聞き覚えのない声に戸惑いを覚えたダンテが後ろへと振り返ると、そこには先ほどまで教室の一番後ろで見学をしていた女性が立っていた。
女性は、ダンテが最初に感じた印象の通り、やや勝気な態度でアンジェリカに食って掛かる。
「その子が何か悪いことでもしたのかしら?」
「…………」
さしものアンジェリカも、自分の倍以上歳を重ねた人物にいつも通りの横柄な態度で接することはできなかったのか、一瞬言葉に詰まる。
「あ、あなたに何か関係がございますの?」
「当たり前でしょう」
女性は大きく頷くと、右手を自身の胸元に当て、
「娘が責められているのに何もしない母親が居ると思う?」
そう言い切った。
この状況からするならば、間違いなくベアトリーチェの母親なのだろう。
しかし、性格的にも外見的にも似ていない親子で、一見してそうだとはダンテも気づかなかった。
「フェリシア……!」
「あら、あなた」
女性――フェリシアの肩を、その夫と思しき男性が掴む。
こちらの方も外見的にはベアトリーチェと似てはいなかったが、雰囲気はなんとなく近しいものを感じさせる。
「いきなり喧嘩腰は良くないだろう」
「そうかしら。私は喧嘩をするつもりなんてないわよ」
「なら……」
「注意するつもりだったの」
気位が高く、下に見た相手には横柄な態度を取るアンジェリカには、なおのこと悪手だ。
いきりたつフェリシアをまあまあと諫め、男性はアンジェリカへと向き直り、一礼する。
「アンジェリカ嬢、お久しぶり……になりますでしょうか。ジェイド・オーキス・ロナ。ベアトリーチェの父にございます。それから……」
ジェイドがアンジェリカへ自分や妻の紹介をして、軽くやり取りを始める。
その間、完全に蚊帳の外であったダンテは、ベアトリーチェへと視線を向けると、彼女は先ほどまでの怯えた様子はどこへやら。
今は渋い顔をして両親のことを見つめていた。
ダンテは、なぜ今まで両親の存在に気づかなかったと突っ込みたくなる気持ちを抑え、アンジェリカから見えない位置で手を動かして合図を送る。
「――――っ」
ベアトリーチェはすぐさま気づき、ダンテへと視線を向けた。
母親という疎ましくも頼もしい味方を得た以上、もう心配はいらないだろうが、ダンテは念のためにと、口の動きだけで「気にするな」と伝える。
「…………」
ベアトリーチェの表情が一気にほどけ、口元には小さく笑みが浮かぶ。
そして、「ありがとう」と、ダンテと同じく音のない言葉を返す。
本当はこういった接触は気を持たせてしまうため、ダンテはしないつもりでいた。
しかし、ベアトリーチェが傷ついていくのを前にして、行動せずにはおれなかったのだ。
「それでは、お父様によろしくお伝えください」
「……ええ」
ダンテとベアトリーチェが無言のやり取りを終えると同時に、アンジェリカとジェイドの話も終わる。
アンジェリカの表情からすれば、まだ不満は残っている様だったが、一応は矛を収めたのだろう。
「ダンテさま、参りましょう」
アンジェリカはそう言って、ダンテの二の腕辺りに手を回す。
「ダンテ……君がダンテくんかな」
「はい? なんでしょうか」
ダンテは自身の名前を呼ばれたため、何気なくベアトリーチェの父、ジェイドの方へと振り向いた。
「君にはお礼を……言って……おか…………」
ダンテの顔を真正面から見たジェイドは、目を丸くして息をのむ。
その顔は、ただ驚いているというわけではなく、顔面を蒼白にして怯えすら混じっていた。
「あの、なにか?」
アンジェリカの父であるフェリドもダンテを見て驚いていた。
まるで、ダンテの顔に覚えでもあるかのように。
「いや……その……なんだ、君は……」
ジェイドはためらいながら、ひとこと一言絞り出すようにして言葉を紡ぐ。
次になんと言えばいいのか、それを口にしてもいいのか、相当悩んでいるように見える。
何故そこまで悩んでいるのか、その理由にダンテは心当たりがあった。
ダンテの親を殺す様に命令したのがアンジェリカの父親であるフェリドである、ということだ。
恐らくジェイドはダンテの父親と何らかの交流があり、顔を知っていたのだろう。
だからダンテは助け船を出す。
「ここでお話ししづらいようでしたら場所をかわりましょうか?」
「それは……」
ジェイドがしきりにアンジェリカへと視線を送る。
やはりブルームバーグ伯爵家を気にしているのだろうが、そこまで露骨ではなにかに感づいてくれと言っているようなものだった。
「私にだけ、話したいことがあると」
「ぐっ……まあ」
ベアトリーチェの父親なだけあって、嘘や隠し事が出来ない性質らしい。
素直に認め、重々しく頷いた。
「では、学校が終わってからでよろしいですか?」
「それは、何時なんだね?」
ジェイドの問いに答える前に、ダンテはアンジェリカの方を見る。
「申し訳ありませんが、私はあなたよりアンジェとの時間を優先させていただきます」
ダンテの言葉を聞いたアンジェリカの表情が、暗いものから晴れやかなものへと一気に変わっていく。
ダンテは、二の腕に添えられていたアンジェリカの手に自らの手を重ねると、彼女が安心するよう柔らかく微笑んだ。
「ですので、学校側が戸締りを始めましたら正門前にいらしてください」
ジェイドがあいまいな返事をしながらうなずいたのを確認した後、ダンテはフェリシアへと向き直る。
「奥さま。本日、教科書を返却しに行くのはベアトリーチェさんの当番です。誤解なきよう、お願いいたします」
「あら、そうなの」
軽くそう答えつつも、全然納得していないと言わんばかりに腕組みをして鋭い目つきでアンジェリカを見やる。
もう二回戦はさすがのダンテも勘弁願いたいところだったので、失礼の無いように別れの挨拶をしたうえで、アンジェリカを促し、ベアトリーチェとその家族たちへ背中を向けた。
「……アルはすぐに来させる」
「別に、必要な――」
「要らなくとも来させる。そうすれば合流もしやすいからね」
強く言い含めておけば、思いやりのあるベアトリーチェであれば断れはしない。
予想通り、ベアトリーチェはそれ以上何も言えなかった。
ただ、ダンテが強く出たのは手伝いをさせる目的もあったが、ベアトリーチェの口が滑って余分な事を両親に伝えてしまうのを防ぐという目的もあった。
「さて、アンジェ。今日は何がしたい?」
ダンテは教科書を集めている間に片付けていた自身のカバンと、アンジェリカの手提げ袋を持って歩き出す。
「そ、そうですわね、今日は……」
ダンテの腕に引かれるようにアンジェリカも歩き出し、ふたりは言葉を交わしながら教室を後にしたのだった。
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