本格的に日が落ちる頃には、森の端近くまで来ることができた。
街道から身を隠せる程度の木陰で野営の準備を始める。
「すみません、レティさん……私がいなければ、跳んでいくこともできたのに」
「……ううん、今は跳んで戻るのは危険だし……エリーを置いては行けないから」
そういう、そういうとこですっ、と小さな声で抗議されたが、なんだか納得がいかない。
二人で野営するのは二度目ともなれば、役割分担も準備もすぐに終わり。
また交代で同じ毛布を使っての睡眠を取った。
翌朝、早くに出立し、街道沿いを東へ。
途中、昼頃に川の近くで休憩し、軽く手足を洗った。
それだけでも気分が晴れるものだと、改めて思う。
そうして夕方に差し掛かるころに、城壁に囲まれた街に辿り着いた。
王都を守護するかのような位置にある、タンデラム公爵領の中心都市。言わば領都と言える街だった。
門を守る衛兵の引き締まった表情、姿勢の正しさからも規律の高さが伺える。
門をくぐる際に、レティが何やら小さなカードを取り出し衛兵に提示した。
身分証のようなものだったらしく、衛兵はうん、と頷いた。
「そちらは?」
「依頼の護衛対象。王都の婚約者の家まで」
事前の打ち合わせ通りにそう告げると、そうです、とばかりにエリーがにっこり笑う。
釣られて笑顔になった衛兵は、咎めることもなく二人を街中に通した。
しばらく、街の中を歩いてから、エリーが口を開く。
「……便利ですね、それ。
冒険者ギルドのギルドカードでしたっけ」
「そう。……エリーの時代にはなかったの?」
「ええ、そういうのが必要ないくらい、十分な衛兵と火力がありましたから……過剰なくらいに」
かつての古代魔法文明時代、魔物はほとんど脅威ではなくなっていた。
しかしカルシュバーナ皇国が突然崩壊、消滅したことにより一転、人間は存亡の危機に立たされる。
何とか力を合わせ集団を組織し、あるいはわずかに残った魔術知識を用いて魔物に対抗。
集落から村、国へと発展させていった。
その過程において軍隊というものができていったが、国としての体裁を整えていくに従い新たな問題が発生した。
まだ十分な量と質が揃う前に、軍隊が人間と人間の争い、あるいは牽制に使われるようになったのだ。
其の為、村や町に魔物の被害が再び出始め、人々は自衛を余儀なくされた。
民間の有志が集団を組み、魔物を退治して報酬を受け取るようになる。
彼らは、冒険者と呼ばれた。
その冒険者への互助組織、依頼の斡旋、報酬の管理などを行うのが冒険者ギルドだ。
一定の手続きと審査はあるが、それをパスしさえすれば冒険者としての身分を得て、ほとんどの都市にギルドカードの提示だけで入ることができるようになる。
「まあ、便利なものだよ。……特に私みたいな人間には、ね」
冒険者になる人間は、名誉を欲するもの、金銭を求めるもの、義憤に駆られたもの、己の成長を求めたものなど様々だ。
その中で一定数いるのが……レティのような裏の世界の人間が、表向きの顔を手に入れるために取得したケースだ。
彼らは普段は冒険者としては活動していない。
事情を知る人間は、ギルドで見慣れないのに新人に見えない奴には近づくな、と忠告していたりする。
「私もあった方が色々やりやすいですよね?」
当たり前だが、1500年前のしかも兵器であるエリーには、身分証などない。
いずれは何らかの身分証が必要だとは思っていた。
「そう、だね……それは、落ち着いてから考えようか……」
とは言え、今はそのために暗殺ギルドのツテを使えるかもわからない。
まずは、とレティは足を進めた。
大通りから裏路地へ入り、さらに分け入って。
スラム街、まではいかないがかなり寂れた地区へと入っていく。
やがて、一軒の粗末な家に辿り着くと、レティはわざと足音を響かせながら扉へと近づいた。
扉の上の方でノックを二回。
下の方に強めに一回。
ノブに触れて、右に一回、左に一回、もう一度右に捻り、ドアをゆっくりと開ける。
「……ボブじいさん、いる?」
「ゴースト!! 無事だったのか!
