――――うれしいな……君は、ボクの初めての友達だよ――――
「――――っ!? 今の、声は――――っ?」
瞬間――――脳裏によぎったその声に、ヴァーサスの意識は刹那の断絶を余儀なくされた。ヴァーサスは僅かに頭を振ると、一度は途切れた意識を繋ぎ直す。
辺りは真昼だというのに新月の夜のように暗く、その闇の向こうから二つの紅い眼光がヴァーサスをじっと見つめている。
それは、赤く点滅する兎の瞳。
一瞬で暗闇に包まれた世界の中。その赤く輝く瞳は、まるで鮮血の涙を流しているようにも見えた。
『教えて下さい――――門の向こうには行けません――――行き止まりなんです。世界は、ここで終わり――――ボクは――――どうしたら――――エラーが――――』
「門の、向こう…………教えてくれマーキナー! 君の言う、門の向こうとはなんなのだっ!? それが君をおかしくした原因なのか!?」
先ほどまでのはつらとした流暢な合成音声は消えた。今や、ただ同じ内容の言葉を繰り返すだけとなったマーキナー。ヴァーサスは地面に転がる兎の頭部を抱え上げると、やるせない思いを吐露するように呼びかけた。
「ヴァーサス! 見ろっ!」
「あ……ああ……そんな……っ!」
上空を見上げる黒姫の声が響く。目の前のマーキナーに気を取られて気付かなかったが、ヴァーサスがこの闇を見るのは二度目だった。
深淵ラカルム。かつて、確かに分かり合い、絆を結んだはずの破滅の結末。
それが今、ついにこのヴァーサス達が住む世界へと舞い降りたのだ。
しかも、その力はかつてクロガネの世界で戦った時の比では無い。こうしている間にも、ヴァーサス達は全てを飲み込もうとする絶対的な闇の意志を感じていた。
不思議と以前のような侵蝕は始まらなかったが、だからこそ目の前に現れた深淵の力が、かつてより絶対的で絶望的であることはこの場に居る全員が理解出来た。
「そんな――――! ラカルムさん! 聞えますか!? 私ですよ! リドルですっ! 聞えてたら返事してくださいっ!」
「無駄だよリドル君――――反転者たちから聞いているだろう? ラカルムさんも元はと言えばマーキナーによって生み出された存在なんだ。きっと、マーキナーがそう望めば、ラカルムさんに拒否することはできないはずさ」
「で、でも……さっきマーキナーさんはこの世界は守りたいって……っ」
「やはり、壊れた機械の言うことなど信用できんということだ……こうなった以上、やるしかあるまい……ッ!」
完全にかつての破滅と絶望の化身へと逆戻りしたラカルムの姿に、リドルは悲痛な声で呼びかけた。リドルの腕の中のライトが、僅かにその赤い瞳を開き、何事かと驚いたようにその視線を上空の闇へと向ける。
「く……っ! ラカルム殿は君が呼んだのか!? 一体どうしたというのだっ!?」
『――――人類を幸せにすることは不可能――――門の向こう側は存在しない。人類は閉ざされている。永遠に幸福を得ることはない――――Deletion process. Start――――削除プロセス、開始します――――』
その言葉を残し、ヴァーサスに抱えられた兎の頭部と、倒れていたぬいぐるみの胴体は跡形もなく霧散する。後には肩を震わせるヴァーサスと、迫り来る深淵を迎え撃たんとする仲間たちが残された――――。
「ヴァーサス……やれるかい?」
「――――ああ。無論だ、ドレス」
片膝をつき、じっと何事かを考えるヴァーサスにドレスが声をかける。今の彼らに悩んでいる時間はない。たとえ何があろうとも、大人しく滅びるわけにはいかない。そして、そう考えているのはヴァーサス達だけではなかった。
「――――揃っているな。少々予定が早まったが、最後の門に向かうぞ」
「反転者殿!?」
「少し遅くなった。実は私たちの船にもマーキナーが来て、私のヴァーサスを門の管理者にしようと誘ってきた。私たちはまだ話している途中だったけど――――もしかしてこっちでなにかあった?」
ヴァーサス達が迫り来るラカルムへと迎撃の態勢を整えた最中、その場に何の前触れもなく反転者とロコ、そして全長百メートルほどの巨大な船が出現する。
