「よう、戻ったかゴースト」
にやり、と唇を曲げた男が、少女を出迎えた。
男の年齢は三十台半ばほど。長身で肩幅も広く、鍛えられた筋肉がその体を覆っている。
それでいて鈍重な印象はなく、その動きには無駄も油断もない。
熟練の狩人が、ぶらりと無造作に構えた鉈のような印象を与える男だった。
少女はこくりと頷くと、平坦な声で答えた。
「マスター、『仕事』は問題なく完了した」
面白味もなく簡潔に、ニコリともせずに。
男とは対照的に、鋭く細い短剣のような印象を与える少女だった。
年齢は20より少し前、17、8くらいだろうか。
折れそうな程に細い体。
身長は、160cmを少し越えたくらいのやや高めの身長。
それだけに、一層細い印象を与える。
腰まで届くほどの長く深い色合いの黒髪と、それによって一層際立つ抜けるような白い肌。
……やや、病的なくらいには、白い。
整った顔立ちは、乏しい表情のせいで作り物めいた印象を与える。
やや釣り目気味の目には感情らしいものがなく、黒い瞳は深淵を覗き込むような気分にさえさせる。
動きを阻害しないシンプルな上着に足首までしっかりと覆うパンツはいずれも黒。
それも相まって、死神然とした印象を与える。
……いや、事実死神のようなものでは、あるのだが。
「そうかい、ご苦労。んじゃ、装備を点検して片づけたら、休め」
少女の感情のない報告には慣れっこなのか、気にした様子もなくそう応じる。
いや、むしろ彼女の感情を奪った張本人だからこそ、気にしないのかも知れない。
こくり、と少女は頷くと、自室へと向かう。
その背中へと向けて、マスターと呼ばれた男…グレッグは声をかけた。
「ああ、そうだ。明日、別件でお客さんが来る。上得意からの紹介らしい。お前も例の場所で同席してくれ」
「……わかった」
一瞬足を止め頷くと、今度こそ自室へと向かっていく。
……彼女が去った後、グレッグは満足そうに頷いた。
「まったく、本当に使える奴だぜ」
その声の響きは、優秀な部下を誇るもの……ではなく。
使える道具への賛辞としか思えない、酷薄なものがあった。
グレッグは合理的な男だ。……恐らく、あまり良くない意味で。
自己の利益のためならば平気で恩人すら裏切り、使い捨てる。
それでいて、部下には手厚く接する。
裏切られないように。自分に従うことが利益であるように。
この年齢で暗殺ギルドなどというならず者の集団、その極地とも言える組織を束ねているのはその手腕によるものだ。
「さて、明日はどんな儲け話になるのかね?」
その儲け話とは、即ち人殺しなのだが。
彼は酷く楽し気に、そう呟いた。
ゴーストと呼ばれた少女は、自室へと入った。
この『ゴースト』という呼び名は、いわゆるコードネームだ。
侵入不可能と思われる場所へと忍び込み、確実に暗殺を遂行する……そこから名づけられた呼び名。
今やこの暗殺ギルドで彼女を本来の名前で呼ぶものはいない。
ハサミをハサミと呼ぶように。
道具の名前として、『ゴースト』と呼ばれる。
当の本人は、そのことを全く意に介していなかったが。
酷く狭く、小さなベッドとサイドテーブル、何やら道具の詰め込まれた箱以外は家具らしき物も無い部屋に入ると、適当に服を脱ぎ散らかして、下着のみの姿になり敷布の敷かれた床へと座る。
腰に差していたダガー……つい先程、伯爵の命を奪ったそれを、無造作かつ不気味なほど滑らかに鞘ごと抜き取った。
すらり、と静かに鞘から短剣を抜き放つと、刃の状態を確認する。
……きっちりと研ぎあげられた刀身に刃こぼれは無く、歪みもない。
ただ、乱雑に拭われただけのそれには曇りが残っていた。
そこに油を塗り付け、幾度も拭き上げ、磨く。
血が油に溶け、流れていくように。錆が来ないように。
また、『使える』ように。
淡々と作業をするその手に、つい先程人一人の生命を奪った刃に触れるためらいや動揺は微塵もない。
やがて、磨き終わると淀みない手つきで鞘に納める。
それをベッドのサイドテーブルに置くと、座ったまま開脚し、ゆっくりと上体を伏せていく。
体の筋肉の強張りが無いか確認しながら、傷めないように時間をかけて伸ばすストレッチ。
時間をかけて、全身を解していく。
やがてそれも終わると、指を動かし、手足を軽く動かし、動作を確認する。
……つまりは、彼女の体も点検すべき装備なのだった。
そして全ての点検を終えると、ベッドへと潜り込む。
目を閉じると、数秒で眠りへ……正確には、睡眠と覚醒の中間くらいの意識状態、何か異変があればすぐに感知できるような状態へと移行して。
脳と体を最低限休めながら、次の朝へと向かう。
半ば起きているような彼女は、夢を見ることもなく、夜を終え、朝を迎えるのだった。
危ないヤマは金になる。
それが、破格の危険と背中合わせなら尚更だ。
虚勢ハッタリ貼り付けて、男は笑顔で依頼を受ける。
次回:悪党の笑みには裏がある。
どうせ、賭けるチップは俺じゃない。
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