「魔獣……堕ち」
「そうですよぉ。この子のツノは水に浸すとどんな水だって清水に変えるすごいもの。けれど、魔獣になったことで、夜にはツノをすり潰した粉末を水に溶かすと、とっても強い毒になるように変化しました。分かるでしょう? 滝壺で使ったのは、その毒ですわ」
この子が独占販売している理由と、滝壺に毒が注がれていた理由。その二つの疑問を一気に解決するのが、このピンク色の可愛らしいウサギさんだった。
魔獣となるほど虐げられて、失望して、それなのにまだ利用されている。安易に可哀想だという気持ちが生まれるが、首を振るう。それでは通報一択だ。
シズクが尻尾で私を冷静になれと制したのは、多分違う理由。
私はリリィに注目していた視線をウサギの『こっとん』へと向ける。その瞳はどうしても……。
「ねえ、ケイカさん。取り引きしませんか?」
「取り引き?」
「ええ、わたし。知恵の象徴たるヘビを手に入れるのが夢でしたの。同期のみんなと同じ、知恵を象徴するヘビを……」
「つまり?」
「こっとんのスカウトをしてください。そして、そのヘビと交換いたしましょう?」
思わず、舌打ちが出る。
「そんなこと、するとでも?」
私の態度に気を悪くするどころか、ますます愉快そうに笑ってリリィが言う。
「聖獣はスカウトできません。他人の聖獣を手に入れることもできません。ですが、魔獣なら、元々別人のモノであってもスカウトは可能ですの。あなたのヘビさんを堕とすのも楽ですよ。だって、滝壺を汚した原因がこうしてここにいるのですから」
そんな抜け道が……と一瞬考えたが、通報秒読みの腕を抑える。我慢してる私偉い。
横目で見ると、シズクは静かな目でリリィを見るばかり。とてもじゃないが、リリィを理由にシズクが心をマイナスに染め上げるとも思えない。ちょっと安心した。
「この子の名前はシズクです。ヘビではありません。あなたのところへ行ってもこの子が幸せになれるとも思えません。あなた、聖獣をアクセサリーかなにかだと思っていませんか? ふざけてんですか? んなの許すわけないでしょう」
微妙に口調が乱れて首を振る。
落ち着け、落ち着け、私は冷静。クール。エレガントに構えて対処するのです。落ち着け。
「あなたのはじめてのパートナーはそこの子でしたっけ……」
リリィがアカツキを見て言う。
アカツキはその視線に「なんだ、やるのか? オラオラ」とでも言いそうなくらい翼を広げて威嚇している。
ちょっと和んだ。ありがとう。
「ニワトリは情熱……確かに、あなたはとっても情熱的な人ですね」
どこか、寂しそうにリリィが眉を歪めた。
「周りの人はみんなそう……同期の子はみんなヘビやニワトリ、イヌで……わたし、一人だけが、ウサギでした」
俯いて、彼女の表情が見えなくなる。その声はどこか震えているように感じた。
足元でオボロが唸り、部屋の中はそれ以外の音がなくて妙に静かである。
「ヘビの子は『賢い』んだって褒められました。ニワトリの子はなにかに『情熱』を注げる子だって褒められました……では、ウサギは? 『臆病』? わたしが? このわたしが、わたしの本質が『臆病者』だとでも言うのですか? そんなの……そんなの、許せるはずないじゃないですか!」
顔を上げたリリィは整った顔を怒らせて、実際に言われたのだろう言葉を思い出してか泣きそうな顔をしている。
「一人だけ『臆病者』扱い。なにをやっても、なにか成功しても臆病だから先手が打てただとか慎重にできていただとか……最初のパートナーがウサギだったというだけで、そういう扱いです。こんなことなら、こんなことを言われるのなら、ウサギなんていらない」
吐き捨てるように。
「こっとんなんて、最初から大っ嫌い!」
胸が痛くなるようだった。
さっきまでは怒りで目の前が見えないくらいだったのに。さっきよりもひどい言葉を吐き出し続けているというのに、リリィの言葉がどこか虚しく響いて、悲しくなる。
オタク心としては『なるほど拗らせお嬢様か。推せるわ』という心持ちだが、さすがに最後の一言だけは許せない。
「いいでしょう、こっとんちゃんを私がもらってあげましょう。ただし、シズクはあげません。一方的に私があなたから取り上げます」
「え、それは……」
「抵抗しますか? なら、奪いやすいように、あなたからノックアウトしてさしあげましょうね? 一発くらい殴っておかないと、私の気が治りません。ごめんなさいね、エレガントヤンキーなもので」
「え?」
とうとう自称してしまったが別にいい。
この子は目の前で示してみせないと、どうやら分からないらしいからね。
視線を鋭く、そして足を引き、オボロの背を撫でる。
そしてオボロの背中に横乗りになって、「GO!」と掛け声をあげる。
「オオーン!」
一気に距離を詰め、鉄扇を振りかざし、あと一歩。
青ざめて、恐怖に顔を染めたリリィの姿が目の前に迫って――。
「な、んで」
――リリィの前に守るように立ち塞がるウサギの『こっとん』の姿が、そこにあった。
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