「貴様は、何を考えているっ」
威圧的な怒声がダンテの鼓膜を揺さぶる。
あまりにうるさいため、耳を塞ぎたかったが、後ろ手に拘束されているためそれもできない。
ブルームバーグ伯爵邸の玄関口にてダンテは衛兵たちに拘束されていた。
「狂人か!? それとも状況すら把握できぬ白痴か!?」
フェリドがここまで激怒するのも無理はない。
ダンテはフェリドの顔に泥を塗り、舞踏会を潰し、犯罪の証拠を盗み出して逃走したのだから。
それでもダンテはたった一人で戻って来た。
あまつさえ、玄関をノックし、良い夜ですね、なんて皮肉すら言ってのけた。
「……だから手土産も持ってきただろう」
フェリドの手には二枚の古ぼけた羊皮紙が握られている。
その正体は、フェリドが最もよく知っていることだろう。
「我が父の殺害を指示した書類一式だ。これでもまだ私の誠意が伝わらないと?」
これで本人と証拠がフェリドの手元に揃ったことになる。
ベアトリーチェ、つまりミシェーリだけでは告発はおろか、糾弾することも出来ない。
フェリドがガルヴァス殺害の責を負わなければならなくなる可能性は、限りなく低かった。
「くっ」
フェリドは激情のままに書類を振り上げ……どうすることも出来ず、無造作にポケットにつっこんだ。
「それから、私の目的は以前から言っているはずだが」
「アンジェリカか……」
ダンテが何度も愛を囁き、ともに時間を過ごしてきた女性だ。
例えダンテの中ではすべてが偽りであっても、外から見れば違う。
そして、嘘も貫き通せば、きっと――。
「ああ、私が唯一望むのはアンジェリカだけ」
「それは嘘だろう。貴様は体よく利用しているだけだ。本当の望みはなんだ」
これはダンテの嘘が見抜かれているわけではない。
フェリドが利益でしか物事を見ない人間だから、アンジェリカそのものに価値を見出す人間を理解できないだけだ。
「今の私にはアンジェリカが必要なのでね……」
これは本当に、掛け値なしの真実である。
ベアトリーチェへの気持ちを上書きするためにアンジェリカへの偽りの愛を利用するという、悲しくも自分勝手な理由であったが。
「それを信じるにしても、貴様はやりすぎた」
ダンテの相棒であるアルが、執務室にあった書類を根こそぎ奪っていった。
その中には、フェリドの行っていた悪事の証拠も含まれている。
「そんなに痛かったのかな?」
「私は一度でも敵対した者を許さない」
フェリドに許されなかった者の末路は死、あるのみ。
ダンテもこのままではそうなってしまうだろう。
だからダンテは、詐欺師らしく、弁で以って道を切り開くつもりだった。
「……あんたを出し抜いた者の力を利用しようとは思わないのか?」
「必要ない。それよりも従順で、強い力を既に持っている」
「皇帝の血は?」
ダンテがそういった瞬間、フェリドのこめかみがピクリと動く。
「貴様がそうだから、迷惑なのだ」
「なるほど」
フェリドは、次期皇帝にテレジア侯爵家の子どもを推している。
ガルヴァスを殺したのも、このテレジア侯爵家に取り入るためだった。
だが、皇帝の血を引くダンテとアンジェリカが恋仲であり、しかも婚約までしたとなれば、テレジア侯爵家はどう思うのか。
きっと、フェリドが侯爵家から離れ、独自に動き始めたと思うはずだ。
そうなれば、事実はどうあれブルームバーグ伯爵家とテレジア侯爵家の関係は険悪なものとなってしまうだろう。
「では、テレジア侯爵家の狗のままでいい、と」
「――のっ、口を慎めっ!!」
怒鳴りつけられたところでダンテの口は止まらない。
ダンテにとって、口こそ最大の武器。
言葉こそ己の未来を掴み取る手段なのだ。
「私が継承権を放棄すれば、テレジア侯爵家との仲を一時的に保つことも出来るだろう。そして――」
ダンテは口元に歪んだ笑みを浮かべる。
これは悪魔の誘惑だ。
欲望を煽り、破滅への道を歩ませる。
それが分かっていても、人間である以上、必ず誘われてしまう。
