「睡蓮双花流――――演舞、奉天雪月花」
四方に蝋燭の炎が燃える夕闇の道場の中。
ミズハの静謐な声が響く。
板張りの道場中央。
そこでは門番としての正装に身を包んだミズハが、自らの愛刀である双蓮華を抜き放ち、大気そのものを切り裂くような流麗な剣舞を披露していた。
一纏めにされた長く美しい黒髪が清流のように舞い、トウゲンの伝統衣装を元にしてナーリッジでアレンジが加えられたミズハお馴染みの薄緑色のゆったりとした着衣が、ミズハの所作に合わせて音も無く揺れる。
かつて、ヴァーサスと出会った頃の幼さ、あどけなさはそのままに。しかし今年で十七歳となったミズハからは、本来の彼女が持つ可憐さと共に、野花のような力強い美しさすら感じられるようになっていた。
ミズハがその刃を一振り、一突きする度に周囲に充満する大気と気配が両断され、霧散する。その完成された動きは、見る者全てが息を呑む精緻と美の極致だった。
「――――以上です。ありがとうございました」
「ふ、ふおおおおお――――っ! す、凄いッス! 凄すぎて何言って良いかわからないくらい凄いッス――――!」
「本当に凄い……っ。やはりミズハは、配信では全く本当の力を出していなかったんだな……っ」
「ありがとうございますっ! これもお父様やお兄様から受けた教えのお陰ですっ!」
ミズハが双蓮華の刃を鞘に収め、道場正面に向かって厳かに礼をする。
すると張り詰めた道場の雰囲気は一瞬で霧散し、それを見ていたカーラとミズハの兄であるカズマは、ミズハの演舞中ずっと止めていた呼吸と共に感嘆の声を発した。
「やっぱりミズハさんの剣術は世界一ッス!」
「ふふっ。ここでお稽古をしていると、子供の頃を思い出します。あの頃と何も変わっていない……どんなに離れても、やっぱり私の剣の始まりはここなんだって、凄く心が落ち着くんです」
「いや……それは、どうだろう。正直、改めて見せられてわかったけれど、既にミズハの剣は、俺や父上の扱う剣とは全く違う高みに至っている。俺達がやったことなんて、何の意味も…………」
「お兄様……?」
ミズハの言葉に、俯いてうなだれるカズマ。
カズマの言う通り、すでに概念すら断ち切るまでに至ったミズハの剣は、もはや常人の計りを遙かに超えている。
ミズハが望めば、この宇宙に斬れない物は存在しない。
逆もまたしかり。彼女の刃は斬ると決めた物だけを斬り、斬らぬと決めた物は傷一つ無く透過させることすら出来るのだ。
それは、ミズハが門番だからという理由だけではもはや説明も出来ない。
この宇宙が生まれてから今この時まで、ミズハ以上の剣の腕を持つ生命体は一つも誕生していない。そういうレベルの話だった。
「やはり、ミズハは俺達とは違う…………俺なんかがいくら頑張っても…………」
「お兄様、それは……っ」
圧倒的実力差をまざまざと見せつけられ、失意に沈むカズマ。
ミズハはそんな兄にどのような言葉をかけて良いかわからない。
なぜなら、今のミズハがかつてのように『自分はまだ未熟』などと口にしても、それは武門に身を置くほぼ全ての相手にとって理解不能な言葉にしか映らないからだ。
今のミズハは、かつてのヴァーサスの背を追っていただけの頃とは違う。
既に自分が多くの人々よりも強く、だからこそ門番として、人として大勢の人々の希望になるのだという信念と自覚を持っている。
ヴァーサスがあれ程までに信じてくれている自分を、ミズハ自身が信じなくてどうするのか?
