「ちっ、大分離されたな!」
進之助が自転車を降りて、海に飛び込む。
(赤毛の君は泳ぎはそこまでではない! わたくしなら逃げ切れる!)
綺麗なフォームのクロールで泳ぎながら、八千代は考えを巡らす。
「よし、いいぞ! 赤宿相手に力を出せないと思ったが、しっかりと泳げている!」
「呂科、俺たちも続くぞ!」
「ああ!」
竹波と呂科も海に飛び込み泳ぎ出す。
「くっ、あの二人も良い泳ぎ!」
「これでは逆に赤毛が追いつかれテ、プレッシャーをかけられる可能性もあるナ!」
「ど、どうにか出来ないかな⁉」
「とにかく、私たちも必死で追い上げル!」
「そうだね、それしかない!」
自転車を降りたイザベラと葵がそれぞれ海に飛び込んで泳ぎ出す。
(まずハ、あの二人に赤毛の邪魔をさせないことが肝要ダ!)
「ん⁉ なにかすごいプレッシャーが後方から……」
「なんだと……!」
呂科の言葉を聞いた竹波は後方に視線をやる。呂科が尋ねる。
「どうだ?」
「いや……あ、あれか!」
「なに⁉ うおっ⁉」
竹波の言葉を聞いて後ろを振り返った呂科が驚く。イザベラがバタフライで猛然と追い上げてきたからである。
(……まずはここでこいつらを足止めすル! 赤毛の邪魔はさせン!)
イザベラの迫力ある泳ぎに竹波たちは気圧されてしまう。
「ま、まずい! このままじゃ追いつかれる!」
「その勢いのままで赤宿と合流されたら厄介だな!」
「海でもスリップストリームってあるのか?」
「ああ、ある!」
「ならば合流されたら本当にマズいじゃないか!」
「そうだな」
「どうする⁉」
「赤宿を追い抜いて、五橋さんと合流し、スピードアップという手もあるにはあるが、その間に赤宿と他の二人が合流してしまう可能性がある。それは避けたい!」
「しかし、上様は今のところ……何⁉」
「ど、どうした竹波⁉」
「う、上様を見ろ……」
「うん? なっ、なんて見事な背泳ぎだ! 背泳ぎであそこまで泳げるとは!」
葵が背泳ぎで先行するろ組の二人に追いつこうとする。
(進之助の邪魔はさせない! この二人の勢いはここで食い止める!)
特に打ち合わせをしたわけではないが、イザベラと葵の考えはほぼ一致した。やや迷いが出た竹波と呂科のコンビとはここで意識の差が出た。かなりの差があったにもかかわらず、イザベラと葵は竹波と呂科を捉えることに成功した。
(ぐうっ⁉ 後ろを気にし過ぎた! ここで追いつかれるとは)
竹波が悔しそうな表情を浮かべる。
(さっさと赤宿を抜きにかかれば良かったんだ! 勢い的にはこちらが圧されている!)
呂科が苦々しい表情を浮かべる。
(ちょろちょろ邪魔な連中はここで牽制出来ル! 後は赤毛があのお嬢を抜けバ……!)
イザベラは勝利への道を思い描く。葵が呟く。
「進之助、大丈夫かな……」
「!」
葵の呟きを聞いて、イザベラの顔色が変わる。
「で、でもここに残っていた方が良いのかな? ね? ザベちゃん……」
「行くぞ! ショーグン!」
「ええっ⁉」
イザベラの言葉に葵は驚く。
「ここで赤毛に追いついテ、奴のスパートをアシストすル! それで我々の勝ちダ!」
「ザベちゃんがそう言うなら……分かったよ!」
「行くゾ! ウオオッ!」
「うおおおっ!」
「うん、後方に凄いプレッシャーが……誰だ⁉」
進之助が振り返ると、そこには鬼気迫る様子で泳ぐ、イザベラと葵の姿があった。
「ハア……ハア……追いついたゾ」
「お、お前ら……」
「私たちが先導するから、ゴールのギリギリ前で飛び出して!」
「あ、ああ……!」
「行くぞ!」
イザベラと葵に先導されて、進之助はさらにスピードアップする。
「良い調子! 五橋さんが見えてきた!」
「よし、今ダ! 赤毛!」
「おっしゃあ!」
「行っけぇー! って、ええ⁉」
十分に加速した進之助が飛び出す。それを見た葵が驚く。ここに来て進之助の泳法が犬かきだったからである。
「うおおっ!」
「い、犬かき⁉ そ、それでも凄いスピード!」
「先頭は頂くぜ!」
「くっ、赤毛の君⁉ ですが、ここまで繋いでくれたクラスメイトの為にも、ここばかりは負けられません!」
進之助に並びかけられた八千代も最後のスパートを見せる。葵が叫ぶ。
「五橋さん! まだ余力が……!」
「ここまできて負けられないのはオイラだって同じなんだよ!」
「うおお! ぐっ⁉」
「⁉」
八千代の動きが止まる。葵が戸惑う。
「な、何が起こったの⁉」
「恐らくだガ、足を攣ったナ……」
「えっ⁉」
「これは好機ダ! 赤毛! そのまま抜き去ってしまエ!」
「……」
「ゴールはもう目の前ダ!」
(わ、分かっているよ、イザコザ……だけどよ、悪いな!)
