「誰だっ!!」
ダンテの記憶にこんな声の持ち主はいなかった。
鋭い誰何の言葉を飛ばしながら、頭上にあるロフトへと目を向ける。
そこには、中性的な顔立ちをした男がひとり、ダンテたちを覗き込んでいた。
薄い金色の髪に、空の色をそのまま落とし込んだような、サファイアブルーの瞳。桜色の唇に、高く小さな鼻。女性とも男性とも取れる顔立ち。
そしてなにより、ダンテと似た面影を持っていた。
「ルドルフ……殿下……」
ジェイドが今にも倒れそうになりながら絞り出す。
彼の言うことが事実ならば、ダンテの目の前にはフェリドの政敵である、ルドルフ・ギュンター・クロイツェフが姿をさらしているのだ。
しかも、護衛も付けずにたったひとりで。
「やぁ、初めまして、ダンテくん。私は君の従兄になるわけだね」
「……っ」
警戒心など欠片も持っていないかのような無邪気な笑みを浮かべ、ひらひらと手を振ってくる。
だが、ダンテは察した。
ルドルフの瞳は一切笑っておらず、それどころか人形のように無感情で、冷徹で、そこの知れないことを。
フェリドが何もかもを飲み込む大嵐だとすれば、ルドルフは底の見えない大海の様なものだった。
「殿下。私の記憶が正しければ、本日、あなた様が勝手に押し掛けて来られたはずですが」
「あら、そうだったかな?」
モーリスが慇懃無礼な態度で、しかしあくまでも警戒は崩さずに話しかける。
「君たちの方が私と会いたそうにしていたから来たんだけど?」
確かにルドルフの言う通り、ダンテたちは証拠を売りとばす相手として算段をつけていた。
そう。予定であり、実際の接触はまだ行っていないのだ。
だというのに、フェリドにすら知られていないこの仮拠点にルドルフは現れてみせた。
己の地獄耳をアピールして先手を取るつもりなのかは分からないが、フェリド以上に油断できない相手であるのは事実であった。
「さて、と」
梯子を使ってロフトから降りて来たルドルフが、ダンテの目の前に立つ。
そのままダンテの顔や格好などをジロジロと品定めでもしているかのように観察すると、
「私よりも少し顔が悪いみたいだね」
なんて失礼なことを出し抜けに言ってくる。
発言があまりにも場違いすぎて、ダンテはどう返答すればよいものか迷ってしまった。
「あー……なにを言っているのですか?」
一応相手は殿下と呼ばれる存在であるため、使いたくもない敬語で応答しておく。
「事実を率直に言ったまでだよ」
ルドルフの方が中性的な顔立ちをしているのかもしれないが、ダンテの方が男性的な顔立ちをしている。
どちらも一様に美しく、判断する側の好みの問題と片付けてしまえる差でしかない。
「……確かに」
「君は見る目があるね」
「うっせーぞ、アル」
しっしっと意地の悪そうな笑い声で返事をしたところから察するに、アルは冗談に乗っただけだろう。
「まあ、今のやり取りでアンタがどういう奴かは分かった」
同じ殿下であるため、敬語を使う必要はないと判断してため口にする。
なによりダンテの目には、ルドルフがそちらの対応を望んでいるように思えてならなかった。
「とりあえず、ベアトリーチェたちの方が先だ。すっこんでろ」
「おやおや、つれないね」
ダンテの無礼な振る舞いに、しかしルドルフはクスクスと笑うだけでとがめだてはしなかった。
「ロナ子爵」
「は、なんでしょう、殿下」
「もし貴方たちが傷ひとつでも負うことになれば、この者たちを私の力で追い詰め、生まれてくることを後悔するぐらいの方法で処刑してあげるよ。だから安心して守られていなさい」
もちろんダンテを始め、モーリスとその部下たちはベアトリーチェたちを傷つけるつもりなど一切ない。
ルドルフがこんなことを言ったのは、自分も安全を保証するという意味を持たせたのだ。
「……お前」
「私が直接庇護下に置くと、君たちとの繋がりがブルームバーグに気取られてしまうからね」
ルドルフはジェイドからダンテへと視線を戻し、パチンとウィンクする。
フェリド同様に油断できない相手だったが、闘争に巻き込む相手は選ぶ人物らしかった。
「さ、ここからは悪人たちが悪だくみをする時間だ。君たちは早く出ていきなさい」
「その言い方だとお前も悪人になるがいいのか?」
ダンテの突っ込みに、ルドルフは軽く肩をすくめる。
「私は今、帝城のサロンで音楽を聞いているからね」
