「そん、な……拙者の、分身たちが……一瞬でッ!?」
「これが――――門番の力ですっ!」
ある日の昼下がり。ナーリッジのとある貴族宅。
うずたかく積み上げられた数千の人型が一斉にかき消え、一人の黒装束の男がゆっくりと倒れた。
その男の前に立つのは、長い黒い髪を一纏めにした銀色の瞳の少女。美しい桃色のドレスに身を包み、流麗な所作で二刀を鞘に収めるナーリッジのトップアイドル門番、ミズハ・スイレン。
ミズハが残心を終えると同時、周囲に集まっていた多くの警備兵や使用人、そして貴族の間から歓声があがり、屋敷内は興奮の渦に包まれたのであった――――。
「――――助かりましたミズハさん。僕一人では少々時間がかかりそうだったので」
「はい! ラリィさんもお怪我はありませんか?」
先ほどの騒ぎがあった貴族宅を後にし、帰宅の途についたミズハに青みがかった黒髪の女性――――シトラリイは感謝の言葉を述べた。
「僕だけでなく、あの場に居た誰にも怪我一つありませんでした。流石です」
ミズハと連れだって貴族街を歩くシトラリイ。彼女の出で立ちは以前クロガネの世界で見た物とあまり変わっていない。今日は濃紺のジャケットに白いシャツと青いネクタイ。そこに深い茶色のスラックスを合わせている。
ミズハも先ほどの桃色のドレスから、普段の身軽な格好へと戻っていた。
ヴァーサスと知り合う以前のミズハは、平服に関しても一切の隙を見せないアイドル然としたファッションだった。しかし最近はラフで活動的な服装をすることも増え、今も薄手のコートにハーフパンツ、そして足下は動きやすい柔革のショートブーツを身につけている。
――――この日、シトラリイはこの貴族宅で発生した密室殺人事件の調査に赴いていた。シトラリイ自身はすでに犯人の動機も証拠も充分に証明可能な状態であり、あとはその真実を警備兵の前で白日の下に晒すだけ。
今回は少々その犯人の正体に問題があったため、シトラリイは荒事となることも見越してミズハへと同行を依頼していたのだ。
「でも驚きました。まさかあの執事の方が私と同じ国の出身でしたなんてっ」
「ニンジャですね。自分自身は使用人の詰所で大勢の使用人に対して指揮をとりつつ、密かに分身して犯行に及ぶ――――到底一般人に可能な犯行ではありません」
そう、今回の犯人はニンジャだったのだ。しかも生半可なニンジャではない。
手練れのニンジャですら会得が難しいと言われるブンシン・ジュツを自由自在に使いこなすグレーターニンジャだ。しかもそのジュツによって生み出された自身の複製は、本物と同様の肉体すら保持していたのだ。
「そのような腕に覚えのある犯人は、追い詰められれば暴力による実力行使に移行します。警備兵の皆さんには少々荷が重かったでしょう」
「そうですね……最後には三千と四人に増えてましたから」
「ミズハさんが居てくれて本当に助かりました。制圧するのに一秒もかかりませんでしたからね。さすが門番――――といったところでしょうか」
恐らく、ナーリッジの警備兵ではたとえ万を超える数が集まったとしても捕縛することは出来なかったであろう相手。しかしミズハはその恐るべきニンジャを、戦闘開始から僅か一秒で昏倒させていた。
それはもはや、門番だからとかそういったレベルではない。ミズハ自身は気づいていないが、出会った当初のヴァーサスよりも既にミズハは遙かに強くなっている。
「そんな、私なんてまだまだですっ! それに私がいなくても、ラリィさんならなんとかなったんじゃないでしょうか? リドルさんや黒姫さんと同じ、門の力……というのを使えるって聞きました」
「確かに、僕もミズハさんの言う門の力を使えます。ただ、そもそも荒事は僕の専門分野ではありませんから」
シトラリイはそう言うと、歩みを止めないまま自身の手のひらを見つめた。
するとシトラリイの濃紺の瞳に銀色に輝く門が浮かび上がり、広げられたシトラリイの手のひらが僅かな輝きを発する。
それは、間違いなくリドルや黒姫と同様の門の力。シトラリイ自身もこの世界へとやってきてから門の制御については訓練を重ねているのだが、シトラリイ自身も言うとおり、思いのままにその力を使いこなすにはまだまだ時間が必要であった。
「アツマさんにも手伝って貰っているんですが、こういったことには僕も不慣れで」
「そういえば、今はアツマさんとお二人で暮らしているんですもんね。アツマさんとラリィさんがお二人で並んでいるのを見ると、いつも絵になるなぁって思ってるんですっ! ――――私と師匠が一緒だと、いつも親子だと思われてしまうみたいで…………うぅ」
