだヴァーサスが、三体の異形を一閃の元に切り捨てる。
しかしヴァーサスの加速は止まらない。三体の神がその領域を破壊される姿を背景に、更に上空で身構えていた二体の神がその巨躯の中央部分を同時に穿ち抜かれ、破砕する。
『な……なんなのだ……これは……!? これが、人の子の成せる因果だというのか!? 信じられぬ! 我らが産みだした真理に反している……!』
「神とやら! なぜ貴殿らはいつも通行許可を取ろうとしない!? なぜ力で門を通ろうとする!? そのようなことでは、こちらも同様に力で対処するほかないのだぞ!」
『我ら神々が許可などと……! 不敬……不敬であるぞ!?』
東西南北、それぞれの門番が向かった門と違い、なんとこの中央の門には数百もの神々が一斉に侵攻を開始した。
いずれも、かつてヴァーサスが打倒したヴァルナが引き連れていた眷属などではない、正真正銘なんらかの事象を司る強大な神々だった。
しかし、今ヴァーサスが守る中央の門の周囲では、次々とそれら神々の保持していた領域が崩壊し、消滅し続けていた。
無数の異形の狭間を駆け抜け、まるで翼でもあるかのように光速で飛翔するヴァーサス。
今、その全身からは門番皇帝ドレスとの戦いで発現したプラズマの放射のような激しい放電現象が見られ、その青い双眸には雷光が迸る。
数多の戦いを潜り抜け、更なる成長を見せるヴァーサス。
かつては全殺しの槍を用いなければ破砕できなかった神の領域を、今のヴァーサスはいとも容易く素手で叩き割り、蹴り抜いていく。
もとより完全魔法抵抗によって神々の破砕の一撃はヴァーサスにさほどの効果を与えられない。しかしそれとは逆にヴァーサスは、まるで厚紙でも引き裂くように容易く神の領域を侵し、粉砕するのだ。
未だヴァーサスの戦いを上空から取り囲む数多の神々の体がガクガクと震え、じりじりと門から遠ざかり始める。
それは、神々という存在がこの次元で初めて相対する『神の天敵』とも言える存在に対して感じる圧倒的恐怖だった。
「クククッ……おい貴様ら、一体どこへいくつもりだ?」
『――なッ!? アギャッ!』
最早我慢できず、その場から逃げ去ろうとする神々の背後から、地獄の底から響いてきたような凶悪な声がかけられる。
その音に気付いたと同時、三体の神が一瞬で視認できないほどの素粒子に分解され、または使い古したぼろ布のようにねじ切られ、破滅した。
『き、貴様は……ッ!』
振り向いた先、そこには禍々しい破滅と絶望の渦に気だるげにもたれかかる漆黒の姫がいた。その狂気を宿した赤い瞳は深淵を灯し、その娘の周辺領域がどす黒く塗り潰されていく。
かつて、自我を定める以前の万祖ラカルムと同様にあらゆる次元を破壊し、荒らし回った多元宇宙における災厄の化身――黒姫である。
「全く……ヴァーサスにも困ったものだ。いかな我が伴侶! とは言え、私の獲物を残す配慮もして貰わねば、ヴァーサスの妻! である私が手持ちぶさたになってしまうではないか。なぁ、神とやらよ。貴様らもそう思うであろう……?」
『ちょいちょい! 黒姫さーん! 誰が伴侶ですかー!? ねつ造は犯罪ですよー! 牢屋で数年臭い飯食べることになっても知りませんよー!?』
「な、なんだと!? この距離で聞こえるものなのか!?」
黒姫が浮かぶ遙か眼下。
大きな黄色い拡声器とマイクを使い、黒姫にねつ造注意のプラカードを掲げて抗議するリドル。まさか聞こえまいと高をくくっていた黒姫は、そのリドルの声にこの戦場で初めて戦慄の冷や汗を流した。
――そう、神々との戦いが始まってから、最も黒姫に冷や汗をかかせたのは今のリドル。つまり――。
「所詮、貴様らなどこの黒姫からすれば地べたを這いずる蟻と変わらぬ……たかが一つの次元を創造した程度で神などと……! 愚かにもつけあがる貴様らの姿は大層滑稽であったぞ……クククッ! クハハッ! クハハハハハハハハハッ!」
黒姫が嗤う。
その嗤いは次元領域の破砕を招く消滅の震動。
黒姫を中心として同心円状に広がった滅殺領域は、その震動に僅かでも触れた無数の神々を叫ぶ間もなく一瞬で分解し、抹消する。
