翌日。
伯爵の死が王都の一部を騒がせ、それによって確認した依頼主が報酬を持ってきた、その後。
グレッグの言っていた客がやってきた。
「ようこそいらっしゃいました、お客様。どうにもむさ苦しい場所で申し訳ないが、今しばらくご勘弁願いたい」
役者のような大げさな身振りで堂々と客を迎えるグレッグ。
対して、案内されてきた男の方はどうにも落ち着かない。
年のころは30半ばから40前後。グレッグと同年代だろうか。
人に見られないようか、身にまとっているのは春の終わりの陽気にそぐわないコート。
飾り気のないシンプルなものだが使われている生地は上質なもの。
縫製もしっかりしたもので、見る者が見れば一目で上流階級、あるいはそれに属する人間が着るものだとわかる。
そんな人間が、一応応接間の体裁を取っているとはいえ明かりもろくになく薄暗い部屋で、薄汚れた壁や調度品に囲まれ、強面のいかにも裏社会の人間でございといった貫禄の男と対峙しているのだ、挙動不審になるのも無理はない。
緊張を隠すこともできない男を和ませようと、グレッグは愛想笑いを浮かべてみせる。
……獰猛とも見えるその笑みは、かえって男を固くしてしまったようだが。
「ご紹介と伺っておりますが、紹介状はございますかな?」
これ以上打ち解けるのは無理と判断したのか、グレッグはそう切り出した。
男はそれを聞くと、はっとした表情になり、懐に手を入れた。
……と、グレッグの目が細められる。
その視線に気づいた男が、手を止める。
……一歩間違えれば、懐から武器の一つも取り出すと誤解されかねない動きだと気づいたらしい。
一回、二回、深呼吸をして。
ゆっくり、ゆっくりと、手順を確認していくかのような緩慢な動作で懐から書状を取り出した。
その書状を保護するためにか巻いていたハンカチくらいの布をゆっくりと解いていく。
一瞬だけ、その手を止めて、グレッグに視線を送る。
布に刺繍された紋章を確認すると、グレッグは小さく頷いた。
それを確認すると、男は手を進め、紹介状を取り出した。
「こちらに、お持ちしました」
そう男は告げ、書状を差し出した。
グレッグは鷹揚に頷いて受け取り、慣れた手つきで開封して中身を確認した。
……実は、書状には大したことは書かれていない。
決められた作法で取り出すことができるか。身分を示すことができるか。
それが紹介を受けた者の証しだからだ。
そしてその手順によって知らされた身分に、グレッグは内心冷や汗をかきながら歓喜していた。
……エンドルク公爵家の者、か……
そう、内心で呟く。
エンドルク公爵家。
ジュラスティン王国において、王家の次に力を持つ3つの公爵家の一つ。
特に武門の家として知られ、代々将軍など軍の要職を輩出してきた家柄だ。
当然その権勢は絶大で、資産もかなりのものだと聞いている。
……つまりは、武力行使においては他の追従を許さない家でもある。
そんな家からの依頼となると……どれ程に困難なものか。
……そして、どれ程に毟り取ることができるものか。
内心の計算をおくびにも出さず、にこやかな笑顔でグレッグは話しかけた。
「これはこれは、痛み入ります。何分こういった仕事でございまして、念には念を入れねばならぬものですから」
それは、確認が取れたという合図。
聞いた男は、ほっと息をつき肩を撫で下ろした。
「それでは早速お話を、と言いたいところですが、その前に我々のルールを確認させていただきます。
既にお聞きかも知れませんが…。
まず大前提として、王族の方を標的とする依頼はお断りしております。
それ以外でも、こちらが裏付けを取った結果虚偽の依頼、あるいはこちらを騙すものであった場合にはお断り、あるいは途中で放棄いたします。
また、基本的には報酬の半額を前金としていただき、残りは達成後にいただく形にしております。
ただし。一度受けたからにはどんなことがあろうとも完遂いたします。
ここまではよろしいですか?」
幾度も語ってきたであろう長台詞を淀みなく話し切り、男の表情を窺う。
小さく頷いたのを見ると、話を続けた。
「それでは……依頼の相手を伺いましょう。
誰なのか。何故なのか。その他に事情があれば、それも。
