ふたりが待つこと数十分。
その間、フェリドのものと思しき怒鳴り声や、衛兵たちの足音など、心穏やかでなくなるような音が何度も何度も聞こえて来る。
しかし二人は身を寄せ合いじっと耐え続けた。
やがて、ごとりと物音がして台車が動き始める。
誰が押しているのか台車の中に隠れているふたりは知る由もない。
ダンテの計画通りであれば、仲間が機を見て運ぶ手はずになっていたが、下手をすればブルームバーグ伯爵家に雇われているメイドたちが運ぶ危険性もあった。
台車に揺られるがまま、ふたりは移動していき……ピタリと止まる。
どうなったのか。
ダンテは息を潜めたまま計画の成功を祈っていた。
「おーい、開けてもいいか?」
コンコンと台車の扉がノックされ、アルの間延びした声が聞こえてくる。
それで作戦が成功したことを知り、ダンテはホッと胸を撫でおろす。
ベアトリーチェも大きなため息もついたため、同じ気持ちなのだろう。
「ああ、頼む」
ダンテがそう言ったのにも関わらず、扉はなかなか開けてもらえない。
なにか問題が起きたのかと思い、ダンテは扉を叩いて「早く開けてくれ」と頼む。
この台車は、仲間以外の人物が間違えて開けてしまわないように、仕掛けが施されていて内側からでは開けることができないのだ。
もしも何かあったのならば、破壊して脱出すると心に決めたのだが……。
「いや、なんか子どもが見ちゃいけないことでもしてっかもとか思ったら、もう少し待ってやった方がいいのかなって」
「余計なお世話だ!」
怒鳴り返すと同時に拳を扉に叩きつける。
まったくもって邪推のしすぎであった。
だいいち、こんな狭さではそんなことなど出来るはずもなかった。
「へいへい、冗談だよ、冗談」
「ったく」
扉が開き、夜特有の冷たい空気がサッと台車の中に流れ込んでくる。
台車は既に屋外にまで運ばれており、ダンテが顔を上げれば夜空に瞬またたく星が目に入ってきた。
「お気をつけあそばせ、旦那様」
「またそれかよ……っと」
まずはダンテが両手を使って尻を地面で擦りながらずりずりと這いだす。
本来ならばベアトリーチェが上に乗っているのだから、ダンテが後の方が効率がいいのだが、先ほどアルにからかわれてからベアトリーチェが恥ずかしがって縮こまってしまったのだ。
「やれやれ」
外に出たダンテは、軽く首を回して、すっかり固まってしまった首筋をほぐす。
長い時間ベアトリーチェからのしかかられていたことで、足の一部が痺れてすっかり感覚が無くなっていたのだが、それを無視して体をかがめると、
「ベアトリーチェ、気を付けて出て来いよ」
台車の中で未だ座り込んでいるベアトリーチェへと手を差し伸べた。
「えっと、うん、ありがとう」
「どういたしまして」
以前はどうやって接していたのか、なんて考えながら、ベアトリーチェの手を引いて地面に立たせる。
どことなくぎこちない、それでいて初々しい空気がふたりの間に広がる。
ダンテのことをよく知る売春婦たちが今の光景を目にしたら、まるで初恋を知った子どものようだと囃し立てることだろう。
「んじゃ、急いで逃げるぞ」
「ああ。ところで連中は今どうしてる?」
ダンテは頭を巡らせ、周囲を確認する。
今のところ目視で得られる情報としては、屋敷の通用門から出たところ、程度であった。
「歩きながら説明する」
アルが台車を押しながらした説明によれば、囮になったテッドたちを追いかけて衛兵たちの半数以上が屋敷の外へと出ていき、ロナ夫妻もその混乱に乗じて逃走させたとのことだった。
「ああ、書類はごっそりいただいたぜ。今頃親父のところに届いてるはずだ」
「さっすが」
清く正しく営んでいる貴族ならば、書類が無くなっても経営に困るだけであろうが、ブルームバーグ伯爵家はそんなタマではない。
真っ黒どころか積極的に他人を黒く染めて回るほどあくどい貴族だ。
さぞかし美味しい揺すりのタネが出て来ることだろう。