黒姫が支配する領域が、神々の支配する領域を漆黒と破滅で抵抗すら許さず塗りつぶす。それは、神々に代表される自らの領域を持つ高次元存在として、神々よりも圧倒的に黒姫の格が上であることを示していた。
三次元が四次元の存在に手出しできないのと同様、神々もまた自らより高次の存在にはただ一方的に虐殺されるのみなのだ。
地上では神々を殺す人の子、ヴァーサスが雷鳴の如く暴れ、上空では自らを遙かに上回る圧倒的上位存在、黒姫によって押し潰される。
『我らが……消える……? 我らが……この場で潰える……あってはならぬ、そのようなこと……あっては……!』
中央の門へ迫った軍勢を率いる、絶対神ラーズと呼ばれる存在がガタガタと震え、地面へとくずおれた。その心を満たすのは絶望。そして虚無。
改ざんされた世界をそうとは知らずに守り続け、はぐくみ続けた。
その結末がこの絶望だというのか。この屍の山だというのか。
あまりにも理不尽。あまりにも不条理。
絶対神は必死に別の門へと向かった同胞へと音を届けたが、その音に応える者は誰一人としていなかった。
『レゴス……セロ……ダレス……ローヴァ……皆、潰えたか……』
特別に独自の行動を許され、中央以外の東西南北の門へと赴いていた最高位の神々の領域も、既に相次いで潰えている。最早、神々の計画は完全に破綻し、逆に自身の存在自体が脅かされる事態へと状況は推移しようとしていた。
だが――。
だが、その時である――――。
絶対神ラーズの領域が――白から黒に反転した。
――――ドクン。
「――これは!?」
「ほう……?」
瞬間、苛烈な戦闘を続けるヴァーサスと黒姫、双方の動きが止まる。
東の門で体を休めていたミズハたちも、西の門で完全に大破したアブソリュートの残骸を発見したカムイも、吹雪の中で一人酒を飲んでいたウォンも、人々に安心するよう呼びかけていたドレスもまた、その音を聞いた。
それは、胎動――。
戦場が次元の門の間際であること。
数多の神が死に絶え、無数の領域が潰える特異点となったこと。
そして圧倒的絶望と虚無によって、その輝かしい心を憎悪で染め上げた絶対神。
幾万の平行次元ですらまず発生し得ないこの現在の状況が、この世界に新たなるイレギュラーを発生させたのだ。
「なるほど…………エントロピーの集積を試みるのは、なにも門番だけではないということか。やはり、この世界は――」
赤く染まった上空から興味深そうに眼下を臨む黒姫。
その黒姫の視線の先。そこでは先ほどまで潰え続けた神々の領域の残滓が、絶対神ラーズに縋るように、逃げ惑うように集まり、堆積し、集結する。
それは遙か離れた東西南北の門の前も同様。
それぞれの門の前で潰えた上位神の領域が、流星の光芒となってヴァーサスたちの前へと降り立ち、絶対神ラーズの領域に積み重なる。積み重なった領域の渦は一つの巨大な卵状の構造体へと変貌すると、即座にその内部で新たなる存在の生成を終えた。
ヴァーサスがこの場に存在していること――。
狭間の武器がこの場に揃っていること――。
黒姫が破壊を止め、この地にとどまったこと――。
そして、リドルがヴァーサスと出会い、黒姫とならなかったこと――。
それら数多のイレギュラーの果て、追い詰められた神々はついに、自身そのものをイレギュラーと化すに至ったのだ。
『オオオオオオオオオオオ!』
その声は喜びか、それとも絶望か。
巨大な繭を突き抜け、粘つく液体にまみれた異形が生誕する。
「フッ……どうやら、ようやく楽しめそうだ。気を引き締めよ、ヴァーサス」
「無論だ。君もな、黒リドル――」
黒姫はゆっくりとヴァーサスの隣に降り立つと、眼前に現れた特異点を見定めるように、その鮮血の瞳で鋭く射貫く。
その巨躯は巨大な赤子を思わせた。
目も明かず、口だけがぱくぱくと動き、縮められた両手足はむずがるように、何かを掴み取るように伸ばされた。
ヴァーサスはその手に持った槍を振り払うと、鋭い眼光を向けて目の前に顕現した終末の領域へと対峙した――――。
門番 VS 名も無き神――開戦。
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