「ナッ⁉」
「進之助⁉」
イザベラと葵が驚く。進之助が真っすぐに進まず、横に曲がったからである。
「えっ⁉」
「掴まれ!」
進之助は足の攣った八千代の救助を優先したのである。
「なっ……」
「無事か?」
「え、ええ……」
「そりゃあ良かった」
八千代の言葉に進之助は笑みを浮かべる。
「な、何故わたくしを……もうちょっとでレースに勝てたのに……」
「レースの勝ち負けなんかよりもっと大事なもんがあるんだよ」
「え?」
「オイラ、赤宿進之助、ハイパー火消し赤宿……HHAを目指しているんだ!」
「は、はあ……」
「陸の上でも海の中でもやることは一緒だ。人の大事なものを守る!」
「!」
「それがオイラの信条だ!」
「す、素敵!」
八千代が進之助に思いきり抱きつく。進之助が面食らう。
「って、おい! バランスが崩れるからあんまり動くな……って」
進之助は八千代の甘い視線に気が付く。八千代が口を開く。
「以前からの思いが確信に変わりました……」
「え? い、いや、あのな、オイラにはその……」
流石にある程度はその場に流れる空気というものを察した進之助がなんとかこの状況を乗り切ろうと、顔を左右に振るが、八千代がその顔をがっしりと掴む。
「せめてわたくしの思いを知って下さい……」
「ちょ、ちょっと待て……」
「いいえ、待ちません……」
「……」
八千代の顔が近づき、進之助も思わず目を閉じる。八千代が微笑む。
「赤毛の君……ぐえっ!」
「近づき過ぎダ……二人とも溺れるゾ」
イザベラが手を伸ばし、八千代と進之助の顔を強引に引き離す。八千代が叫ぶ。
「な、何をするのです! せっかくのいい雰囲気だったのに⁉」
「だからこそ邪魔をしタ」
「なぜ、貴女がそのような意地悪をするのです!」
「意地悪ではなイ」
「え?」
「私が優勝者だ」
「ええっ⁉」
「確か……負けた方が勝った方の言うことになにか一つ従うこと……だったな?」
「そ、それがなにか……?」
「そこで黙って見ていろ」
「え……⁉」
イザベラが進之助の左頬にキスしたのである。八千代が固まる。
「フン、悪く思うナ。恨むなら、ラストで足が攣った自分の詰めの甘さを恨メ」
「なっ……」
「お嬢様!」
ボートに乗ってきた憂が放心状態の八千代を引き上げる。イザベラが声をかける。
「憂、お前のお嬢様はなかなか面白いナ」
「もう、あまりからかわないで頂戴……」
八千代を乗せてボートが離れる。進之助がイザベラをぼんやりと見つめる。
「か、勘違いするなヨ! お前のお陰でレースに勝てたからナ。その礼みたいなものダ。他意はないゾ。ほ、本当に勘違いするなヨ‼」
「ほっぺた……」
「く、口づけはさすがに人前でハ……って、ちょ、調子に乗るナ! 失礼すル!」
イザベラはそそくさとその場から泳ぎ去る。進之助は左頬を撫でながら、にやける。
「く、唇……柔らかかったなあ……」
「これでもかとばかりニヤニヤしているね、進之助」
「おおっ⁉」
葵にいきなり声をかけられて、進之助は驚く。
「良かったね~祝福のキッス……」
「いや、それはまあ……なんというか……」
「だけど……五橋さんの気持ちを弄んだのは頂けないかな~」
「ま、待ってくれ、経緯を説明させてくれないか?」
進之助の制止も虚しく、葵はその場を去ってしまった。横から現れた爽が淡々と呟く。
「わざわざボートで様子を見にきたらまた面倒なことに……葵様へはそれとなくフォローを入れておきます」
「た、助かるぜ!」
「ですがそれはそれ。赤宿進之助さん。これはややマイナスポイントですね……」
「し、審判はするのかよ⁉」
「厳正かつ公平な審判をお願いされておりますので……特に貴方から……失礼致します」
「そ、そんな……」
爽もその場を去り、進之助は呆然と海を漂う。その様子を砂浜から双眼鏡で眺めていた将司が端末に呟く。
「金銀お嬢様、赤も塗り潰せましたよ……」
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