『オオオオオオ……』
赤く染まった世界に産声が響く。
かつて、あらゆる次元で産まれることのなかった、完全に新たなる存在。
それがたった今、この場で生まれ落ちたのだ。
その目の前の赤子にも似た異形が音を発する度、視界そのものが歪み、色が変わり、見えている景色そのものが変わった。
星を覆うダストベリーの障壁が軋み、震えた。
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『名も無き神』
種族:神?
レベル:不明
特徴:
この次元に現れた新たなる特異点。
無数の異常な原因因子が混ざり合い、この存在が誕生する因果が紡がれた。
あらゆる平行次元においてこの存在が誕生したことはなく、故に全てが不明。
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それまでただ瞳を閉じ、その持てる力全てを障壁へと注いでいたダストベリーの表情が歪み、その美しい唇の端から一筋の鮮血が流れ落ちる。
「ダストベリーさん! 大丈夫ですか!?」
「大丈夫……? どこか怪我した……?」
「……お二人とも、ご心配くださりありがとうございます。この程度、ヴァーサスさんに障壁を貫通された時の痛みに比べれば、全然大したことないですわ……うふふっ」
「ダストベリーさん……」
異変に気付き、すぐさま駆け寄ったリドルと、ふわふわと浮遊しながら近づいて来たエアの二人にダストベリーはにっこりと笑みを浮かべる。しかしリドルには、ダストベリーのそれが強がりだということはすぐにわかった。
今まで大陸全土で発生した神の攻撃ですら、並大抵の威力ではなかった。それこそ何百回も星一つを破壊可能なダメージを、ダストベリーはたった一人で受け続けていたのだ。
よく見れば、ダストベリーはすでに大量の汗をその全身に滲ませ、その青い瞳からは鮮血が滲んでいた。彼女の限界が間近に迫っていることは、火を見るより明らかだった。
「……なにか私に出来ることはありませんか? ダストベリーさんの負担を減らせるような……」
「ふふ……リドルさんはお優しいんですね……ヴァーサスさんが貴方を選んだ理由、とても良くわかります……」
沈痛な表情を浮かべ、ポケットから取り出した布でダストベリーの汗と血をそっと拭うリドル。そんなリドルの様子に、ダストベリーは微笑みを浮かべたまま、リドルの背中越しに見える新たなる存在を見据えた。
もしダストベリーの張った障壁がなければ、今の産声が発せられた時点であらゆる生命がこの星から消え去っていただろう。
一切の加減が存在しない凄絶な破壊の音。
どう強がり、抗ってみても、自身の限界が近いことは偽ることのできない事実。ならば――。
「すみません、リドルさん……情けない話ですが、おそらくこれ以上は保ちません。先ほどと同じ破壊を防げるのは、あと一度……どう頑張っても二度が限界です」
「……わかりました! 大丈夫、あの二人なら、きっとやってくれます!」
ダストベリーは僅かに逡巡した後、笑みを消し、真剣な表情でその事実をリドルへと伝えた。リドルは力強く頷くと、黄色い拡声器を持って立ち上がり、背を向ける二人に向かって声を上げた。
『ヴァーサス! 黒姫さん! もうダストベリーさんの障壁はこれ以上もちません! そのキモイのがなにかする前に、一気に決めちゃってください!』
「ダストベリーが……承知した!」
リドルのその声を受けたヴァーサスが頷く。
するとヴァーサスは、槍と盾を構えたままゆっくりと……新たに産まれた名も無き神に歩み寄り、静かに声をかけたのだ。
『オ……オオ……』
「……俺の言葉がわかるだろうか? 俺の名はヴァーサス。この門を守る門番だ」
「え!? ちょ、ちょっとヴァーサス! 今そんなこと改めて言ってる場合じゃないですよ!?」
「フッ……ヴァーサスめ、こんな時だというのにまたアレをやるのか。門番バカとは良く言ったものだ……」
驚愕の声を上げるリドルと笑みを浮かべる黒姫。
二人のリドルが見つめる中、ヴァーサスは静かに言葉を続けた。
「残念だが、現在貴殿にこの門の通行は許可されていない。大人しく立ち去るならば何もしない。しかしもし、許可無くこの門を通ろうとするのであれば俺は――」
『――許可などいりません。私は産まれた瞬間から全てを許された存在。理解できませんか? なら――教えましょう』
「――っ!?」
「ヴァーサス!」
その音は一瞬だった。
会話の意味が直接ヴァーサスの精神に浮かび上がった。
ほんのコンマ数秒の音。
ヴァーサスは反応。とっさに全反射の盾をかざし、身を守ったはずだった。だが――。
「くっ! すまないリドル…………どうやら、助けられた……っ!」
「そんな……全反射の盾が……!? ちょっと……これ大丈夫なんですかヴァーサス!?」
刹那の交錯だった。ヴァーサスは全反射の盾を掲げていたが、それを後方で見ていたリドルは自分でもなぜそうしたのかわからないうちに、ヴァーサスを自らの腕の中へと飛ばしていた。
