帝都ディガイロンの多重階層構造はその成り立ちに起因する。
過去、ディガイロンは巨大な太古の遺跡だった。デイガロス帝国は今年で建国三百年を数えるが、ディガイロンの成り立ちは帝国そのものよりも遙かに古い。
デイガロス帝国が強大な力を誇るようになってしまったため、ディガイロン本来の構造体である遺跡の発掘や調査はほとんど外部からは行われていない。
しかしデイガロス帝国が大陸でも進んだ技術を持つのは、この遺跡の力によるものだという噂は長年囁かれてきた――――。
吹き抜け状になった縦穴の中を、巨大なプラットフォームが軽快に滑り降りていく。その縦穴には四方から暖かな光が射し込むようになっており、下層へと下っていく間にも、通り過ぎる区画の街並みや人通りの賑わいを眺めることができるようになっていた。
「七番機の稼働開始により、門番皇帝の道の朝晩の渋滞は改善見込みです。八番機、九番機、の稼働開始日程にも変更はありません」
「うん。それはいい報告だね。でもなにか問題があればどんな些細なことでも報告するように。もし事故が起これば本当にとんでもないことになるからね」
「その件についてですが、先だって開発部に参加されたロウボ博士から、各プラットフォームに重力断層障壁を設けてはどうかとの提案がありました。こちらに纏めてあります」
「――――さすが博士だ。魔力障壁は安定した技術だけど、ランニングコストがネックだからね……。わかったよ、博士のこの提案はすぐに実装の検討を進めるように」
「かしこまりました」
「ねえねえ二人とも、そんなことより帰りに七層寄ってかない? 最近美味しいクレープのお店が出来たって聞いたのよね!」
「へぇ、そうなのかい? なら、もし時間があるようなら寄ってみようか」
「やった! さすがドレス! 話がわかる!」
滑り降りていくプラットフォームの上でもユキレイからの報告を休まず処理するドレスと、そんなものに興味は無いとばかりに縦穴から見える景色に目を輝かせてはしゃぐカムイ。
今彼ら三人が向かうのは帝都ディガイロンの最下層、地下第十三層である。
――帝都ディガイロン、地下第十三層。
ディガイロン最下層区域であるこの場所は、かつて世界の底と言われていた。
当時、そこは人を初めとした理性ある生命の領域では無かった。
腕に覚えのある冒険者でも裸足で逃げ出すような魔物が平気で跋扈し、そんな場所に住む人間もまた、それら魔物を恐れぬ者か、そこ以外に行く場所のない者ばかり。
門番皇帝ドレスが即位し、あらゆる階層に平等に光が当たるようになるまで、帝国内部でも地下十三層の全貌を把握している者はいなかったのだ。
プラットフォームが止まる。巨大な鉄柵と門が開き、三人がその地へと降り立つ――――。
『――――お帰りなさい! ドレス!』
瞬間。比喩でも何でも無く、辺り一帯の空気を震わせる大歓声が響き渡った。恐らく、その歓声は縦穴を通じて帝都のあらゆる階層に届いただろう。
見回せば、プラットフォームの乗降エントランスはすでに無数の人で埋め尽くされていた。全員がその手に様々な門番皇帝グッズを持ち、満面の笑顔で自分たちの王の姿を一目見ようと人混みの山から顔だけを覗かせる。
未だドレスがデイガロス帝国の皇帝になってからようやく四年になろうかというところ。
歳月の短さ故、帝国内部にもドレスの改革が及んでいない場所は多数残っているが、それは同時に、彼が生まれたこの十三層に住む多くの人々にとって、ドレスはつい最近まで寝食を共にした純然たる同胞であることも意味していた。
「おうドレス! 相変わらずガキみてぇな顔しやがってよう!」
「アハハハ! ゼスじいさんは相変わらずじいさんだね! 安心したよ!」
「ドレスー! 今度うちにもまた寄ってよ! あんたならタダでうちの料理食べていっていいからさ!」
「やあミリアス! その気持ちは嬉しいけど、ちゃんとお代は払うよ!」
「カムイ! お前いつになったらドレスとくっつくんだ!? 三日で振り向かせるとか言ってたあれはどうなったんだー!?」
「うっさい! け、計画は順調に進行中……そう! 進行中よ!」
エントランスで待ち構えていた人々に笑顔で手を振り、一人一人に名前まで呼んで受け答えしていくドレス。ドレスに比べれば少ないが、カムイとユキレイに対す歓声も相当なものだ。
