「ダンテさま……」
あどけなさを残した美しい女性が幸せそうな微笑みを称え、見目麗しい男性の腕の中に埋もれている。
広く豪奢な内装が施された部屋には、先ほどまで大勢の人が居たのだが今その姿はない。居るのは結婚の契りを交わしたこの一組の男女だけ。
「なんだい、アンジェ」
アンジェリカは熱のこもったエメラルドグリーンの瞳で、ダンテの左右で色の違うオッドアイを見つめる。
彼女は身も心も、全てをダンテに捧げても惜しくはないというほどダンテに恋焦がれていた。
ダンテは柔らかい微笑みを浮かべながら、何度も何度もアンジェリカの金色の頭から薄紅色の頬にかけてを撫で続けている。
二人の睦言と抱き合う様子だけを見れば、二人は間違いなく仲の良い恋人同士であるだろう。
しかも美男美女の組み合わせとくれば祝福も多いはずだ。
事実、この二人の婚約はアンジェリカの父親が最も望んでいたことであった。
だが――ダンテの腹の中は違う。
「よくお顔が見えませんの。もう少し、近づいていただけますか?」
アンジェリカが燃えるような恋に身を焦がしているのにも関わらず、ダンテの心には愛情など欠片もなく、氷のように冷え切っていた。
何故なら彼がアンジェリカに近づいた最初の目的は、婚約して金を引き出せるだけ引き出した後にそれを破棄してしまうことだったから。
だからダンテは笑顔を作り、最愛の人を演じ続ける。
「いいよ、私の可愛いアンジェ。私ももっと近くで君の顔を見たいと思っていたんだ」
「まあ」
ダンテはあえて顔同士が触れてしまうほど近くまで顔を寄せ、左の琥珀色の瞳と、右のサファイアの輝きを放つ瞳で、アンジェリカのエメラルドグリーンの瞳を覗き込む。
「あの……ダンテさま」
ダンテの悪戯心にくすぐられて、アンジェリカがくすくすと笑う。
「近すぎてお顔が見えませんわ」
「そうかな?」
そう言ってダンテはついばむ様なキスをアンジェリカの頬に落とす。
ただでさえ薄紅色に染まっていたアンジェリカの頬は、更に熱を帯びていき、彼女の口からは、恥ずかしさのあまりはふっと吐息が漏れてしまう。ダンテに出会い、初めて恋を知った乙女には、熱い口づけは衝撃が強すぎたのかもしれなかった。
ダンテは体を起こし、アンジェリカの恋心に染まる瞳を見て満足そうに頷くと、再び慰撫し始める。
「私はこうしたかったんだ。だからいいんだよ、愛しいアンジェ」
「……ダンテさま」
そのまま二人は見つめ合う。
互いを分かり合っている様で、決定的にすれ違っている瞳で。
「あ……あの……」
「なんだい?」
「そ、その……」
再度呼びかけたアンジェリカの瞳は、ためらいに揺れていた。
それを見て取ったダンテはくすりと笑う。
「もしかして、頬じゃ物足りなかったのかな?」
もう熱くなり様がないほどに頬を火照らせていたアンジェリカは、図星を指されてしまい、思わず視線を横に逸らす。
彼女が顔を近づけて欲しいと願ったのも、実はダンテに口づけを乞うためだったのかもしれない。
「えっと、その……」
ダンテはずっと撫で続けていた右手を止め、惑うアンジェリカのおとがいに添える。
あっ、とアンジェリカの口から歓喜に満ちた声がまろび出て、唇はダンテを迎え入れるかのように震えながらも少しだけ扉を開いた。
そして――。
「アンジェ……」
「……ダンテさま」
二人が出会ってから初めて、互いの唇が触れ合う。
それはアンジェリカが望んで求めて、心の底から乞い願った証。
それはダンテにとって訣別の証。
蕩けるように熱い吐息と、氷のように冷めきった息吹きが混ざり合い、互いの肺腑を犯す。
幾度も幾度も互いの間をひとつの呼吸が行き交ってから、ようやくダンテは唇を離した。
「……アンジェ」
ダンテが甘い声で呼びかける。
その声に、アンジェリカは応えることが出来ずにいた。
「俺は……いや、私は……」
ダンテは一度脱ぎ掛けた仮面を再び被りなおす。
例え嘘であっても、一度も本当のダンテを見せたことがなくとも、アンジェリカにとっては貴族という仮面をつけたダンテこそが本当のダンテだったのだから。
「素直に好意を寄せてくれる君のことが……嫌いではなかったよ」
ダンテはそういうと、アンジェリカの頬に手を添える。
「例え、仇の娘でもね」
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