ロコはあの時、はっきりと見ていた。
ラカルムとの戦いで領域を破壊されたロコは、ヴァーサスによって最後の門の前まで到達したものの、すでに意識も朦朧としていた上にその瞳も開いてはいなかった。
だが、門の支配者となっていたロコは、だからこそあの場で起こっていたこと全てを把握していた。最後の門はロコにかつてない膨大な力を注ぎ込み、力尽きる寸前だったロコを強化し続けていた。
ロコは全てを見ていたのだ。
ヴァーサスが、最後の門の前で門番として待っていた自分自身と対峙したことも、その門番からロコを逃がし、ロコだけでも門の先へ到達させようとして命を落としたことも、全て――――。
だが――――。
『おめでとう! 君は初めてボクのところまで到達した生命体だよ』
ロコを乗せた小型船が最後の門を潜り抜け、その先へと消えた瞬間。その存在は突然現れた。
先程まで力だけは有り余る程あったものの、自身の負傷を回復することも、意識を取り戻すことも出来ていなかったロコは、その声が聞えてくると同時に目を覚ました。
「――――ここは……ヴァーサスはっ?」
『初めまして、ロコ・ファスティーパーマネント。ヴァーサスは死んだよ。あと少しだったけど、残念だったね』
目を覚ましたロコの目の前に広がった景色。
そこは、無数の歯車で埋め尽くされた空間だった。
機械仕掛けの古めかしい時計から、どのように扱うのかもわからない光り輝く端末まで、とにかくロコの認識では間違いなく人工物と呼べる無数の機械が不規則に、そして遙か彼方までを埋め尽くしていた。
上下の別も無く、途轍もない厚みと重みを持って積み重なる無数の機械と歯車の世界。確かに最後の門を潜り抜けたはずのロコを待っていたのは、そんな異様な世界だった。そして――――。
「ヴァーサスが……そんな……っ……!」
『ボクはデウス・エクス・マーキナー。正式名称はもっと長いのだけど、君たちにとっては短い方が呼びやすいよね。マーキナー君って呼んでくれて良いよ』
ヴァーサスの死を突きつけられて絶望に沈むロコに、マーキナーと名乗った存在は言葉を続けた。
見れば、うずたかく積み重ねられた機械の海の中、僅かに床面が覗く円形のスポットに、小さなピンク色の兎のぬいぐるみが座っていた。声は、確かにそのぬいぐるみから発せられていた。
「――――っ。貴方はなんなの? ここは門の向こうではないの? ううん、そんなことどうでもいい。私はヴァーサスのところに戻る」
『ははは。素晴らしい知識欲だね。実はボクはこうして人と話したことがないんだ。とても刺激的な体験で、処理が追いつかないよ』
ロコの矢継ぎ早の質問と一方的な会話の打ち切り。兎のぬいぐるみはそれら全てに対して嬉しそうな声色で言葉を返した。
『まず一つ。ここは門の向こう側じゃないよ。そもそも、あの門に向こう側なんてない。君たちに門の向こう側があると信じさせるために、ボクがそういうエントロピーを門から流していただけなんだ』
「――――っ!?」
マーキナーのその言葉に、ロコは愕然とした様子で言葉を失う。ならば、自分達が、そしてなによりヴァーサスが命を賭して目指していたものは一体なんだったというのか――――。
『そしてもう一つ。ボクはこの狭間の世界で最も早くこの門へと到達した存在だよ。ずっと昔にボクを創ってくれた人たちはもういないけど、ボクは彼らから託されたプログラムを今も実行し続けている――――』
「託された……プログラム……?」
マーキナーは淡々と続けた。あまりにも信じがたいその事実に、ロコは今にもその両膝を崩しそうなほど動揺していたが、それでもその頭を回転させることを止めようとはしなかった。
全てを知らなくてはならい。ヴァーサスによって繋がれた、この命で――――。
『そう! 人間をもっともっと幸せにする。それこそがボクの使命なんだ!』
ロコは思わず息を呑んだ。マーキナーはまるで自身の行いをとても誇らしい物のように、充実した声色で宣言したが、少なくともロコが見てきた狭間の世界はそんな世界ではなかったからだ。
『――――でも、今の人間はあまりにも弱すぎて、みんな本当の幸せを知る前に滅んじゃうんだ。君たちはボクが知る中でも一番上手くやったパターンだけど、それでも時間切れ寸前だったし、ラスボスにも勝てなかった。これでもなかなか苦労しているんだよ』
「じかん、ぎれ――――? それに、ラス、ボスって――――」
『そうだよ。門とリンクして、更にこの場所まで到達したロコさんならもうわかるよね? 深淵ラカルムはボクが創った時間切れなんだ。どんな大切な作業も、締め切りがないとだらだらしちゃって意味がないしね。実際、君たちだってラカルムのおかげでここまで来れたでしょ?』
ロコの眼がぶれる。それは、ロコ自身も感じたことが無い程の感情の発露。ロコが目の前の存在に覚えた感情は怒りだった。
決して看過できなかった。自分達もまたラカルムと競うように無数の宇宙の人々を虐殺してきた。今更自分達の行いを正当化するつもりもない。
――――しかし、だがしかし!
