リドルと黒姫。
二人のリドルがこの時間軸へとやってきてから、目の前の世界では瞬く間に数日が過ぎた。
その間、小さなヴァーサスとクルセイダスは門の下で様々なことを話した。
それは、二人だけの世界だった。
お互いを認識できるのはお互いだけ。誰もヴァーサスとクルセイダスの会話を邪魔する者はいない――。
「本来ならば、俺が君のご両親を探してやりたいところなのだが……もはやここまで消滅が進行していては、ご両親も君に気づくことはできないだろう……不憫なことだ……」
「…………?」
「だが俺は知っている。君の名がヴァーサスだということ。そして、君がこれから誰よりも強くなり、あらゆる世界を守る立派な門番になることも――――」
「門番…………ヴァーサス…………?」
「ああ……その未来を守るために、俺はここに立っているのだ……」
クルセイダスは、決してその場を動かなかった。彼は常にナーリッジの門の影に一人立っていた。何も口にせず、ヴァーサスと違い眠ることもなかった――――。
「黒姫さん……あなたは今まで、お父さんの過去を見ようと思ったことはなかったんですか……?」
「……もちろんありますよ。本当なら私だって知りたかった……クルセイダスが……あの優しかった大好きなお父さんが……どうしてあんなことをしたのか……っ」
今日も変わらず、何かを待つように門の前に立つクルセイダスと、その横にちょこんと座る小さなヴァーサスの背中を見ながらリドルが黒姫に尋ねた。黒姫は沈痛な面持ちで俯き、自らの腕を握り締める。
「でも……遅かったんです。私がそう思ったとき、そして今のように門の力を使えるようになったときには、私の世界は私が自分で壊した後でした……過去に戻るとか、そういう話じゃ無くなっていたんですよ…………っ」
「そうだったんですね…………でもそれなら、他の世界の私達はどうだったんです? 中には似たような運命を辿った世界もあったんじゃ……」
「それは…………っ」
黒姫はリドルのその問いに、すでに沈んでいた面持ちにさらなる深い影を落とした。
黒姫は今までも決して他の次元の自分たちがどうなっているのか。他の世界がどのような状況になっているのかを言おうとはしなかった。しかし黒姫は意を決したようにリドルを見つめると、ずっと固く閉ざされていたその言葉をついに発した。
「白姫……今のあなたは、私と同じ門と融合を果たした座標の支配者です。以前は私一人であなたとこの世界を守ろうと思っていましたが、これからは違います。これからは私たち二人で、なにがあっても絶対にこの世界を守りたい。そのためにあなたの力を貸してくれますか――?」
「当たり前じゃないですか! 私にとってもこの世界は絶対に大事なんです! そんなの聞かれるまでもないですよっ!」
リドルのその力強い声に、黒姫もまた頷く。
そして静かに瞼を閉じた後、一呼吸置いて口を開いた。
「白姫…………落ち着いて聞いてください。あなたが存在するこの世界以外のあらゆる次元は、今あなたがヴァーサスと一緒に暮らしているあの時間まで到達していません。一つの例外も無く、全ての次元がその前に滅びてるんですよ――――」
だが、その時である。
「…………!」
「――――来たか!」
黒姫の発したその驚愕の事実に驚く暇も無く、目の前に大人しく座っていた小さなヴァーサスが何かを見つけたように門から遠くの平野へとその眼差しを向けた。
そして、それは今まで決してその場を動かなかったクルセイダスも同様。
ヴァーサスが駆け出す。トコトコと門の跳ね橋を駆け抜け、まるでなにかに引き寄せらされるようにナーリッジから離れていく。
見れば、既にクルセイダスも動いていた。
その手に持った全殺しの槍を力強く握り締め、今にも消えそうな自身の存在をなんとか保ちながらヴァーサスの後を追う。
「黒姫さんっ! 私たちも!」
「わかってます!」
走り出した二人を追い、さらにその後に続くリドルと黒姫。
やがてナーリッジから離れた何も無い荒野で小さなヴァーサスは立ち止まる。その何も映さぬ青い瞳は、ただ一点、なにも存在しないはずの虚空をじっと見つめていた――――。
『最後の一人が見つからぬと思えば――既に俺の全殺しの槍を解析し、狭間の武具を複製していたか……。面倒なことだ。その子供と貴様だけでなく、あの女もこれからは消して回らなければならんではないか――』
「――っ!?」
「なに……これ……っ!?」
声が響く。
リドルと黒姫、双方がその声に心臓を刺し貫かれたような絶望と恐怖を感じた。
それは門と融合し、あまねく全ての次元において最高位へと到達したはずの二人の門の支配者が、その声を聞いただけで逃走するしかないと――――否、逃走しても無駄だと悟るほどの圧倒的高次元から響く声だった。だが――――。