そして、報酬としてはいか程をお考えか」
そこまで言い切ると、男の言葉を待つ。
一分にも満たない沈黙の後、男は口を開いた。
「相手は、カーチス・フォン・エンドルク。
エンドルク公爵様のご長男であり、次期公爵と目されているお方です」
その言葉に、さすがのグレッグもピクリと体を震わせる。
よりによって、政敵の排除ではなく、お家騒動。
実は、グレッグが王家を相手とする依頼を断るのもお家騒動を嫌ってのことだ。
仮に王太子でも暗殺してしまえば、国の根幹を揺るがす一大事になり、それを起こした原因は、それこそ国を挙げて追及される。
そうなれば、いかに裏の世界で幅を利かせていようとも刈り取られるのは想像に難くない。
ただし、例外があり……次期王位を得られる者が、そのために邪魔な王族を排除する場合においてのみ、依頼を受け入れる。
もちろん其の後の安堵は必須条件だ。
そして、この場合は……かなり、ギリギリのラインだ。
何せ、王族では、ない。
だが、王族に次ぐ力を持つ公爵家のお家騒動の火種。
本来ならばご遠慮したいところだが、既にターゲットの名前は聞いてしまっている。
ならば、事情を聞き出し、どう落としどころを作り、敵を作らないか。
そしてその労力を払うだけの報酬はあるのか、だ。
「なるほど、お名前は伺ったことがございます。どういったご事情で?」
「そうですね……どこからお話したものか。
カーチス様の噂を聞いたことは?」
男の問いかけに、グレッグは首を振る。
「中々にやんちゃな方だ、くらいですね」
「であれば、相当に薄まった話だけですな。
あれは、やんちゃなどと可愛らしいものではない……」
天井を見上げ、男は大きくため息をついた。
「幼少のころから公爵家の跡取りとして育てられ、ふさわしい振舞いを教育されてきたはずでした。
それなのに……いや、ある意味それだから、でしょうか。
あの方は、自身が持っているもの、やがて持つものの意味を良く知っていたのです。……知りすぎるくらいに。
初めは、子供らしい我儘でした。
しかし、それは次第に増長していき……さらに年を重ねて賢さまで手に入れてしまったあの方は、表ざたになり問題にならぬよう差配しながら、己の欲望を満たすようになっていったのです」
しばし言葉を切ると、天井を仰ぎ見る姿勢のまま、目を閉じる。
「……メイドであのお方のお手付きにならなかったものはおらず、その際に振るわれた暴力で暇を出されたものは片手の指では足りません。
……男の使用人は、数人、帰らぬ者となっております……」
「それは、なんとも……」
さすがにそれは、やんちゃの一言では済まない。
何よりも恐ろしいのは……やり手と評判のエンドルク公爵が知っていても手が出せないように悪行を重ねるその手腕だ。
どんな手を使えばそんなことができるのか、悪党を自認するグレッグにすら想像がつかない。
「それでも、表向きは文武両道の優秀な若者。
ことに剣の腕は凄まじく、近衛騎士団にも敵うものはおりません。
その上魔術にも通じており……敵なしとすら言われるほど。
国王陛下の覚えも目出度く、いずれ公爵家を継ぐのは間違いないでしょう。
さらに困ったことに……公認の名誉まで与えられそうなのです。『勇者』という」
「勇者? あの、おとぎ話の?」
驚いたように目を見開くグレッグに、男は苦笑を浮かべ肩を竦めた。
「ええ、あの。
……先日、古代魔法文明の遺跡が発見されました。
恐らく複数の階層を持つと見られますが、派遣された騎士団は第一階層の探索で力尽き撤退。
しかし、王国内で『生きた』遺跡を確保できれば……西のバランディアに対抗する手段になり得ます。
ならば探索を諦めるわけにはいかない……そこで探索を命じられたのが、カーチス様なのです。
そして、探索成功の暁には、『勇者』の称号を授ける、と。
……そうなってしまっては、公爵家の跡継ぎはもとより、王子様方に万が一があれば婿入りし次期国王すらありえる始末。
被害は、国中へと広がってしまいます。……ここで、何とかするしかないのです……」
言葉を紡ぎ終えた男は、沈鬱な表情で俯いた。
その様子を観察していたグレッグは、頭の中で計算を始める。
