それから数日。
結局黒姫は恐らく未来であろうと思われる世界で過ごした。
色々とわけのわからぬ装置や、ルクス少年がフライトシップと呼ぶ巨大な宇宙船についても勉強し、最初はその発達した技術レベルに驚いたものの、元々天才的に頭の回転が早い黒姫はすぐに慣れた。
フライトシップのデータベースから、この時代の黒姫が計画したとみられるルクス少年の訓練予定リストなども見つけたので、せっかくだからと黒姫はルクス少年に稽古を付けてやることにした。
「ふむふむ? ほほう、ルクス君はまだ小さいのに色々できるんですね! では、まずはこの感謝の領域具現化一万回というのをやってみてください!」
「はい!」
とりあえずリストの中で目についた項目を適当に選ぶと、黒姫から指示されたルクスは目を輝かせ、その場で雷光にも似たバチバチという放電現象を発生させる。
まさかこんな幼い少年がとも思ったが、そもそもルクスの家系はあのリドルとヴァーサスの子孫である。五世代経ったと言っても、その力はまだまだ健在と言ったところか。
「じゃあ次はあれです! あの大きな怪物の背中から頭まで、昇って降りてきてください! あの怪物は敵が近づくと全身から針を出すそうですから、針をなんとかするか、敵だと思われないようにするのが大切ですよ!」
「うわー! 凄い大きいですね! なんだか楽しそうです!」
山よりも大きな巨体を誇る四足動物を前に説明する黒姫。黒姫の説明にルクスは再び喜色満面になって駆けだしていく。無邪気なルクスのその様子に、黒姫も思わず顔が綻んだ。
正直なところ、黒姫はとても安心していた。
長い旅の果て、黒姫がようやく探し当てた未来へと続く平和な世界。他の世界と同様、いつかはその平和にも終わりの時が来るのではないかと恐れていた黒姫にとって、今目の前に広がる光景は彼女の心に明るい希望となって射し込んだ。
本来、門と融合したリドルと黒姫はそう願えば老いることもなく、死ぬこともない。かつて反転者が母であるエルシエルを殺害したように、全殺しの槍のような特殊な道具を使えばその命を断つことも出来るが、基本的には不滅の存在だ。
しかし、この世界にリドルはいない。
ルクスのデータベースで確認したところ、リドルはヴァーサス共々百歳近くまで生きた上での大往生だったようだ。恐らく、彼女は愛するヴァーサスや家族とともに老いてその天寿を全うする道を選んだのだろう。
だが、リドルやヴァーサスがその生を終え、この世界から消え去った後も黒姫はこうして生きていた。きっとなんらかの目的か、心境の変化があったに違いない。そして、それこそが今こうして現代の黒姫が未来へとやってきている原因――――。
「――――普段の私ってどんなでした?」
「え? いつもの黒姫さんってことですか?」
厳しい訓練を終えた後、テント前でたき火を囲む黒姫とルクス。黒姫はルクスに、この時代の黒姫について尋ねた。黒姫のその問いにルクスは少し考えるような素振りを見せた後、笑みを浮かべて口を開く。
「えへへ――――黒姫さんは、優しい素敵な人です。僕が生まれるずっと前から、この世界を守ってきてくれた人だってみんな知ってます。もちろん僕だけじゃなくて、僕の家族もみんな黒姫さんのことを頼りにしてました。その――――僕も黒姫さんのことは尊敬してるし、好きです」
「そうですか……私ってこの時代でも頑張ってるんですねぇ……」
「この時代?」
「あ、いえいえ……こちらの話ですよ。いやはや、ルクス君からそう言って貰えると私もとても嬉しいです! ありがとうございますね!」
「はい! 僕、生まれたときからずっと黒姫さんと一緒で……父も母もお仕事が忙しいので……」
そう言うルクスを見た黒姫はなるほどと頷いた。どういう経緯かはわからないが、恐らくこの時代の黒姫は、ルクスの家庭教師や後見人のような立場なのだろう。見れば一瞬でわかるが、ルクスは相当に育ちがいい。
これが黒姫の教育の成果なのかはわからなかったが、ルクスにはきっと、黒姫がつきっきりで育てるような何かがあったのだ。そこで黒姫は気づいたが、ルクス少年のヴァーサスそっくりの髪型も間違いなく黒姫の趣味だ。これは致し方なし。