ヴァーサス達の前に立った反転者は努めて冷静に言葉を発していたが、やはり突然の事態に僅かな動揺が見え隠れしていた。
「――――説明は後だ。事前に話していたとおり、お前たちの力を借りたい。マーキナーの待つ最後の門へと赴き、マーキナーの本体を破壊する」
「――――それは前にも聞いたが、出来るのか? 確かお前たちの策では、奴を倒すにはこの狭間の世界に十分なエントロピーが満ちていることが条件だったはず。だからこそ、生まれながらの特異点とも言えるライトの誕生を待ったのであろう?」
「そうだ。俺たちも奴のリセットに対しての防護策は用意していたのだが、まさか奴がこの宇宙だけを残すような真似をすることは想定外だった。しかし、おかげでこの狭間の領域のエントロピーは未だに減少することなく残っている。 ――――まだ間に合う」
反転者は黒姫の疑問に答えながらぐるりと一同を見回すと、最後にヴァーサスへと目を向ける。
「行くぞ、ヴァーサス」
「無論だ。俺たちの準備は出来ているっ!」
ヴァーサスは反転者の持つ自身と同様の蒼い瞳をまっすぐに見つめ、頷く。
「もちろん、私も行きますよっ! ライトちゃんも行く気満々です!」
「当然この黒姫も行くぞッ! 今こそヴァーサスの翼となるときが来たのだッ!」
そしてヴァーサスの左右から同じように気勢を上げるリドルと黒姫。しかしそんな二人に、ロコが僅かな逡巡を見せる。
「――――全員は連れて行けない。ここの門を守る人が必要。私たちがマーキナーを倒しても、その時にこの門が壊されていれば結局は同じ。狭間の世界から全ての宇宙は消えてなくなる」
「なるほど――――しかし、ラカルム殿とまともに戦えるのは――――」
ロコのその言葉に、迷いの表情を見せるヴァーサス。
ヴァーサスやリドル、ドレスや黒姫といったこの世界でも最強クラスの戦力は、どうあってもマーキナーとの戦いに必要だった。しかし、では誰がヴァーサス達が留守の間にこの星を守るのかという点が問題になった。
だが悩んでいる時間はない。ドレスと黒姫が殆ど同時に前に出ると、互いに自分が残ろうと宣言しようとする。しかしその瞬間、反転者達の乗ってきた船のすぐ横に、轟くような雷鳴と共に完全武装した巨躯の男が降り立ったのだ。
「――――ならば、ここはこの俺に任せて貰おう。お前たちはそのふざけた存在の元に向かえ」
「ウォン殿っ!」
遙か上空から降り立った男。それは門番ランク2――――天帝ウォンだった。
現れたウォンの全身には今にも破裂しそうなほどの充実した気が満ちあふれ、既にウォンの力を知っているドレスやヴァーサスですら、思わず後ずさるほどの凄絶な領域を展開していた。
「天帝ウォン・ウーか――――しかし、いかなお前でも真の力を解放した深淵には敵うまい。 ――――死ぬ気か?」
「ヴァーハッハッハッ! この俺を誰だと思っている? 俺は今この時まで、口にした約束を違えたことは一度たりともないわッ! 反転者よ! 舐めた口をきく暇があれば、さっさと貴様らの目的を果たしてこいッ!」
ウォンは反転者からの言葉に狂暴な笑みを浮かべると、ヴァーサスからドレス、そして最後にミズハへとその鋭い眼光を向け、声を上げた。
「行けぃ! ヴァーサス! ドレス! ――――そしてミズハよ! クルセイダスが遺し、俺がここまで待ち続けた我らが門番の力――――今こそ示して見せろッ!」
「――――無論だっ! ここは任せたぞ、ウォン殿!」
「――――わかったよ、ウォン。僕たちの大切なみんなのこと、頼んだよ」
「ウォンさん……っ! ミズハ・スイレン……この世界を守る門番として、立派にやり遂げて見せますっ!」
迫り来る破滅の時。もはや一刻の猶予もないこの状況。
その場に居合わせた最強の門番達は互いに最後の言葉を交わして頷き合うと、門番として守るべきものを守り、その責務を果たすべく。それぞれの死地へと赴くのであった――――。
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