「なるほど、ご事情は理解できました。
そうしますと……終わった後、は、次男様がお継ぎになられる? 確か三男様までおられましたな」
「ええ、そうなるでしょう。
幸い、次男のジェラール様は聡明でお優しいお方。
武勇はカーチス様に後れを取りますが……それでも一人の騎士としては十分なもの。
十分にエンドルクの跡継ぎとして軍の要職につくことができましょう」
となると、お家騒動は最小限ですむはずだ。
なんとなれば、公爵家へのパイプを作ることもできる……。
後は肝心なところ、つまり報酬だ。
「ふむ、では、その在るべき明るい未来のために、どれ程の報酬をご用意されておられますか?」
「ええ、旦那様からもご裁可いただき……ミスリル銀貨500枚を用意しております」
「なっ?!」
思わず、驚きの声が出た。
この国では、銅貨、銀貨、金貨、大金貨、ミスリル銀貨が貨幣として流通している。
銅貨はこちらでいう100円程度。
銀貨は千円、金貨は一万円、大金貨は10万円。
そして、ミスリル銀貨は…100万円ほど。
つまりは、5億を出す、と言っているのだ。
いかな要人暗殺を数多くこなしてきたグレッグと言えども、その提示金額は破格だった。
……いや、依頼の時点で規格外ではあるのだが。
この一件をこなせば、隠居でもして一生を送ることもできる。
それを元手に大博打を打つこともできる。
たった一度の依頼で、だ。
そこまで計算すると、大きく頷いた。
「よろしいでしょう、この依頼、お受けいたしましょう」
「おお、ありがとうございます!」
男は思わず立ち上がり、グレッグを見つめた。
その表情には安堵と喜びが満ちている。
「なんの、そのようなお話を伺ってはお力添えしないわけには参りません。
ぜひとも我々にお任せください」
ニッコリと……ニンマリとになりそうなのを必死に抑えながら笑いかける。
男は幾度も頷きながら腰を下ろし……はっとした表情になった。
「あ……すみません、一つ条件を忘れていました。
実は、仕掛けるタイミングなのですが。
カーチス様が遺跡の最深部に到達したところで、お願いしたいのです」
「ほう? それは可能ですが……またどうして?」
「ええ、こちらの都合で申し訳ないのですが……エンドルク家の者が、道中で暗殺者に討たれるなど武門の恥。
しかし、遺跡の最深部に到達してからであれば、家名に傷はつきません。
どこまで潜れたかは、魔術で探査も可能ですが、死因までは特定できませんので、真相が判明することはないでしょう。
……第一階層すら騎士団が突破できなかった遺跡に、捜索隊を派遣するようなことがあれば話は別ですが」
「なるほど……貴族の方も大変ですな」
名誉、面子と言ったものはグレッグには縁のないものだが、それが飯のタネになることもあることは知っている。
茶化すこともなく真面目な顔で頷くと言葉を継ぐ。
「……もし、途中でカーチス様が力尽きることがあれば?」
「その時は、それを確認してください。
言いたくはありませんが……その可能性は低いとも思っていますが……」
……あの方は、人間とは思えない……。
男はそう小さくつぶやいた。
「いずれの場合にせよ、カーチス様が亡くなった証拠として、首から下げている聖印を持ち帰ってくだされば結構です」
「よろしいでしょう、その条件付きであっても問題ありません。
ただ……後金には少し色を付けていただけるとありがたいですな」
恐らく前金の追加は難しい。
何しろ大金だ、余分に持ってきてなどいないだろう。
かと言って取りに帰らせて、気が変わられても面倒だ。
そう考えての言葉に、男も頷いた。
「わかりました、旦那様にお伺いを立てておきます」
「ええ、宜しくお願いいたします」
そう言いながら差し出されたグレッグの手を、男は握り返した。
仕込み8割仕上げが2割。良い仕事とはそういうものだ。
ヤバい依頼を凌ぐには、それ相応の準備がいる。
細工は流々、後は仕上げを御覧じろ。
次回:『仕事』の始まり
いつもの様に準備する少女は、その先にあるものを知らない。
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