特にフェリドの様な、強欲な人間は。
「ブルームバーグ伯爵家の……いや、あなたの血を引く孫が、皇帝になれる権利を持つ」
この先ダンテとアンジェリカの間に男児が生まれるかどうかは分からない。
それでも、もしも生まれたら……。
「私を逃せば、あなたは一生テレジア侯爵家に頭が上がらないだろう。あなたはおこぼれを貰うだけの人生を過ごすことになる」
「……黙れ」
「私は男児だ。女性から生まれた男児よりも高い継承権を持つ。つまり、次は確実に――」
「黙れぇっ!!」
フェリドは明らかにうろたえていた。
目の前にぶら下げられた餌は、あまりにも甘美で大きい。
それを袖にするのは、フェリドは少しばかり強欲に過ぎた。
「考えてもみてほしいのだが、わたしは私という個人だけであなたに対抗してみせた」
ダンテはまたも拘束を抜け出す。
なんの技を使ったわけではない。
衛兵が、場の空気に飲まれて自らその手を離したのだ。
「あなたと私が組めば、次は国の頂点に届きうる。そうは思わないか――」
ダンテはフェリドの肩に手を置いて、
「――お義父上」
と囁くと、そのまま横を通り過ぎていく。
そして壁に取り付けられた燭台から火の灯るロウソクを外すと、またフェリドの隣にまで戻って来た。
「さて、それでは結論よりも先にやるべきことをやってしまおう」
「なにを……だ?」
フェリドの問いに、ダンテは指示書の入ったポケットを指差す。
「せっかく私があなたにとって致命傷となりうる証拠を盗み出して来たんだ。それを後生大事に取っておくつもりなのか?」
金庫にしまっておいたところで意味はない。
それどころか再び盗み出されてしまう可能性さえある。
そうならないようにするためには、この世から消滅させてしまう必要があった。
「私が信用ならないのなら、自分の手で焼き捨てては?」
「燃やす……」
ハッと何かに思い至ったのか、フェリドはポケットから指示書を取り出し、視線を走らせる。
すべての文字を一言一句余さず読み、自分のサインを確認してからダンテを睨みつけた。
「これが偽物ではない証拠は?」
フェリドの中では、ダンテの信用は限りなくゼロに近い。
全ての行動を疑い、裏にある意図を読み取ろうと必死だった。
「それが偽物であれば、あなたがそう主張するだけで事足りるはずだが。私としては、それが無くなろうが存在しようがどちらであっても私には関係がない」
証拠は、誰の手の中にあるか、でもその効力が変わってくる。
例えばルドルフやフェリドの手の中にあれば、偽物であろうと本物になるし、詐欺師であるダンテが持っていれば本物でも偽物になる。
そんな代物を、本物であると証明するのは不可能であった。
「ならば何故こんな真似をするっ」
「あなたに取り入るために」
「何故だっ」
「アンジェが欲しいから」
結局、何をしてもダンテは信用されないのだ。
しかし、捨てるには欲望が邪魔をする。
フェリドはどうすることも出来ず、思考は空回り続けた。
「では……」
ダンテはふっとロウソクを吹き消してから、一歩後ずさる。
「あなたの気が済むまで私は牢にでも入っておこう。……ああ、でもアンジェには私が居ることを伝えておいてほしい」
「貴様は要求できる立場ではないっ」
ダンテは軽く肩をすくめると、話は終わりだとばかりに衛兵の方へ振り向く。
「それでは、案内してもらえるかな?」
「え?」
衛兵はダンテの言葉に従ってよいのか分からず、主とダンテを交互に見比べる。
そんな衛兵へ、フェリドはおざなりに「連れていけっ」と命じたのだった。
しかし、フェリドは気づかない。
始めはダンテを殺すかどうかと考えていたのに、今は牢に入れるかどうかという選択にすり替わっていることに。
少しずつ、ダンテの術中にはまりつつあった。
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