「……そうはさせん。お前の目論見も、その存在もここで断ち切る。そのために俺はここでお前が来るのを待っていたのだ……!」
だが、それでもクルセイダスは前に出た。
小さなヴァーサスを庇うように背後に回し、その手に持った全殺しの槍を虚空に向かって掲げたのだ。
『……薄汚いこそ泥風情に何が出来る? この場に到達するまでに貴様は何度妻子を殺め、何度同胞をその手にかけた? すでに因果は収束した。貴様も、貴様が必死に守ろうとしているその子供も、どちらも最早俺が手を下すまでもない。放っておくだけで消え去る塵のような存在……それが貴様だ』
瞬間、周囲の景色が砕けた。
比喩では無い。周囲を囲む目に見える景色が、まるでガラスや鏡が割れるかのような立体と質量を持って砕け散ったのだ。
その先に広がるのは渦巻く青と赤の世界。かつてリドルが見た狭間の世界に似ていたが、それよりも遙かに利己的で、絶対的なエゴに満ちていた。
そして、その赤と青の世界の渦の中心に立つ一人の男――――。
深々と灰褐色のローブを被った人影が、その場に居合わせた全員の目に飛び込んでくる。
男は全てを凍てつかせるような圧倒的領域の波動と共にクツクツと笑うと、ゆっくりとその手を上げる。
『……既に、他のあらゆる次元の貴様は抹殺し、そこにいる子供も一人残らず俺が消した。最後に残されたこの次元も、結局は他の世界の因果に引きずられ、同様の結果に収束する。それが今の貴様ら二人の姿だ。他の次元の貴様が一度でも俺に勝利する因果を紡いだことがあったと思うか? ましてや今の消えかかった貴様に何が出来る……』
「……だろうな。お前は強く、俺は弱い。お前は俺を恐れていない。だが――」
クルセイダスが、ゆっくりとその手に持った全殺しの槍を構える。
「そんなお前が恐れるのがこの子だ! お前はこんな子供一人に怯え、恐れおののいている! 全ての次元からその存在を消さねば夜も眠れぬほどに! 笑えるではないか! あらゆる次元をその手に収めようとする男が、こんな子供一人に怯えているのだから! そうだろう! 反転者よ!」
クルセイダスが、自ら反転者と呼んだ影めがけて駆ける……!
――が、遅い。あまりにもその攻撃は遅かった。
クルセイダスの繰り出したその攻撃は、まるで一般的な身体能力を持った無力な人間の兵士のよう――。
「お父さん――――っ!?」
その動きを見た黒姫が声を上げた。黒姫は覚えていた……その動きを。
どこにでもいる、ただの門番で安月給の、何の力もない父。
それでも優しかった、大好きだった父が毎日欠かさなかった槍の訓練の時に見せた、その動きを――。
『俺を馬鹿にしているのか……? たとえ俺の槍をかすめ取ろうと、貴様のような奴を全殺しの槍が主と認めるわけがなかろう』
「ぐあ――っ!」
反転者はクルセイダスが繰り出したその一撃を、まるで羽虫でも払うかのようにその手で軽々と弾く。
弱い。目の前に立つクルセイダスは、あまりにも弱かった。
リドルは父が闘う姿を見たことが無かった。ただ伝説の門番という伝聞から、なんとなくヴァーサスや他の門番達のような超常の存在であるかのように思い込んでいた。しかし、これは――。
黒姫は知っていた。父がただの雑魚門番であることを。それでも門番としての自分に誇りを持ち、笑顔を絶やさず、家族や街に住む人々のために日々門の前に立っていたことを――。
『待ち構えていたというから何か策でもあるのかと思えば……何も変わっていないではないか……つまらん』
無様に倒れ伏し、受け身も取れずに倒れるクルセイダス。そのクルセイダスの背に、呆れたような反転者の声が届く。しかし――。
「……く……くくっ……くくく……っ」
『……この状況で笑うとは……気でも触れたか?』
クルセイダスは笑っていた。肩を震わせ、抑えきれぬ喜びとおかしみをはき出すようにして笑っていた。
「そうか……っ! お前の目から見て、なにも変わっていないように見えるか…………っ!? ならばいい! それでいい! 最後までそう思っているがいい! なにも変わっていないと! なにも恐れるものなどないと!」
クルセイダスが立ち上がる。そして再びその背にヴァーサスを庇うように両の手を広げ、その灰色の瞳に青い雷光を迸らせる。
そして今にも消えそうな自身の領域を精一杯展開すると、再び全殺しの槍を構えたのだ。
「俺の名はクルセイダス……! この世界とこの子を守る門番だ……! 反転者よ! お前にこの世界とこの子を害する許可は与えられていない! 故に、お前は今ここで――!」
瞬間、今まで一切の反応を見せなかった全殺しの槍が、眩い閃光を発して長大な一振りの槍――ヴァーサスしか成しえなかった真の力を解放した姿へと進化する。
「――――この俺が切り捨てるッッ!」
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