「できれば、これからもずっと黒姫さんと一緒にいたいなって思ってます……黒姫さんに守られるばっかりじゃなくて、いつかは僕が黒姫さんを守れるようになりたいって思ってて……」
「ふふっ……とても立派な心がけですね。ルクス君ならきっとなれますよ」
「はい!」
そう言って笑うルクス少年の姿に、黒姫はリドルとヴァーサス、二人の面影を重ねるのであった――――。
――――そしてそんな修行の日々も瞬く間に過ぎ、間もなく予定表に記載されていた最終日にさしかかろうという頃。
未だに黒姫は未来世界から帰還できていなかったが、その代わりに彼女は非常に興味深いデータを見つけることができた。それは――――。
「これは……私の日記ですか?」
黒姫の操作する端末に表示された、大量の文章データ。それは細かく区分けされていたが、そのどれもが黒姫自身が書いたと思われる内容だった。当然ロックもかかっていたが、今の黒姫はこの時代の黒姫そのものなので全ての認証を問題なくパス。自由に閲覧可能だった。
「なんとなんと……我ながら随分書いたものですね……って、もしかしたら最近の日記になにか書かれているのでは?」
その日記の中に、この未来転移の手がかりがあるのではと踏んだ黒姫は、日付が最近のものをいくつかチェックしていく。すると――――。
「やはり……これはまたなにやら怪しげな……ええっ!?」
そこにはいくつかの日付に渡って、同じ内容の記述が続いていた。
その内容とは――――。
【ようやく全ての準備が整った】
【私はこの時を二百年近く待った】
【私は、ようやくリドルになれる】
【ついにヴァーサスを我がものに!】
「な、な、な、なんですかこれはーーーーっ!? 完全に精神やられてるじゃないですか私ーーーー!?」
なんということでしょう。そこには見るも恐ろしいもはや呪詛にも似た文言がつらつらと書かれているではありませんか。これはいけない。
「ちょっとちょっと……しっかりしてくださいよ。いくら寂しいって言ってもこんなのになるつもりは毛頭ありませんよ私は……――――ふむふむ……? 過去の自分と意識を入れ替える領域操作……これを使えば、私がリドルに……?」
更に読み進める黒姫の額に冷たい汗が流れる。これは洒落にならない。
恐らくこの時代の黒姫は、二百年間もヴァーサスへの慕情を忘れられず、過去の自分――――つまりこの場合はヴァーサスと結ばれた白姫だ。過去の白姫と未来の黒姫の意識を交換し、ヴァーサスと結ばれたリドルに成り代わろうとしていたのではないだろうか?
「あわわわわ……そ、そんな……そんなこと……私は……っ」
その驚愕の未来真実に、思わず腰掛けていた椅子から立ち上がり、後ずさる黒姫。
だが――――。
自分が――――あの小屋の窓枠から眺めることしか出来なかった、あの愛と幸せ空間に自分が――――。
ただ笑顔で祝福することしかできなかったあの結婚式も、逞しい最愛のヴァーサスの体に抱きすくめられ、彼の命とエントロピーを次の世代へと繋ぐ幸福も、全て自分が――――。
――――黒姫は、いつのまにか涙を零していた。
全て自分だったのだ。何かが違えば、欲しいと思っていた日々の全ては自分のものだった。それは本当に辛く、苦しい光景だった。
未来の自分がこうなってしまうという事実も辛かった。二百年も過去の想いに縛られ、それだけを考えて日々を過ごすことの地獄は想像を絶する。未来の自分自身に、果たしてそんな行いは間違っていると言えるだろうか。
恐らく、未来の黒姫は白姫との意識交換を試みた結果、幸か不幸か白姫ではなく、より自分自身に近い黒姫自身と意識が入れ替わってしまったのだ。それが今のこの状況を引き起こしている。
その自身の推理に黒姫は戦慄する。だが――――。
「どうしたら……私は、どうしたらいいんですか……っ?」
『おやおやぁ……? 人の日記を勝手に盗み見るとはいけませんねぇ……これは臭い飯確定ですよ……?』
「――――っ!?」
その声は背後――――否、黒姫自身の内より響いた。
周囲の景色が闇に飲まれ、視界が暗転する。
暗転した視界が再び開いたとき、そこには漆黒の領域を背景にして笑う、黒姫自身が立っていた――――。
黒姫VS黒姫――――開戦。
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