いや、お前なら無事だと思っとったよ!」
奥のカウンターの向こうに腰掛けたまま、60代くらいの老人が喜色満面で出迎えた。
故買屋でもある彼は、ギルドの情報屋の一人でもある。
事前に決められた手順で扉を開けることで、ギルドメンバーであることを伝えていたからかリラックスした空気だった。
レティは軽く頷いて見せると、そのままカウンターへと歩み寄る。
エリーはその後について入っていった。
「ん? そちらの娘さんは?」
「ああ、ええと……仕事絡みだから、どこまで話したものか……」
今後のことを考えると、エリーにはこの場に同席していて欲しい。
だが、ボブじいさんが部外者のいる前で踏み込んだ話をしてくれるとも思えない。
エリーの存在をあまり口外はしたくない、が……仕方ない、と考えて、ボブじいさんにはおおよそを話すことにした。
「ほう? なんとまぁ、そんなことがあったのか……。
いやはや、この目でも見ても信じられんが……お前さんはそんな冗談を言うやつでもないからのぉ」
驚いたようにエリーを見つめた後、納得したように頷き、二人に椅子を勧める。
「無事だったのか、ということは……じいさんのところにも、来たの?」
「ああ、二人で押しかけて来おってな……ちょいと畳んでやったが」
その体は老人と思えぬほどに筋肉質であり、まだまだ現役の張りを維持していた。
背筋も伸び、眼光も鋭い。
「……じいさん相手に二人……こっちも、過小評価してる……」
「え。」
「ん? どういうことじゃ」
「……私のところには、剣を持った男が三人だけ」
「なんじゃそれは……随分と安く見られたもんじゃな……。
お前さんを獲ろうってんなら、飛び道具持ち含めて五、六人は必要じゃろうに」
「え。」
互いが一人で複数を撃退できて当たり前のように続く会話に、エリーが面食らったような声を挟む。
「ああ……ボブじいさんはこう見えて昔は一番の腕利きでね……今は、自称二番目」
「自称は余計じゃわい。お前さんくらいじゃ、わしが相手にならんのは」
「やだこの二人こわい」
思わず引いてしまうエリーに、じいさんは愉快そうに笑った。
しかし、すぐに表情を引き締めて。
「そういや、つなぎのテッドはどうした?」
「ん……テッドは……ごめん、ダメだった……」
「……そうか……」
それだけ呟くとボブは口を結び、天井を見上げた。
しばらく、沈黙が落ちて。
「あいつにも、もう少し仕込んでやるんじゃったなぁ……」
「……そう、だね……。
でも、最後に少しだけ話せた」
そうして、テッドとの会話、男への尋問からの情報を伝える。
「依頼の内容をそこまで細かく把握して、アジトもこれだけ抑えている。
そして、盗賊ギルドにツテのある、が情報を信じてもらえず舐められとる、となると……限られてくるわい」
「……じいさんも何か情報が?」
「ああ、ゴロツキどもに依頼したのは王都にいる。
随分とミスリル銀貨を奮発したらしいが、ほとんどゴロツキのボスにピンハネされたとさ」
そこで言葉を切ると、大きくため息をついた。
レティも、困ったように眉を寄せている。
「……ハンス?」
「じゃろうなぁ……ゴロツキどものボスはゴルドという奴じゃろう。
ハンスは昔、奴の舎弟でな、今でも力関係は変わっておらんようじゃ」
沈黙が落ちる。
ハンスを知らないエリーだけがオロオロとしていた。
「私が街を出てから六日……本来ならもっとかかるはずだった。
それだけ私が留守にするのは久しぶり……」
「そこを狙ったんじゃろうな……と、なれば、じゃ……」
ボブじいさんは天井を見上げ、レティはカウンターに視線を落とし。
察したエリーも沈黙するしかない。
「グレッグはもう、手遅れじゃろうな……」
奪われるだけの人生だった。奪い返す人生だった。
悪くはない。悪くは、ない。
この終わりに、少し未練があるだけだ。
次回:悪党の挽歌
悪党は、悪党らしく。
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