『む! むむむっ!』
「悪いな。正直あんた自身にはこれっぽっちも恨みはないんだが――――まあ、正当防衛ってやつだ」
門の前から数百メートル離れた草原地帯。コートをたなびかせて空中に浮遊するクロガネが、眼下の黄ヴァーサスを見下ろしながら声をかける。
凄まじい重力と領域の渦を上空から押しつけられた黄ヴァーサスの周囲には、巨大なクレーターが穿たれていた。さらにそのクレーターはこうしている今もその深度と破砕痕を拡大させているのだ。
『な、なるほど! これはっ! なかなかに! 重いなっ!』
「やれやれ――――『重い』で済んでるのが驚きだよ」
動きは止めたものの、黄ヴァーサスは未だにその両足を大地へとめり込ませて立っていた。そしてその光景にクロガネは内心舌を巻く。すでに以前相対したミズハに行使した力の数十倍の重さを黄ヴァーサスには叩きつけているのだ。
「命まではとらない。ちょいと動けなくはなってもらうが――――」
冷や汗をかきつつも、焦りを悟られぬよう慎重に、そして確実に圧をかけていくクロガネ。しかし――――。
『うむ……! ならば、俺も……! そろそろ……動くと! しようッ!』
「おいおいおい、妙な真似するんじゃ――――」
『全殺しの槍よ!』
瞬間、黄ヴァーサスが叫ぶ。そしてそれと同時、黄ヴァーサスが持つ全殺しの槍が閃光と共に大地へと穿たれた。眩い閃光が輝く中、クロガネは短く舌打ちして上空めがけて飛翔。周囲に防御用のベクトルを展開した。
『良い判断だ! しかし、どうやら俺の方が速いな!』
「モグラかよ――!」
『はっはっは! 泥遊びは好きだぞ!』
遙か上空へと移動したクロガネの眼前に紅蓮の領域を展開した黄ヴァーサスが一瞬で出現する。クロガネは見ていた。この黄ヴァーサスが自身の槍で大地を掘り進め、ぐるりと地の底を迂回して地上へと突き抜けた瞬間を。
「さすがミズハの師匠だ。こいつはヤバいな!」
『さあ! 二度も同じ手は喰らわんぞ!』
クロガネの認識力を上回る速度で全方位に跳ね回る黄ヴァーサス。かつてミズハがそうしたように、クロガネの認識力と反応速度には限界がある。ベクトル操作の能力を最大限行使すれば、やがては光速すら補足することはできるものの、それまでにかかる時間に問題があった。
「盾はともかく――――その槍は厄介だ!」
『――――逸らしたか!』
背後から迫る黄ヴァーサスの突き出した全殺しの槍の尖端へと圧をかけ、直撃寸前でなんとかあらぬ方向へと切っ先を逸らすクロガネ。進化した形態ならともかく、通常の全反射の盾はクロガネの能力には無力だ。しかし全殺しの槍はそうはいかない。
全殺しの槍による一撃を受ければ、クロガネの因果はあっという間に侵蝕され、せっかく反転者とロコによって復活したにも関わらず、この宇宙でのエントロピー全てを失って消滅してしまうだろう。それだけはなんとしても避けなければならなかった。
「くそっ! こいつらもアイツの差し金なのか!? 俺たちを強くしたいってんなら、もう少し安全に配慮した方法でだな――――!」
『何を一人でぶつぶつと! 口は災いの元と言うぞ!』
「ごもっともだ!」
追いすがる黄ヴァーサスから更に加速飛翔するクロガネ。
「(このまま追ってくるってんなら、俺諸共太陽にでも突っ込んでみるか? ――――いや、無駄だな)」
一瞬脳裏をよぎったその考えをすぐさま否定するクロガネ。クロガネにも『ハッハッハ!』と笑いながら太陽を突き抜けてくる黄ヴァーサスの姿が容易に想像できた。
「(ん――? どうすりゃ倒せるんだコイツ?)」
急制動と加速、減速を組み合わせた変則的な機動で黄ヴァーサスを翻弄しながらも、クロガネは自身の顎に手を当て、眉間に皺を寄せて首を傾げるのであった――――。
● ● ●
「クハハハハハッ! ――――我が力、とくと味わうが良いッ!」
『グワーーーーッ!?』
クロガネが宇宙空間へと飛び出し、ミズハが高次元空間で緑ヴァーサスと死闘を繰り広げている最中。黒姫はすでにその圧倒的な力で茶ヴァーサスを打ち倒していた。
「おー! さすが黒姫さん! 強い! かっこいい! 世紀末っ!」
「クックック……当然の結果だ。見たところ、このニセ・ヴァーサス共のエントロピーはやや古い。最新のヴァーサスならばともかく、このような旧式では深淵との直接対決すら制した今のこの黒姫の相手ではないわッ!」
『ぐっ……なんという強さだ……!』
黒姫の背後で巨大な漆黒の門が口を開け、ラカルムの放つ力にも似た深淵がゆっくりと渦を巻く。目の前に倒れ伏す茶ヴァーサスはすでに全殺しの槍も全反射の盾も粉々に打ち砕かれ、漆黒の領域に包囲されていた。
「いやー! やっぱり次元の破壊者は格が違いますねー! 以前より門も大きくてかっこよくなってる気がしますし、今なら私の門より強いのでは?」
「まあな…………確かに今はそうかもしれん。だが思うに、白姫はヴァーサスの子を産んだ後で『これが――――私たち親子の力ですっ!』などと言いながらパワーアップしそうな予感がひしひしと――――ぐぎぎ! 私も二百年後には必ずッ!」
既に高次元戦闘を終え、通常領域へと帰還した黒姫。黒姫の領域に守られるリドルがその光景に惜しみない拍手と歓声を上げている。
『くっ! どうした茶色い俺よ! まだ戦いは終わっていない! 俺はお前ならば必ず立ち上がると信じているっ!』
