「お前はミネルヴァか!」
煙が晴れていく。視界がはっきりとした状態で見えたその人に僕は見覚えがあった。
「え……」
手配書で見た時には気づかなかった。どうしても似顔絵と実際の顔とでは印象が違うものだから。この女はあの時の少女の面影がある。
「エリー……?」
「な、まさかラインお兄ちゃん!?」
間違いない。このミネルヴァという女の正体を僕は知っていた。この女は昔、僕の育った村で魔女として迫害された少女エリーだった。
「エリー。キミがミネルヴァの正体だったのか?」
「やめて! その名前で呼ばないで。その名前はとっくに捨てたの! 私を見捨てた両親がつけた名前なんていらない!」
エリーは僕の隣の家に住んでいた少女。村を襲って来たモンスターを手懐けたことで周りの大人達から気味悪がられた。その日を境に村での彼女の立ち位置は最悪なものとなった。
大人達はエリーを露骨に避けて、子供達は親の影響からか彼女に石を投げたり、無視をしたりした苛めを行っていた。
僕はそんなエリーを庇った。その結果、僕も魔女を庇った者として大人達に白い目を向けられるようになった。
僕の両親は僕に危害が加わりそうになるとすぐに村から王都へ引っ越した。王都に移り住んでからはエリーがどうなったのかは知らない。風の噂によるとエリーは村を追い出されて、王国中から魔女エリーとして差別されたとか。当時の僕はまだ子供だったから彼女を助け出す力がなかった。それがとても悔しく感じてた。
「久しぶりだね。ラインお兄ちゃん……お兄ちゃんは私が迫害された時も庇ってくれたよね? あの時は嬉しかったな」
「エリー。何でキミがこんなことを……」
「ラインお兄ちゃんならわかるでしょ? 私がどれだけ酷い目に遭って来たか。ずっと魔女の子扱いされて、差別されて、拷問紛いのことだってされたことがあるの」
エリーは自身の爪をゆっくりと指でなぞる。
「ねえ、ラインお兄ちゃん。お兄ちゃんは手の指を一つずつ剥がされていく痛みってどれだけ辛いかわかる? わからないよね? 私にはわかるわ」
そう語るエリーの表情はとても物悲しげだった。
「私は村を追い出されてからずっと王国中を転々として生きてきたの。そこでどれだけ酷い目に遭わされたかわかる? 髪の毛に火をつけられたり、服に汚物を投げつけられたり、私を匿ってくれた家も奴隷が欲しかっただけで、そこでも人間扱いされなかったわ。犬の食べ残ししか食べるものがなかった屈辱がお兄ちゃんにはわかる?」
エリーはがたがたと震えて唇を噛み締めている。思い出しただけで相当な恐怖を覚えているのだろう。
「ねえ、ラインお兄ちゃん。私の仲間になってよ。一緒に王国を陥落させよ? 優しいお兄ちゃんなら私の味方になってくれるよね?」
まさかの提案に僕の思考回路は固まる。エリーの仲間になる? 確かに僕は彼女の境遇に同情している。救ってあげたいと一時期は思っていた。でも……
「ごめんエリー……」
僕はマスケット銃の銃口をエリーに向けた。
「そう……お兄ちゃんも結局そっち側なんだ」
エリーは今にも泣きだそうな顔を僕に見せた。心が痛む。でも、僕は王国を守る兵士としての立場がある。
「ラインお兄ちゃん……ううん。ライン。私を撃ちなさい」
「な、何を言うんだ」
「貴方に殺されるなら私も悔いはないわ。王国の他の誰かに殺されるくらいなら、大好きだった貴方に殺されたいもの。貴方以外に殺されるくらいなら死んでやるわ」
「ぼ、僕はキミを殺したくない……」
「何言ってるのライン。私はミネルヴァ。もうエリーではないのよ! 私は既に何人もの王国の人間を殺してるわ。王国が雇った傭兵部隊。あれも私が指揮するゴブリン部隊によって全滅させたの忘れたのかしら?」
エリー……いや、ミネルヴァが一歩近づく。
「彼らの仇とりたいでしょ? ほら、引き金を引けば私を殺せるのよ!」
王国の敵をここで殺せるチャンス……僕の指先一つで王国の運命が決まる。だけど、僕には……僕には出来ないよ……
「私の敵にはなるけど私を殺せない。随分と甘い考えね。そんなんでよく今まで兵士が務まって来たわね」
ミネルヴァは憎い敵だと思っていた。王国に仇なす最悪の敵。でも、それと同時に僕が昔守りたかった人でもあったんだ。
「ねえライン……私はもうこの洞窟から退散するわ。私を今日ここで殺さなかったこと。絶対後悔するわ」
ミネルヴァが僕の横を素通りし、洞窟内の出口へ向かっていった。僕には彼女を追うことが出来なかった。彼女を捕まえれば彼女は死刑にされる。王国の陥落を狙う罪状は死刑のみ。情状酌量の余地は一切認められない。
僕はどうすればいいんだ。ミネルヴァを倒したいけど、エリーには生きていて欲しい。その二つの感情が僕の中で渦巻いている。
「だ、誰かー! 助けてー!」
洞窟の奥から少年の声が聞こえた。そうだ。今は悩んでいる暇はない。少年の命を助けなければ……僕は僕に出来ることをするまでだ。
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