「おいダンテ、その短剣貸せよ」
「ああ」
警吏は急に馴れ馴れしい態度になったかと思うと、フードの男――ダンテから短剣を受け取り、自分の剣を借りた短剣で打ってガンガンと音を出し始める。
他の警吏たちも、各々壁を叩いたり足を踏み鳴らしてドスドスと物音を立てたり、どけっだの邪魔だっだのと適当な事を叫び出した。
完全に、目の前に居るダンテを捕まえる気配などない。
やがて数分ほどそうしていると、先ほど貴族たちが消えた方からやたら胸元の開いた服を着た女性が走って来て、
「行った行った」
なんて、忍び笑いを漏らしながら小さな声で報告してきた。
その報告を聞いた男たちは全員顔を見合わせて一気に破顔する。
そう、押し入って来た警吏とダンテはグルだった。
だからわざと包囲の穴を作り、貴族たちを逃がしたのだ。
「どのぐらい離れた?」
ダンテがそう問いかけながら口元を覆う布とフードを脱ぎ捨てると、その下からは思わずため息が漏れそうなほど美しい顔が姿を現す。
太陽の光を糸にしたかのようなプラチナブロンドの髪の毛。右が琥珀、左がサファイアの如き輝きを持った宝石の様な瞳。顔の中心にちょんとついた鼻、形の良い唇、細いおとがいと、パーツのどれか一つを取っても至高の芸術品の様で、しかもそれが黄金の比率で配置されているのだ。
それでいて背も高く、体も引き締まっており、まさに非の打ちどころの無い美青年とはこのことだろう。
「う~ん。いつみても惚れ惚れするねぇ、ダンテは」
「抜かしてろ、エバ」
唯一の欠点は口の悪さかもしれないが、それすらもダンテの顔を引き立てる香辛料とも思えて来るほど様になっていた。
女――エバは軽く肩を竦めると、
「ミカエラが大通りにまで送ってるよ。そうしない内に帰って来るんじゃないの」
なんてやや無責任に答える。
ただ、どうやら貴族たちがこの売春宿から離れたことは間違いなかった。
それをようやく自覚出来たダンテは、ニヤリとほくそ笑むと……。
「アル、連中にやめるよう言ってきてくれ」
「ああ。お前達、頼んだ」
アル――アルフレッドの命令で、警吏のふりをしている他の男たちが散らばっていく。
止めるとはもちろん、戦っているように聞こえる騒音のことだ。
今現在売春宿のあちこちで、下男や売春婦たちが適当な金属製の物を打ち合ったりして物音を立てている。
そう、警吏のふりをしたアルとダンテだけでなく、警吏に扮した他の男たちやこの売春宿まるごと全てが貴族を陥れるための罠だった。
そんな事とは露知らず、貴族はまんまと足を踏み入れ、飲み込まれてしまったというわけだ。
もちろんこれら全てを取り仕切り、計画したのはダンテである。
ダンテの正体は人を騙してお金を掠め取る犯罪者。詐欺師であった。
「エバは金貨を拾ってくれ。あ、ネコババだけはすんじゃねえぞ。その分だけ取り分減らすからな」
「減らすなんて言っちゃうところがお優しいよね、ダンテは」
悪事を働くのに一番大事なのは信用である。
それを損なう様なことをする輩は排斥されて当然なのに、ダンテはそれをしないと言ったようなものだ。
こんな裏稼業をする者にしては甘すぎる態度だが、だからこそダンテはこの手の人たちから信用され、愛されていた。
「っせーぞ、エバ。無駄に口動かしてる暇があったら手を動かせってミランダから言われてるだろ」
「はいはい。ダンテこそミレディって呼ばないと雷落とされるわよ」
「あの体格でミレディ(貴婦人)かよ」
売春婦たちからミレディと呼ばれている女性は、この売春宿・流れ星の街角亭の女主人であるのだが、貴婦人というよりクマと形容した方がいいのではないかと思うほど巨大な体格を誇っている。
身長が190サントに届きそうなダンテよりもまだ頭一つ大きいのだから相当なものだ。
もっとも本人はその事を大いに気にしている為、ミレディなどという呼び方を周囲に強制しているのだが。
「あたしに文句でもあるのかい、ダンテ」
多少かすれ気味の、アダっぽい女性の声がダンテとその周りの者達を打ち据える。
噂をすれば、というのは正しいらしく、折よく――ダンテ達にとっては運悪く――その女主人であるミランダ・ヨレイが姿を現した。
売春宿の狭い廊下をのっしのっしと踏みしめて歩いてくる中年の大女は、やや浅黒い肌をしており、黒と茶が入り混じった髪にパーマをかけて結い上げ、ぐりっとした大きな目に厚ぼったい唇をしていて、一見すると男か女か分からない様な風貌をしている。
かろうじて、黒いナイトドレスのお陰で女性寄りに見えるといったところか。
エバはそんなミランダの登場に首を竦めると、唇の動きだけでじゃあねと伝えてこそこそと金貨の転がる部屋の中へ入っていった。