『黒い俺……っ!? そうだ! 俺はまだ、ここで倒れる訳には……! う、うおおおおおお――――ッ!』
律儀に最初の木陰から動かずに茶ヴァーサスへと声援を送る黒ヴァーサス。するとどうだろう。黒ヴァーサスのその声に応えるように、茶ヴァーサスの紅蓮の領域が激しい放電を開始し、黒姫の領域を――――。
「――――駄目だ。この黒姫がおめおめと貴様の覚醒イベント完了まで待つと思ったか? 暫く寝ていろッ!」
『グワーーーーッ!』
『茶色い俺ーーーーっ!?』
黒姫の圧縮された領域によって首元をきゅっと締め上げられた茶ヴァーサスは、白目を剥いて昏倒した。
「曲がりなりにもヴァーサスを名乗る者共だ……この黒姫、危機時における覚醒イベント発動も織り込み済みよッ!」
「ひゃー……容赦ないですねぇ。私はちょっと、偽者さんとはいえヴァーサスがやられているのを見るとこう、胸がしくしくと……およよよ……」
「フン……たとえ見た目も性格も、その上構成するエントロピーまでもが同一だったとしても、この黒姫が愛するのは我らがヴァーサスただ一人よッ! 互いに結んだ因果の数が違うわッ!」
『ぬう! 茶色い俺の仇は俺が取るッ!』
茶ヴァーサスをあっさりと打倒し、禍々しい笑みと迫真の訴えで勝利を宣言する黒姫。茶ヴァーサスの敗北を見た黒ヴァーサスは、その全身に怒りと義憤を漲らせ、ゆっくりと立ち上がる。だが――――。
「ふう――――お待たせしました皆さん。僕の方はなんとか片付きました」
「シトラリイさん! ご無事だったんですね!」
黒姫と黒ヴァーサスの丁度中間の虚空から、シトラリイが安堵の息をつきつつ出現する。そして同時に、シトラリイの横に口から泡を吹いて気絶する紫ヴァーサスが、どさりという重い音を立てて地面に落下した。
『む、紫色の俺がっ!?』
「大丈夫でしたかシトラリイさんっ! てっきりクロガネさんとお二人で戦っているものとばかり……」
「その予定だったのですが、戦闘開始早々に僕一人で問題ないと判断して分かれました。結果はご覧の通りです」
『あ、あががが……門番……門番……試験……わからない……歌……なぜ……』
シトラリイの視線の先で倒れ伏す紫ヴァーサスは、なにやらテストだ試験だ歌だと言いながら痙攣していた。目覚める様子も全くない。どうやら強烈な悪夢でも見ているようだ。
「あの、これって……なにがどうなってこういうことに?」
「僕の門の力です。僕の領域は精神に深く浸透できます。偽者のヴァーサスさんが持つトラウマや苦手意識といった部分を拡大させ、暫く眠っていただきました」
「あー……そういう……」
こともなげに言うシトラリイに、神妙な表情で頷くリドル。黒姫もまたシトラリイの隣へと並び立つと、紫ヴァーサスの横に自身が昏倒させた茶ヴァーサスを放り投げた。
「どうも此奴らは、かつてヴァーサスが深淵の試練を乗り越えて身につけた精神系攻撃への耐性も持ち合わせていないようだ。我らのヴァーサスも、あの試練を乗り越えていなければ超能力や霊能力、精神汚染といった攻撃には弱いままだっただろう」
「そう考えると、やっぱりラカルムさんには感謝しかありませんねぇ……」
『くっ! こうも次々と俺がやられてしまうとは……!』
突きつけられる惨状に、わなわなと肩を震わせる黒ヴァーサス。しかし黒ヴァーサスの眼光は未だ死んではいない。黒ヴァーサスは自身の槍を握り締めると、尚も衰えぬ気迫で前に出ようとする――――。
『クククッ……やはり、お前らだけでは手に負えぬか』
「――――っ!?」
「っ! 貴様ッ!」
だがその時、黒ヴァーサスの歩みは再びの乱入者によって遮られた。その声は上空。声の質は同じだがより低いその男の声は、その場にいる全員に聞き覚えのある声だった。
「あなたは――――反転者っ!?」
『ほう……あの女の娘共か……俺のことを既に認識しているとは驚きだ』
「なんだ……? こいつもなにやら様子が……」
眼下のリドルたちに眼を向け、邪悪な笑みを零す反転者。反転者はそのままゆっくりと手をかざすと、自身の周囲に数十を超える数の全殺しの槍を出現させる。
『役立たずのそいつらと俺が同じとは思わぬ事だ。俺は腹に子がいるからといって手加減するような馬鹿とは違う』
「フン……会談だのなんだのと言っておきながら、結局はだまし討ちが目的とはなッ! いいだろう……貴様との因縁、ヴァーサスに変わってこの黒姫が引き受け――――」
「――――待て。騙されるな。そいつは俺ではない」
だがその時、辺り一帯に更なる声が響く。その声もまた聞き覚えがあった。というよりも、たった今聞いた声とほぼ同じだった。
『早すぎる……まさか、もう他の俺たちを片付けたとでもいうのか?』
「そろそろ来る頃だと思っていたが……まさかこのような手段でとはな。エルシエルの娘達とイングリス嬢よ、詳細は後で説明する。この場は俺も加勢しよう」
「あわわ……なんだか頭がこんがらがってきましたよ! なんなんですかこの状況は!?」
その場に現れた最後の男――――。
それは、灰褐色のローブを身に纏いながらも最早その素顔を隠すことを止めたもう一人のヴァーサス。反転者だった――――。
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