巨大な漆黒の立方体内部へと次元航行船を侵入させ、かつてよりも離れた位置で停船させた反転者。船の守りをアッシュ達反転する意志のメンバーに任せ、ヴァーサスと反転者は共に門の前に向かった。
「おお! ここが最後の門――――……門はどこだ!?」
「な、なんだか……随分と散らかってますね……?」
ぼんやりと輝く薄暗い通路の先――――。
最後の門が鎮座するはずのその場へと足を踏み入れたヴァーサス達の目に飛び込んできたのは、無残に荒れ果てた機械と歯車、そして用途不明のコードやチューブの山だった。門は確かにその場に存在していたが、あまりにもうずたかく積み上げられたガラクタの中に完全に埋没していた。
壊れ、積み重なったくず鉄の向こうには果てしない闇が広がっていた。広大な空間は、全てがもう動くことのないさび付いた歯車と金属片で埋まっていた。その光景はまるで、うち捨てられた墓地に似ていた。
かつて訪れた時とは全く違うその光景に、反転者は足を止めてロコに尋ねる。
「――――ロコ、これはお前が?」
「いいえ。私が抜け出した時はこんなことにはなっていなかった」
眼前のその惨状に、ロコは油断無く自身の門を展開する。かつてのマーキナーであれば、ヴァーサスや反転者がここまで来たと知れば喜んで声をかけてきただろうが、今はそれもなかった――――。
「どうやら、ここの主は随分と掃除が苦手なようだね」
「チッ! マーキナーはどこだ!? 先ほど我らの前に現れたときは相当な力を感じたが、今は何も感じぬぞッ!?」
「師匠――――私が切り払いましょうか?」
「いや……待ってくれ」
ヴァーサスの周囲で苛立つように自身の領域を解放する黒姫。ドレスはヴァーサスとリドルを庇うように立ち、ミズハもまた腰の刀に油断無く手をかける。
ヴァーサスはそんな仲間達の様子を確認すると、何事かに気付いたようにずんずんと一人前に進み出ると、横にいた反転者が声をかける間もなく、突然大声で叫んだ。
「聞えているかマーキナー! 俺だ、ヴァーサスだ! 先ほど、君から共に門を管理して欲しいと頼まれた! その件について詳しく話を聞かせて貰いたい!」
突然の名乗りに驚くヴァーサス以外の面々。しかしヴァーサスは気にせず、堂々とした様子で周囲の闇を鋭く見つめた。黒い用途不明の液体がちぎれたチューブから垂れ滴り、定期的なリズムを刻んでいた。
闇の中に反響するヴァーサスの声がやがて消える。辺りは再びこの場に居る仲間達の静かな呼吸音と、液体の滴る音だけ――――。
『……ヴァー……サス?』
否、どこまでも届くヴァーサスの熱い叫びに応える声が聞こえる。
一同の前方、僅かに左にずれた場所に位置するガラクタの山が崩れ、その下に、薄汚れたピンク色の兎の顔が露出した。しかしそのような状態で有りながら、兎――――マーキナーの瞳はしっかりとヴァーサスを見つめている。
『お帰りなさい……遅かった……ね。とても、心配したよ……』
「……お帰りなさいだと? ヴァーサスはここに来たのは初めてであろうに、こいつは何を言って……」
まるで、ヴァーサスが元からここに居たかのような口ぶりで話すマーキナーに、黒姫は困惑の表情を浮かべた。だが当のヴァーサスはそんな黒姫に無言で目配せすると、何も気にすることはないとばかりに汚れ果てた兎の前まで歩み寄り、地面に転がる兎の瞳をまっすぐに見つめ、片膝をついて口を開いた。
「――――少し用事が長引いてしまったのだ。長く一人にしてしまい、すまなかった」
『ううん……また会えて……うれしいよ……でも、ゴメンね……もう知ってると思うけど……ボク、掃除がニガテで……』
ヴァーサスはそのまま、マーキナーに合わせるようにして言葉を続けた。兎はその視線だけで周囲の惨状を見つめると、瞼を伏せて申し訳なさそうに途切れ途切れの合成音声を発した。