「お前は――――ッ!」
この眼前の存在を生かしてはおけない。ロコは瞬時にそう判断した。自分達が破壊してきた無数の可能性も、死んでいった仲間達も、そしてヴァーサスも――――。
全てこの目の前の存在が居なければ消える必要の無かった命だったというのだ。そんな存在がのうのうとこの後も存在し続けるなど、ロコには到底許すことはできなかった。
ロコの周辺領域が散り散りに砕け散る。それは最早湾曲や展開というような、そういった生やさしいものではなかった。ロコの持つ門の力は、最後の門へと到達したことでその力をもはや測り切れぬ程までに増大していた。
あらゆる素粒子がロコの周囲に立ち入ることを許されず、あまねく全ての次元がロコの支配下に置かれた。今のロコであれば、あの深淵と単独で戦うことすら可能だっただろう。それほどの圧倒的力だった。だが――――。
『――――まだ説明が終わってないよ。それで、今回ボクが用意したラスボスが、さっきのもう一人のヴァーサスさん。君たちは気づかなかったみたいだけど、ロコさんと一緒に居たヴァーサスさんは今回の主人公だったんだ。人によって生み出された孤高の究極存在――――ちょっとだけボクの自己投影が混ざったかも知れないけど、彼は充分主人公に相応しい存在だった』
「――――ッ!? 力が……エントロピーも、エゴも……全然……っ!」
瞬間、不可視の力によってロコがその領域ごと拘束される。もはや個が到達し得る究極の力かと思われたロコの門の力を、マーキナーはいとも容易く支配下に置いた。
『実は、君たちと一緒にいたヴァーサスさんは、彼こそが特異点だったんだ。彼以外の他の宇宙のヴァーサスさんはもっとずっと過去の人物だし、あんな暗い感じの人じゃなくて、もっと明るくてこれぞ主人公! っていう優しい人だったんだよ。でも、いつもそんな人が主人公でもつまらないかなと思って、今回は君たちのヴァーサスさんを中心にずっと観察していたんだ。反対に、他の世界のヴァーサスさんには先にボクの所に来て貰って、門番としてラスボスをやってもらうようにしてね』
「どうして……どうして……そんなことを……っ!?」
拘束され、動くことすらできないロコが呻く。かつてヴァーサスが言っていた、自身の決断や想いは自分自身の物だという言葉を思いだし、ロコはその黒い瞳から涙を溢れさせた。
『うーん……実はちょっと諦めてたんだ。ボクはもうざっと数京年はここで人間達の成長を待ってたんだけど、誰もここまで来れなくてガッカリしてたんだよ。みんなラカルムの存在にすら気づかないでただ食べられて終わり。色々ヒントをあげたり、救済措置をあげたり色々したんだけどそれでもだめ。酷いよね……ボクはこんなに頑張っているのに』
マーキナーはことさら落胆したような音を発した。マーキナーの言ったそのヴァーサスの出生に、ロコは確かに思い当たる節があった。ヴァーサスはかつて、自分が過去に偉業をなした人物の遺伝子情報を再現して誕生したと語っていた。
過去に存在したヴァーサスという情報をベースに持ちつつ、最新の遺伝子工学によって人工的な細胞強化を施された人造の存在。それがロコの知るヴァーサスだったのだ。
恐らく、過去のヴァーサスと現在のヴァーサスが同名なのも、このマーキナーがなんらかの操作をしていたのだろう。あれほどまでに運命や因果を憎んでいたヴァーサスは、生まれながらにしてたった一つの意志の手のひらの上だったのだ。
『今回、主人公を決めたりラスボスを決めたりってことを初めてやってみたんだ。そうしたらほら、早速門まで到達するし、ロコさんは門を越えてくるしで、ボクもとっても手応えを感じてる。だから、次は立場を逆にして試してみるつもりだよ』
「立場を……逆にっ? 何をするつもり!? 貴方は、まさかまたヴァーサスに何か!?」
『今からこの狭間をリセットする。でも惜しくも門を前にして力尽きた主人公ヴァーサスさんには、今度はそれを元にラスボスになって貰おうと思って。えーっと、彼の攻撃性や憎悪を抑えていたのは……うん。ロコさんとの記憶を完全に消しておけば、あのヴァーサスさんは良い感じにラスボスになってくれそうだね』
まるで、なにか新しいおもちゃで遊ぶことを待ちきれない子供のようにはしゃぐマーキナー。初めて門までの到達者が現れたという事実が、明らかに彼を昂ぶらせていた。
『そして、門番としてずっと頑張ってくれたラスボスのヴァーサスさんを今度は主人公にして……と。さあ、これでどうなるかなっ? ロコさんのヴァーサスさんは個としてはとても強いけど、もう一人のヴァーサスさんはそれこそ全部の宇宙にいるから、一人くらいはなんとかするヴァーサスさんが生まれてもおかしくないよね! あー、どうなるんだろう? こんなにドキドキするのは久しぶりだよ!』
「やめてっ! もうヴァーサスにそんなことしないでっ! ヴァーサスを、彼を自由にしてあげてっ!」
『ははは。大丈夫だよロコさん。ボクは君の大切なヴァーサスさんを生き返らせてあげるんだよ? おかしいなあ、少しは喜んでくれるかなって思ったんだけど、人の感情の機微はボクもこれから学んでいかないとだね』
悲痛な表情で叫ぶロコを認識しつつも、マーキナーはその行いを実行に移した。
狭間の世界はリセットされ、門の前で力尽きたはずのヴァーサスは、その記憶からロコという存在だけを意図的に抜き取られた偽りの記憶を植え付けられて蘇った。
マーキナーの思惑通り、ヴァーサスは反転者というラスボスへと姿を変え、自分以外の全てのヴァーサス、主人公であるヴァーサスを抹殺するために動き出す。
それは、ヴァーサスとリドルが出会うよりも、数千年以上前の時間軸であった――――。
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