「いいや、別にないぜミランダ」
「あたしのことはミレディとお呼び」
「それでミランダ」
ダンテは言われたところで怯む様な性格ではない。平気で彼女の名前を口にする。
「ドアを壊したのはアルだから、請求はコイツにしておいてくれ」
「おい、そりゃないだろ」
だがミランダはそんな二人の軽口を完全に無視してダンテの目の前にまでやって来ると、腰を曲げてぐっと顔を近づける。
「今日はあんたの仕掛けなんだろう。あんたが払いな」
ダンテは軽く肩を竦めると、素直に首を縦に振る。
元よりダンテはそのつもりだったのだ。
「それで、いくらだ?」
「金貨500枚」
告げられた値段は今回の儲けの全てになる。
この後の根回しや協力者に金を払って行けば、赤字以前に破産しかねない。
「……ははっ、笑える。で、本当はいくらだ?」
しばらくダンテとミランダは視線をぶつけ合い……どちらからともなく、相好を崩す。
何のことは無い。2人の関係は昔から良好で、血のつながりこそないものの、姉と弟……年齢を考えれば叔母と甥の様な間柄だった。
ミランダの大きな体と迫力から、そうは思われない事が多いのだが、こんなことはただのじゃれ合いの様なものなのだ。
「そうだね。ここら辺のやつらに後処理を頼んどいてやるから、50は貰おうか」
「冗談が続いてんのか? 30」
「うちの娘たちに多めに払うんなら」
本来ならば、大した協力をしていない売春婦たちには口止め料込みで金貨1枚も支払えばおつりが来るだろうが、もとよりダンテは気前のいい質故に金貨3枚は支払うつもりでいた。
つまり頷くだけでミランダに支払う金貨が20枚も減るのだ。
受け入れないわけはなかった。
「契約成立だ」
ダンテがかざした手に、ミランダがバシッと手を叩きつける。
ミランダにそれだけを支払い、その他もろもろを差っ引いても金貨300枚以上がダンテの手元に残る計算だ。
もちろんこれは全額ダンテのものになるわけではない。
そのほとんどは将来の仕事のために貯めておくことになっていた。
「まったく、毎度毎度よくやるよ」
それはダンテの金払いの良さに対する言葉なのか、それとも今働いた詐欺行為に対してなのかは分からない。
だが、その言葉は間違いなくダンテにとって褒め言葉であった。
「任せとけ。いけ好かねえ貴族様からならいくらでも踏んだくってやるよ」
「あたしの宿に来られるくらいは残しといておくれ」
「それは……相手によるな」
「あんまりやりすぎるなって言ってるんだよ」
今回のように、金貨500枚をポンと出せるような相手から奪ったところでさして危険はないだろう。
しかし、金額が大きくなればなるほど、そして切羽詰まっていればいるほど復讐される危険は高まっていく。
特にダンテのように貴族相手にしか詐欺を働かない者は、通常の詐欺師より格段に命の危険が高かった。
「ま、本当にヤバかったら尻尾まいて逃げるさ」
「ダンテが逃げる、ねえ……」
ダンテと共に長い間詐欺を働いているアルが信じられないとでも言うように呟く。
事実、ダンテは少々苛烈な性格をしているため、逃走するよりは突っ込んで行く気質であった。
「なにか言いたいことでもありそうだな」
ダンテがひと睨みすると、アルは両手をあげて降参だとおどけてみせる。
ただ、ミランダもアルの意見に賛同だった様で、かた眉だけをあげる何とも言えない表情でぼやく。
「誰か大事な人でも出来れば変わるんじゃないかっておもうんだけどねぇ」
「なんだそりゃ」
「愛する人ってヤツさ」
「…………」
ダンテ自身は自慢した事など一度も無いが、その美貌故にダンテは女の方からいくらでも誘いが来る。
だからであろうか。ダンテは女性に対してそういった感情を抱いた事は皆無であったし、そういう行為に及んだ数もゼロであった。
仲間意識であれば、エバのようないち売春婦にすら抱いているのだが。
「……貴族相手に結婚詐欺なんてのもいいかもな」
「またそうやってお前は……」
アルが苦笑しながらダンテの肩を抱く。
「ほら、今日の所はそういう事を忘れてパーッと騒ぐぞ。馬鹿な貴族からせっかく大金を巻き上げたばっかなんだ。んなことは後にしろっ」
アルの言葉を肯定するかのように、部屋から出て来たエバが革袋を振ってジャラジャラ音を立てる。
そんな二人を交互に見た後、
「それもそうだな。馬鹿な貴族さまのために乾杯といくか」
「そうこなくっちゃ」
ダンテはニヤリと不敵な笑みを浮かべながらアルの肩に手を回したのだった。
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