結果としてみれば、リドルのその判断は完全に正しかったと言える。
なぜなら、たった今放たれた名も無き神の破壊の意志により、ヴァーサスの持つ究極の盾――全反射の盾はその大部分を喪失し、為す術もなく破壊されていたからだ。
「違う……全反射の盾だけじゃない……ヴァーサス、あなたも今のでなにか怪我したんじゃないんですかっ!?」
「くっ……わからん! だが、なにか全身の力が抜けるような感覚を覚えた。俺も初めて相対する力だ……!」
「ヴァーサス……っ」
全反射の盾を握っていたヴァーサスの右腕が青白い閃光をバチバチと放ち、じゅうじゅうと白煙を上げて小刻みに震えていた。外見からははっきりとわからないが、ヴァーサスがなんらかのダメージを受けたのは明らかだった。
「フッ……見事だ白姫。よくぞヴァーサスの危機に反応した……さすが正妻と褒めてやる。ヴァーサスよ、お前はそこで休んでいろ、次はこの黒姫が貴様の力、直々に見定めてやろう! クククッ!」
『見定める必要はありません――私はただここに在り、定まることはない』
黒姫がヴァーサスたちを庇うように名も無き神の前に立つ。
狂気を宿した瞳が赤く輝き、空間が禍々しく歪み、名も無き神の領域を押し潰そうと迫る。
「ほざけ! 貴様のごとき神の進化など、他の次元で飽きるほど喰らって来たわ!」
『私は神ではありません。私を現わす言葉は存在しない。私はこの世の理から外れた存在なのです――』
「ぬっ!?」
拮抗――。
黒姫と名も無き神。二つの領域が拮抗する。
――――否。拮抗は一瞬。黒姫の放つ圧倒的漆黒の領域が、徐々に名も無き神の領域に押され、砕けていく。
「小癪な……っ! 貴様まさか、門そのものであるこの黒姫と同等……いや、さらに高次の存在だとでも……!?」
『次元など――領域などもはや無意味――私以外の存在はただ光となり、闇となり、虚空の中に消えるのです。理解できませんか? ――なら教えましょう』
「――っ!」
名も無き神が音を発すると同時、緩やかだった領域の浸食が加速し、一瞬で黒姫を押し潰しにかかる。戦慄する黒姫。退避は間に合わない。
――だが、絶体絶命の黒姫を救うべく、背後から閃光が奔った。
「全殺しの槍よ!」
黒姫を庇うように、凄まじい銀色の粒子の尾を引いて全殺しの槍を突き放ったヴァーサスが一筋の光芒となって前に出る。
圧倒的領域の破砕の渦へと突き進むヴァーサスと全殺しの槍。そのもてる力の全てを解放し、あらゆるものを穿ち抜かんとする因果破壊の光芒が名も無き神の領域に突き刺さる。しかし――!
「ぬうううああああああ!」
『おかしいですね――数秒前に教えたはずなのに、また同じ事をしている。不可解です』
「ヴァーサスっ!」
「っ! 戻れヴァーサス! こやつの次元支配は貴様の槍と盾を遙かに越えている! 飲まれるぞ! はやく戻らぬかっ!」
凄絶な閃光と領域の激突によるプラズマの放射。
ヴァーサスによって後方へと飛ばされ、片膝を突いた黒姫が苦悶の表情を浮かべて叫んだ。
リドルは即座にヴァーサスを飛ばそうとするが、全ての力を解放している今のヴァーサスにはリドルの力が届かなかった。
「どうやら……! 大人しく立ち去るつもりはないようだな……っ!」
『――?』
領域と次元の衝突による凄まじいエネルギーの渦の中、ヴァーサスは言った。
その言葉の意味がわからず、名も無き神はその巨大な目を見開き、不思議そうに目の前の人の子をその視界に捉えた。
「もう一度言う! 俺の名はヴァーサス……この門を守る門番だ……っ! 俺の警告を無視し、力によって……この門を押し通るというのなら……ッ!」
ヴァーサスが叫ぶ。
全殺しの槍の輝きが増す。
名も無き神の領域に亀裂が走り、割れていく。全殺しの槍とヴァーサスから溢れんばかりの閃光が迸り、凄まじい勢いで後方へと流れていく。
「名も無き神よ……! 貴様はここで、この俺が切り捨てる……ッ!」
『貴方の名は門番ヴァーサス――私がこの世に産まれ、初めて教えられた事象――ありがとうございます』
「――っ!?」
名も無き神はその赤子のような顔に柔らかな笑みを浮かべ、ヴァーサスに感謝を述べた。
笑み。笑みを浮かべただけ。
たったそれだけのこと。
瞬間。全殺しの槍が真っ二つに折れた。
ヴァーサスの領域が消滅し、神の発した光と音に飲み込まれる。
『楽しみです――これから私はもっと新しいことを知れる――今からとてもわくわくしています――さようなら、門番ヴァーサス』
「ヴァーサス……? そんな…………嘘ですよね…………?」
信じられない、信じたくない目の前の光景に、リドルは震える手を伸ばし、その場に力なく崩れ落ちた。
「いや…………いやあああああああああああああああああ……っ!」
砕けた全殺しの槍と全反射の盾が音も無く地面へと落下する。
赤く染まった天に、リドルの悲痛な叫びが木霊した――――。
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