扉の開く音がして、ハッと息を飲み込み口元を押さえて声を押し殺す。
それから私は咄嗟に物陰にでも隠れようとした……のだけれど、視線を落とした先にいるオボロとアカツキに足を止めた。
たとえ私が隠れられたとしても、この子達は?
そんな考えが脳裏をよぎり、行動に移ることができなかった。足元に伏せて必死に隠れようとする、少し大きなオボロと堂々と胸を張って犯人(暫定)を出迎えようとするアカツキ……いやいや、アカツキは逆にふてぶてしすぎるでしょ。
私の肩から首の周りをマフラーのように巻きつけるシズクは、その様子を見て呆れ顔だ。
「あらあら、お客様。ここはバックヤードですのよぉ、立ち入りはご遠慮くださいなぁ……」
アカツキが私の前に躍り出る。
翼を広げてぶわりと羽毛を逆立たせ、威嚇するようなポーズ。私を庇うようなその様子に内心感動が隠せないけれど、さすがに今抱きしめてよしよしするわけにはいかない!
のんきだなとか、言ってはいけない!
うちの子が可愛いのはこの世の真理である。
「リリィ、さん」
足を一歩引いて背後を振り返る。裏口まではちょっと遠い。たとえここで逃げたとしても、悪者になるのは私である。ならばここは証拠をしっかり掴んだうえで、彼女に自白してもらえばいいと判断。即座にゲーム内録画を開始した。
配信にしないのは、さすがにネタバレ映像をなんの断りもなく、ワンクッションもなく爆撃するわけにはいかないからだ。ストーリー初見の楽しみを奪うようなことはさすがにしない。ミズチのときは普通のミズチ攻略は既にクリアしている人が多かったから、やったのだ。
「リリィさん、開き直りますけど……あなたのしでかしたことはもうすでに分かっています。『王蛇の水源』で滝壺を汚し、王蛇ミズチを怒らせて魔獣化させたのはあなたですよね?」
「なんのことかしら? わたしは今、泥棒さんを追い詰めているところだというのに……わたしがそんなことをした証拠でもあるのぉ?」
白々しく声だけが聞こえてくる。
次の瞬間、その場がいきなり明るくなった。
「あります。ありますよ、もちろんです」
私達がいる場所の少し先……照明のスイッチに手を触れた少女の姿が浮かびあがる。
金の髪を両側で緩くウェーブにしたお嬢様然とした少女。わざとらしいツインテールでも、よくありがちなドリルでもなくふわふわとなびく、育ちの良さをディティールで全力で表したかのような女の子だ。
控えめな桃色のリボンで結っていて、その瞳は夜空のような深い青色。
彼女の元へぴょんこ、ぴょんこ、と飛び跳ねていくウサギさんの瞳と合わせ、夜空と夕暮れ空の組み合わせの一人と一匹だ。可愛らしいウサギに、ゆるふわお嬢様。とてもお似合いで、羨ましいくらい……ウサギさんが魔獣でさえなければ。
「滝壺で見た毒入りの無限水差しはそこの設計図にそっくりですし、そこで手に入れた『獣退散』のお札もそっくり……いいえ、筆跡まで似ています。だって、実物がここにあるんですから」
手に持ったお札をひらひらと示してみせて相手の表情を窺う。しかし、リリィ御令嬢はうっすらと微笑んだまま表情を崩さない。
罠か、それとも偶然かと考えていたけれど……さては本当に罠だな?
意図的にウサギさんにここへ誘導させたのか。
けれど、それだとウサギさんの浮かべていた『焦り』の表情が気になる。
今考えると、あれは多分『魔獣言語』の効果だったんだ。だからウサギさんが焦っているように見えたし、悲壮や疲れの表情が見えていたのだろう。
それにしては……魔獣なのにリリィに従っているのが引っかかるな。愛想を尽かしているなら、そのまま逃げ出してしまえばいいんだから。
「たしかに、それはわたしのものでしょう。けれど、それがセイリュウ様の|眷属《けんぞく》たるミズチ様の住処にあったかどうかは分かりませんよね?」
「動画が撮れることくらい分かりませんか? カメラさえあれば証拠を動く映像で残すことは可能です。見せて差し上げてもよろしいですが?」
リリィ御令嬢を鋭く睨みあげて言い放つ。
本当はスクリーン内動画なのだが、NPC相手ならカメラという単語を使ったほうがいいだろう。ショップで普通に売ってるし。
あーあ、これだからエレガントヤンキーとか言われるんだよとか反省しつつも、けれど怒りは冷めやらない。
こんな涼しい顔をして、ミズチに敬称までつけておきながら住処を汚し、魔獣へと落としたんだ。こいつは。
それなりの罰が下らないと納得がいかない。
そう思って唇を噛めば、頬にひんやりとしたものが触れる。
横目で見れば、シズクが尻尾で私のほっぺたをぐいーっと伸ばしながら見つめていた。
聖獣言語は取得していない……けれど、どこか怒りに流されるな、とたしなめられた気がした。
汚された側のシズクがこうして冷静に私を見ている。なら、もう少し、もう少し怒りを抑えて話を聞き出すほうへ誘導しようと頭を冷やす。
「なるほど、動画……ですか。それなら、確かに証拠となってしまいますね」
ふっと、目を伏せてリリィが言う。
観念してくれたか? と、思ったところだった。
「アクア・サーペントを連れているということは、あなたはミズチ様を救ったのですね。お名前を訊いても?」
「ケイカ」
「そう、ケイカさん。わたくし、改めてリリィと申します。どうぞよしなに」
話を引き伸ばそうとする彼女に焦れた心が早く通報してしまえと囁いてくる。けど、まだだ。まだ、もう少し待とう。
たとえNPCであっても通報はできる。
そういう仕様だ。
多分こういうイベントのために用意された部分もあるのだろう。だが、ここは……ここは優しい世界のはず。
運営が胸糞の悪いイベントで終わらせるはずがない。きっと、ないんだ。もちろん希望的観測でしかない。
でも私はそう信じたい。
「この子の名前はシズク。こっちは私のはじめてのパートナー、アカツキ。そしてこちらがオボロです。その子は?」
ウサギさんを示して言葉を促す。
するとリリィは苦い顔をして「こっとん」とだけ呟いた。
なんだ、可愛い名前じゃないか。それに、名前をつけるくらい仲が良いということで……まてよ?
「お聞きします、リリィさん。私はまだ共存者となって日が浅いので知識が確かではないのですが……魔獣に、名前って、つけられるのでしょうか?」
私の確認するような言葉に、御令嬢は酷薄な笑みを浮かべて足元のピンク・ムーン・ラビットを見下ろす。
「いいえ、名前をつけて可愛がれるのは、共存者に協力する『聖獣』のみ、ですわぁ」
まさか。
「あなた、まさかその子……!」
「ええ、そうです。あなたのご想像通りですのぉ。この子はぁ、私のはじめてのパートナーでした」
あくまでにっこりと笑いながら、まったく笑顔を崩さない少女に私は怖くなってしまった。
私には絶対にそんなことができないから。
「歳が七つの頃に、教会で神獣様の領域へと向かい……素質があるものに聖獣が降臨してはじめてのパートナーとなります。この子がぁ……それです」
それ。
たった二文字だけれど、とてもひどい言葉だった。
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