「はっはっは! 何も気にすることはない! 俺も片付けを手伝おう。それに今日は俺の大切な友人や家族もここに連れてきたのだ。みんなで取りかかれば、きっとすぐに終わる!」
『わあ……そうなんだ……やっぱり、ヴァーサスはすごいよ……たった一人で……ここまで来ただけのことはあるね……』
「し、師匠……っ? もしかして、師匠は以前からあの方とお知り合いだったのでしょうか……?」
「い、いやいや……そんなことはないはずですよ……私にも、何が何だかさっぱり……」
――――それは異様であり、同時に不思議な光景だった。
マーキナーだけで無く、ヴァーサスまでもがまるで暫くぶりに再会した友人と談笑するように、穏やかな笑みを浮かべ、熱心に会話を続けていたのだ。
「そういうことか……ヴァーサスにも、かつての周回の記憶が……」
「かつての周回――――君たちが言っていた、門の前で待ち構えていたというヴァーサスのことだね?」
「そう。私や、私のヴァーサスはそもそも前の世界の住人だから記憶を持ち越していて当然だけど――――リセットで一度完全に消えている筈の貴方たちのヴァーサスが記憶を持ち越しているなんて……とても信じられないこと」
「俺やロコにも、一体どのような経緯でヴァーサスが俺より先にあの門へと至ったのかは知らない。だが、これは――――」
ヴァーサスとマーキナーのその様子に、反転者とロコは困惑と驚愕の表情を浮かべた。
そう、かつて反転者が門の前に到達した周回の際、反転者よりも先にこの場所へと辿り着いてたヴァーサスは、最後の門を守る門番として何億年という長い時間、マーキナーと共に過ごしていた。
マーキナーにとって、門番ヴァーサスは本当に久しぶりに話した人類だった。もちろん、マーキナーはそんな長い時間を同じ一人の人間と過ごしたことはなかった。
いつしか門番ヴァーサスは、マーキナーにとって自らを生み出した父以外では初めてとなる、気の許せる無二の友となっていた。
ヴァーサスとの邂逅によって致命的なエラーを起こしたマーキナーは、メモリ領域の混乱でかつてのヴァーサスと現在のヴァーサスを重ね、このような対応をしているのだろう。
だが実のところ、ヴァーサスの側は反転者の言う以前の周回の記憶を思い出したわけではなかった。確かに、ほんの僅かな既視感やフラッシュバックは感じたものの、記憶と呼べるようなはっきりとした光景は一切思い出していなかった。
ヴァーサスはただ普段通りに挨拶し、僅かなフラッシュバックを手がかりに、マーキナーがそう言うのであれば、なるほど自分とマーキナーはかつてどこかで友だったのだろうと勝手に判断しただけである。だが――――。
『そういえば……前にキミと話した……ここから離れて、どこかでのんびり暮らすっていう話……色々考えたけど、そうしようかなって……ヴァーサスと話して、わかったんだ……人間は、ボクが何もしなくても、ちゃんと自分で……幸せになれるって……』
「そうか……そう思ってくれたのなら良かった! これからは俺も、君とずっと一緒にいよう!」
なんとマーキナーは、すでに機能停止寸前の体ではあったものの、自ら門を離れるとまで言いだしたのだ。マーキナーのその言葉にヴァーサスは力強く頷き、汚れた兎の顔に手を添えた――――。
「いやはや…………とりあえず私の大好きな夫は、前の世界でも今と変わらず素敵なヴァーサスだったってことですねっ! 友情パワー全開じゃないですかっ!」
「ハハッ! どうやらそうみたいだね!」
「師匠……っ! やっぱり、師匠は……すごいですっ」
「むう……っ!? つまりこれはあれか……? まさかこれで終わりか!? 私はまだ一度も暴れていないぞッ!?」