それから三人は、周囲を警戒しつつモーリスのアジトへと急いだのだった。
「お母さんっ、お父さんっ!!」
仮拠点にしている物置小屋――とはいえダンテの住んでいた家よりも大きいのだが――の中では、ベアトリーチェの両親であるロナ夫妻や逃走に成功した仲間たちが待っていた。
「ベルッ!!」
フェリシアが娘の下へと走り寄り、力いっぱい抱きしめる。
目が見えるようになったら娘が居なくなっていたのだ。
いくら説明をされていたとしても不安だったに違いない。
そんな母娘を他所に、父親のジェイドはまっすぐダンテへと向かってくる。
そして目の前に来ると、
「ジュナス殿下。誠に申し訳ございませんでした」
膝を折り、首を垂れて臣下の礼を取る。
話によれば、ジェイドはガルヴァスに仕えており、守り切れなかった咎でもって領地のほとんどを取り上げられたという。
ただ、それらは全て国ぐるみの陰謀に巻き込まれただけなのだ。
ダンテとしては一切彼に責任を問うつもりは無かった。
「頭を上げてください、ジェイドさま」
「私如きにさまなどと。……勿体のうございます殿下っ」
殿下などと呼ばれたうえに敬語まで使われ、ダンテは背中がむず痒くなってしまう。
こんな態度をされるのは、とてもが十個ぐらい付いてもまだ足りないほど、ダンテの性に合わなかった。
「その殿下というのを止めて、ダンテと呼んでください。それから敬語も使わないでいただきたい」
「ですが……」
ガルヴァスが死んでもなお敬意を失わないのだ。
割り切れと言っても割り切れるような性格ではないのだろう。
ベアトリーチェが不遇な境遇にも関わらず、まっすぐと育ったのはこの父あってのものではないだろうか。
「私を殿下と思ってくださるのならばなおさらお願いします。それとも命令という形にした方がよろしいですか?」
「…………わかり……わかった、ダンテくん」
ダンテは譲らないし、譲るつもりも無い。
その気質を理解してか、ジェイドは渋面を作って悩んだ後、しぶしぶ了承したのだった。
家族の再会が一区切りついたところで、明らかに悪者の親分でございといった風貌のモーリスが声をあげる。
「それではロナ家の方々。安全な宿も用意致しましたのでそちらへ移動してくださいますか? もちろん護衛も付けますし身の安全は保証させていただきます」
モーリスは、スラムで売春宿を取り仕切っている上、貴族相手の高利貸しから地上げなど、様々な悪事の元締めのようなことをしている存在だ。
その威圧感は抑えていてもかなりのもので、初めて顔を合わせたベアトリーチェは顔をこわばらせていた。
もしかしたらだが、モーリスがガルヴァスを殺した下手人のひとりであることを本能的に覚えているのかもしれなかった。
「この人たちは俺の仲間で、家族です。絶対裏切らないし、あなた方を傷つけません」
ダンテはジェイドに安心する様言い含める。
ただ、過去に害する立場だった人間が、今は守る立場になったことに運命的な皮肉を感じざるを得なかった。
「そ、それはありがたいが……」
ジェイドの顔には少しだが不安と戸惑いが見て取れる。
急に出てきたあからさまに怪しい連中が、命を守ってくれますと言ったところで信じ切ることは難しいのだろう。
「大丈夫です。そんなに長い時間はかかりませんよ」
正確には、短期決戦で決着をつけなければならない。
資本力、人員、権力と、全てにおいてダンテたちの方が劣っている。
長引けば長引くほどダンテたちは不利になるし、そもそもダンテが居なくなればジェイドたちの利用価値も無くなるだろう。
なにか言って安心させなければとダンテが思案した瞬間。
「そうだね。そのために私を呼んだのだろう?」
鈴の音を思わせる透き通った声が、頭の上から降って来た。
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