この第十三層に住む人々にとって、彼ら三人は正に行ける伝説にして、数々の死線を共にくぐり抜けた紛う事なき戦友だった。
「陛下ー! どうか、生まれたばかりの我が子に名付けを! どうか!」
「勿論構わないよ。かわいらしい子だね、男の子かい?」
「はい! どうか陛下のような強く、立派な子に育つようにと――――!」
「そうだね……なら、この子の名前はヴァーサスなんてどうだい? 僕の親友の名前なんだ!」
「ヴァーサス……! なんという光栄! 必ずや頂いた名に恥じない、立派な子に育てます!」
「ははは! そう気負わなくていいよ! 君がその子を想う気持ちを大切にね!」
「――――陛下……そうホイホイとヴァーサス殿の名前を付け回っていると、この十三層がいずれヴァーサスだらけになる懸念がありますが……たしか今の方で三十七人目だったかと……」
「ハハハハッ! ヴァーサスだらけなんて最高じゃないか! もし敵が攻めてきても、相手がみんなヴァーサスだったら名前を聞いただけで逃げ出すようになるさ! ハハッ!」
「――あれ? もしかして私のドレス内好感度ランキング、ヴァーサスに負けてる……?」
そう言いながらたっぷりと時間を使い、人々と触れ合うドレス。
皇帝になる以前から既にドレスはこの最下層の完全なる支配者であり、そこに住む人々にとっての救いの神だったが、帝国の皇帝にまで上り詰めたことでその伝説はさらに加速した。
今、このエントランスには四方の天井部分から暖かな光が射し込み、そこに闇の付け入る隙間は一切なかった。そう、この光こそがドレスが皇帝になった後真っ先に改革に着手したものだった。
門番皇帝の道と呼ばれるこの改革は、帝都ディガイロンにとってその歴史上最大の革命だった。
それは即ち、地上に降り注ぐ太陽の光を、遙か地下の隅々まで行き渡らせるための光の道の建設。そしてそのための光の道の名前こそが、この門番皇帝の道の正体である。
ドレスは皇帝に即位してすぐ、かつては無秩序に作られていた各階層を繋ぐ無数の縦穴を整理、統廃合した。
帝都の東西南北に往来用の巨大な自動昇降装置を備えたプラットフォームを建設し、それ以外の無数の細かな縦穴は、特殊な技術で作られたレンズ状のトンネルとすることで、地上の光を可能な限り減衰せずに、地下の隅々まで拡散させるために利用したのだ。
結果、人が生まれてから一度も陽の光を浴びずにその一生を終えることも珍しくなかったこの地下第十三層にも、こうして暖かな陽の光が降り注ぐようになった。
ドレスにそこまでの考えがあったかはわからない。しかしこの改革は特に下層における人々の日常生活に途轍もない効を奏した。
――――疫病が減ったのである。
地下の隅々まで届けられた太陽の光が、病弱だった人々の体を頑健にし、大気中を浮遊する害のあるウィルスや病原体を殺菌するようになった。この効果は絶大で、下層に住む人々の中にはドレスを太陽の化身と崇める者まで現れる程だった。
「ところで鉱床の様子はどうだい? なにか困ったこととか、門番皇帝の道の不具合とかは起きていないかな?」
「朝晩の渋滞がちーとばかし厄介だが、新しく作ってるのが後二つも動けばかなりマシになるだろうぜ。ただ最近は俺たち鉱夫より滑りに来る観光客の奴らが多くなってきててな! 危なっかしくて見てられねえ!」
「ハハッ、そうなのかい? アレは僕も子供の頃に何度も遊んだからね。まだ安全性の確保が終わってないから帝国としてはおおっぴらに勧められないけど、滑りに来る人の気持ちは良くわかるよ」
そう言って、顔なじみの全身を泥と油で汚した中年の男と笑みを浮かべて談笑するドレス。ドレスは自身の着衣が汚れることも気にせず、鉱夫たちの中に積極的に混ざって近頃の第十三層の様子について話し合う。
無数の人だかりの中、かつては闇に包まれていた第十三層で誰よりも強い輝きを放つドレス。
彼は闇に生まれ、光に救われた先で自分自身が人々の光にならんと立志した。
そしてそれはいつしか叶い、こうして長く闇に閉ざされていた場所に光をもたらすまでに至っていたのだ――――。
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