更なる高みを目指す気持ちはそのままに、しかし自らの未熟さを恥じることはもうしない。ただ前へ、今の自分に出来ることを。それが今のミズハが辿り着いた境地だった。
だがそれ故に、既に剣において高みにあるミズハがカズマにどのような声をかけようとも、それは兄の心を傷つけるだけ。その事実も、ミズハは既に誰よりも理解していた。だが――――
「ふおーーーーっ!? お話の途中で申し訳ないッスが、今のミズハさんを見てたらうずうずが止まらなくなってきたッスーーーーッ! ミズハさんのアニさん、自分ちょっとここで稽古させて頂いてもいいッスか!?」
「え!? ええ、構わないけど……」
「おお――――!? 部屋の隅っこに殴りやすそうな人形が一杯立ってるッスーーーー! これで修行するッスーーーーー! うおおおおおっ! チェストーーーーッス!」
カズマの悩みなどつゆ知らず。
突如としてカーラはその両目に燃えさかる炎を浮かべて立ち上がると、そのまま凄まじい勢いで稽古を始めてしまった。
「やっぱりミズハさんは凄いッス! めちゃくちゃッス! とんでもないッス! 自分も――――自分もミズハさんみたいになりたいッス! ミズハさんみたいに、立派な門番になりたいッス! もっと、もっと頑張るッスーーーーーッ!」
「す、凄いな……っ。熱気がこっちまで伝わってくる……あの子は、ミズハの弟子……なんだろ?」
「はい…………そして、私の大切なお友達ですっ!」
二人が見守る前で、荒削りだが凄まじい勢いの連撃を繰り出すカーラ。彼女の顔には笑みが浮かび、抑えきれぬ情熱を発散せずにはいられないようだった。
「お兄様……今のカーラさんの腕前は、お兄様と殆ど同じくらいです」
「たしかに……そう見えるよ……」
「キエーーーーッ! 目ッス! 耳ッス! 鼻ッスーーーー!」
「カーラさんはまだ門番になったばかりですけど、きっと……これからあっという間にお強くなると思います。でも、カーラさんはつい一ヶ月前まで、どこにでもいる冒険者さんで、オーガと戦うのもやっとの腕前だったんですよ」
「っ!? 一ヶ月……!? たった一ヶ月で、ここまで!?」
カーラの姿を微笑みと共に見つめるミズハの言葉に、カズマは信じられないとばかりに言葉を失う。
オーガと言えば確かに手強い魔獣ではあるが、今のカズマであれば相当に余裕をもって倒せる相手だ。目の前で力強い一撃を放ち続ける少女が、つい一ヶ月前までそのオーガとほぼ互角だったなとどは、カズマにはとても信じられなかった。
「お兄様の辛さは、私にもよく分かります。旅の途中、門番の方の戦いを初めて見た時、私もとてもショックを受けたのを覚えています……」
「門番の……? ミズハにも、そんなことがあったのか……」
「はい……でも、私はその時こうも思ったんです。凄いって……こんなに強い人達が、この世界にはいるんだって。私も……あの人達みたいになりたいって」
ミズハはその時の光景を思い出すように目を細め、穏やかな表情でカズマに語る。
門番になると決めたミズハが、その後どのような道を辿ったのか。
歌や踊り、トークやファッション。その他諸々を寝る間も惜しんで勉強し、様々な地方の貴族や王族を回って門番試験を受けたこと。せっかく門番になったにも関わらず、一度はその情熱も薄れていったこと。
そして、そんな中でヴァーサスという師に巡り会ったことを――――。
「こうして一生懸命頑張るカーラさんを見ていると、私まで元気が貰えるんです。これから先どれだけ時間が経っても、今のカーラさんの姿を忘れないようにしたい――――きっと師匠と出会った頃の私も、カーラさんと同じ目をしていたと思うから――――」
「ミズハ……」
「お兄様……ミズハは、お兄様の辛さや苦しみを共に背負うことはできません。ですが、それでも……ミズハは、お兄様がご自身にとって悔い無き道を歩めることを、いつも祈っています。たとえ、それが剣以外の道であったとしても……」
その銀色の瞳をまっすぐに向け、そうカズマに語りかけるミズハ。
ミズハの瞳に射貫かれるようにして立ち尽くすカズマは、自身の鼓動の奥で、消えかけていた火が再び灯るのを感じていた――――。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!