「ハッ、とんだ従兄さまだ」
つまり、今この場にルドルフは居ないことになっているのだ。
例え誰が見たと証言しても、それは嘘になってしまうのだろう。
ただ、それだけの力が交渉次第で味方になるのは非常に心強かった。
ダンテはベアトリーチェたちを促して、小屋の外へと出る。
外では逃走用の箱馬車が乗りつけられており、御者兼護衛であるモーリスの部下が手綱を握っていた。
「急いで下さい」
状況説明はモーリスからされたはずだが、まだ事態をうまく呑み込めていないのだろう。
夫妻の足取りは重かった。
「ダンテくん、君は……」
「お話はまた今度聞かせてください。特に、父の話を」
「……ああ」
ダンテから強引に背中を押される形で夫妻が馬車に乗る。
そして……。
「ダンテさん」
ベアトリーチェが残った。
ここで別れたら、もしかすれば二度と会えないかもしれない。
会えるにしても、ダンテではなくジュナスとしてだ。
好きといってはいけない。
愛してもいけない。
そういう意味では最後の時間。
「すみません、急かしておいてなんですが……」
「……ああ」
何かを察してくれたジェイドが箱馬車のドアを閉める。
御者も空気を察してそっぽを向き、耳を塞ぐ。
物置小屋の扉も閉じられ、今、ダンテとベアトリーチェを見ている者はだれ一人として居なくなった。
「ベアトリーチェ……」
最後の言葉は何にするか、ダンテの中で思考が渦を巻く。
だが、どんな言葉であろうと自分の想いを伝えるのには軽すぎる。
例え万の言葉を用いてもダンテの気持ちは伝えられない。
そのぐらいダンテはベアトリーチェのことを想っていた。
じっと目だけを合わせ、見つめ合う。
もっと時間が欲しかった。
もっと触れ合いたかった。
しかし、それは許されない。
だからダンテは――。
「右を向いてくれ」
「え?」
ベアトリーチェの両肩に手を置いて、少し自分の方へと引き寄せる。
「な、なんで?」
「いいから早く」
戸惑いながら、ベアトリーチェはダンテにとっての右、つまりベアトリーチェにとっての左へと顔を向ける。
これは、ダンテにとって予想外のことで――。
ダンテはベアトリーチェに顔を寄せると、そのまま彼女の唇に自分の唇を押し付けた。
「んっ」
それはダンテにとって、初めてのキス。
ベアトリーチェもそれは同じ。
ただ唇を触れ合わせるだけの行動であり、人の営みの中では数えきれないほど行われ続けてきた、ありふれた行為。
それでもダンテとベアトリーチェにとって、なによりも大切な、そして特別な行為だった。
「…………はぁ」
キスの時間はほんの一瞬。
瞬きするほど短い時間。
しかしダンテはその刹那の時間を胸に深く刻み込み、唇を離す。
「――あ」
名残惜しそうにベアトリーチェが呟く。
本当はダンテも同じ気持ちだったが、それを振り払って意地の悪い笑みを浮かべる。
「お前な、右を向けって言っただろ」
「え?」
「なのに左なんて向くなよ」
今のは事故だと、言外に告げる。
頬に口づけをしようとして、起こってしまった不幸な事故。
兄妹は愛しあっていることを確認するために、唇と唇を合わせてはいけないから。
「……ごめんね。間違っちゃった」
だがダンテの心は伝わるはずだ。
ベアトリーチェの瞳は真実が見える。
ダンテがなにを想っているのか、正確に読み取ってくれるだろう。
「じゃあな」
ダンテがベアトリーチェに対して告げた、離別の言葉はこれで三回目になる。
今までは別れたくても別れられなかった。
ふたりともに互いを望んでいて、別れたくなかったからだ。
しかし、今回は違う。
ダンテはジュナスに戻り、ミシェーリの、ベアトリーチェの兄になる。
そうしなければ互いの未来は無くなってしまうのだ。
「うん」
初めて、ベアトリーチェがダンテの別れを――。
「じゃあ、ね」
――受け入れた。
ダンテが仕掛けなければ、きっとこんな未来は訪れなかっただろう。
同時に、ダンテとベアトリーチェは永遠に出会いもしなかった。
逢うべくして二人は出会い、恋に落ちて、互いが大切だから、別れる。
せめて命があれば、兄妹として寄り添いあえる未来が待っているはずだから……。
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