「ミズハさんの師匠――――ヴァーサスさんですね。ミズハさんはヴァーサスさんに好意を?」
何かを思い出したのか、突然しゅんとうなだれるミズハ。シトラリイはそんなミズハを見て単刀直入に尋ねる。
「えっ!? あ、いえ、その……はい。お慕いしています……っ」
「そうですか…………しかし残酷なことを言うようですが、ヴァーサスさんは既婚者ですし、伴侶であるリドルさんとの仲もとても良好なように見えます。もし僕がミズハさんと同じ立場なら、気持ちを切り替えて別のパートナーを探しますが」
きっぱりと現実を突きつけるようなシトラリイの言葉に、ミズハは俯き、僅かに唇を引き結ぶ。しかしすぐに気を取り直したのか、とても真剣な表情で口を開いた。
「はい…………それは、私も良くわかってます。きっといつかは、私もそうしないといけない時がくるんだろうなって…………でも今はもう少しだけ、私が初めて気づいてあげられたこの気持ちを大切にしてあげたいんです……」
ミズハは自身の胸の前で片手を握り締め、その銀色の瞳で目の前の道をまっすぐに見つめる。
「それに私、リドルさんのことも大好きなんです。師匠とリドルさんのお二人がどんどん仲良くなっていくのを見ると、私まで嬉しくなって元気を貰えるんです。うまく言えないんですけど……最初はあのお二人の輪の中に私も混ざれるのが嬉しくて――――今はそこに黒姫さんもいて――――」
「ミズハさん……」
「――――きっと、それほど遠くないうちに、あの楽しくて暖かい場所から私も歩き出す日が来るんだろうなって……わかるんです。だから、せめてその時までは、私もあの門の前に……師匠やリドルさん、黒姫さんの居る場所にいたいなって――――」
ミズハのその言葉は、とてもではないが綺麗に纏まっているような内容ではなかった。矛盾しているように感じる部分もあったし、気持ちの整理が完全についているようでもなかった。だが、その言葉を聞いたシトラリイは僅かに微笑み、隣で歩くミズハに優しい眼差しを向けた。
「――――そこまで自分の気持ちと向き合えているのなら、僕から言うことは何もありませんでしたね。今のミズハさんが感じているその思い……大事にしてあげてください」
「はいっ! ありがとうございます!」
シトラリイのその言葉に、ミズハは満面の笑みを浮かべて頷く。
ミズハは決して現実をねじ曲げてもいないし、自分自身の気持ちを偽ったり、誤魔化したりしているわけでもなかった。
不器用ながらもミズハ自身で何度も何度も必死で考え抜き、その結果として辿り着いたのが先ほどのあの纏まりの無い、しかしありのままの自分自身の気持ちを現わした言葉だったのだろう。
シトラリイもそれが良くわかったからこそ、それ以上彼女に何かを言うことは止めた。ミズハはしっかりしているように見えて、まだ十四歳の少女なのだ。
そのミズハが自分なりに考え抜いた答えを既に持ち合わせているのなら、シトラリイに出来ることはそれに横から口を出すことではなく、彼女に何かあったときにいつでも力になれるよう傍で見守ること――――シトラリイはそう判断した。
「もしこれから先、なにかミズハさんが困ったり、悩んだりすることがあればいつでも言ってください。僕で良ければ、相談相手くらいにならいつでもなりますよ」
「わかりました! その時はよろしくお願いしますっ」
互いに笑みを浮かべ、そのまま歩いて行く二人。
だがしかし、間もなくそれぞれが別方向へ分かれる道へと差し掛かったとき、突如としてシトラリイの胸元からベルの音が鳴り響いた。
「――――失礼。アツマさんからですね」
それはシトラリイとクロガネがリドルから渡されていた小型の通信装置だった。エルシエルの手によって作られたそれは、特に通信技術の発達した世界に住んでいた二人にとってはとてもありがたく、こうして今も二人の連絡手段として大いに活躍していた。
「はい。どうかしましたか?」
リドルの持つ物と全く同一の、銀色の懐中時計を口元に当てるシトラリイ。
クロガネとのやり取りが進むにつれ、シトラリイの表情が変わる。
『――――反転者がヴァーサスと会いたいそうだ――――』
そしてシトラリイの横に立つミズハにも、懐中時計から漏れ聞こえるクロガネのその言葉は届いていたのだった――――。
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