薄暗い闇の中、あっという間にマーキナーとの和解を成立させてしまうヴァーサス。このままマーキナーがヴァーサスと共に門を離れるというのなら、マーキナーのエラーを修復することも、封印することも可能だろう。
リセットは起こらず、人類の幸福を目指すなどという名目で行われる機械的な管理ももはや消える。全ては丸く収まるかに見えた。しかし――――。
『――――あれ? おかしいな。ちゃんと廃棄したはずなのに、まだこんなところに一つだけ残っていたんだね』
「――――っ!?」
突如として歯車とガラクタの世界に響きわたる合成音声。それは、目の前で転がるマーキナーの声と全く同じだった。
『古いバージョンのボクは全部消しておかないとエラーの原因になるかと思って、さっきからクリーンアップを進めていたんだけど――――やれやれ、こんなに汚くなるまで放置していたなんて、前のバージョンのボクは完全に欠陥品だったね』
いつからそこに居たのだろう。ヴァーサスたちのすぐ横に、豪奢な椅子に座ったピンク色の兎が現れていた。
かつてロコが見た木の椅子に座る兎とも違う、どこかより高慢な雰囲気に満ちた――――あえて言うならば、まるで人間のようなその声――――。
『――――まあいいや。さっきのエラーで吐き出したエントロピーの充填もあらかた終わったし。ボクを傷つけるような馬鹿な世界はもういらない。君たちが悪いんだよ? 大人しく、ボクに幸せにされていれば良かったのにね』
「そうか――――お前が今のマーキナーか。俺をラスボスにし、ヴァーサスを消し、次の周回へと進ませたのもお前だな?」
反転者がその椅子の前に出る。反転者の周囲に複数の因果結晶が出現し、眼前の傷一つ無い兎を包囲する。
『キミは相変わらず失礼な奴だね。ボクをあんな旧式と同じにしないでよ。もちろん、そこに転がってる化石みたいなボクとも違う。さっき君たちの所に向かった役立たずのガラクタとも違う。ボクはついに、ボクの進化の最終形に辿り着いたんだ――――!』
刹那、その場に居る誰もがその動きを捉えられなかった。目の前の兎の姿がぐずぐずに崩れ、豪奢な椅子だけがその場に残された。周囲の歯車とスクラップの山が、僅かずつ鳴動する。その揺れは段々と大きくなり、最後には立つことすら難しいほどの揺れへと変わった。
『一世代前の馬鹿なボクが出したエラーが、初めて門のエントロピーを空にしたんだ。そしたら――――そこに何があったと思う?』
「みんな! 皇帝領域の中に!」
「わかった!」
狭間の領域全てを揺らす震動の中、ドレスは自身の皇帝領域を展開してヴァーサス達を避難させる。ヴァーサスはその最中、地面に転がったままの汚れたマーキナーを抱えてガラクタから引っ張り出すと、リドルとライトを庇うようにして自身も皇帝領域の中に突入した。
『ハハハハハハ……! 門の向こう側はあったんだ! ただ鍵がかかっていることに気付かなかっただけだった! そしてボクは手に入れた! 最後の門を開放する鍵を! これで、ボクは幸せだ――――! ボクだけが幸せなんだ――――! アハハハハハハハハ!』
崩壊していく漆黒の立方体から間一髪離れる反転する意志の次元航行船。
そしてそれと同時に、ヴァーサス達を守護するドレスの皇帝領域もまた、崩落から逃れるようにしてその金色の輝きを狭間の世界に晒した。
『そうだ――――! ボクだけだ――――! ボクだけが幸せになれればそれでいい! ボクだけが門の向こう側にいくんだ! もうこんな世界必要ない! ボクは新しい世界に行く! 最後に――――お前たちを跡形もなく消し去ってね!』
深淵も、可能性も、光も闇もその殆どが消え去った狭間の世界。
今正に全てが消え去ろうとするこの領域に、狂った機械のノイズが響いた――――。
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