女騎士ロザリーは甘えたい

下垣
下垣

100.トラウマを乗り越えて

公開日時: 2020年10月20日(火) 23:05
文字数:2,401

「ぐ……ああ……うぅ……ライン……」


 ロザリーはその場にうずくまって苦しんでいる。最早、彼女は自身のレイピアすら持てずに床へと落してしまう。レイピアが地面に落ちて転がる音が廊下中に響き渡る。


「ユピテル! ロザリーを元に戻せ!」


 僕は鞄から短剣を取り出した。マン・ゴーシュ。本来は相手の攻撃を受け流す目的で作られた短剣である。僕が持てる精一杯の武器だ。


「くくく。ロザリー殿を元に戻すには、私を殺すしかないのだ。果たしてライン殿にそれが出来るのかな?」


 ユピテルは厭らしい笑みを浮かべる。こいつ……もしかして、僕のトラウマのことを知っているのか。


「紅獅子騎士団の人間は全員調べ上げた。その中に、かつて騎士だった衛生兵がいること。その騎士が仲間を殺したトラウマから剣を握れなくなったこと。まさか、その人物が私が最も愛した人に瓜二つだとは思わなかったが」


「黙れ!」


 僕が剣に対してトラウマを持っていることはロザリーに秘密にしていることだった。それをこの男はバラしやがった。


 僕は怒りからか無我夢中でユピテルに向かっていった。屋敷中に響き渡るような雄たけびをあげて、短剣でユピテルに斬りかかろうとする。その瞬間、ユピテルは帯刀していたサーベルを抜刀して僕の攻撃を防いだ。


「そんなリーチの短い武器で私をやれるとでも?」


 吐き気がする。息苦しさも感じる。やはり、短剣であっても人の形をしている者に斬りかかるとトラウマの症状が出る。剣よりはマシだけど、それでも僕のトラウマを刺激するには十分だった。


 やめろ、相手に感情移入するなライン。奴は人間じゃない。モンスターなんだ。いくら人の形をしていても、人間じゃない。だから躊躇するな。


 僕は相手のサーベルを弾いて、ロザリーの元に駆け寄った。彼女が落としたレイピア。それを拾い上げる。奴のサーベルに対抗するにはそれしかない。


 レイピアを拾い上げた瞬間、背筋に北風のような冷たい何かが流れた。全身の毛穴から異形の物が噴き出て来るような感覚を覚える。おぞましい何かが僕の体中を駆け巡る。


 まただ。この感覚。忘れたくても忘れられない。オリヴィエを殺した時からずっと纏わりついて離れないそれ。


 レイピアを持つ右手が震える。右手の握力が段々なくなっていくのを感じる。このままではレイピアを振るうどころか持つことすら危うい。指の一本一本から力が抜けていく感覚を覚える。


 人差し指……中指……薬指……その感覚がなくなった瞬間、右手が軽くなると共に金属が床に落ちる音が聞こえた。やっぱり僕はダメだ。剣を持つことが出来ない。


「苦しいだろう。辛いだろう。何故キミがそんな目に遭わなければならない? その女を見捨てれば、キミは全ての悩みから解放される。我々の仲間になれば幸せな未来が待っているのだ。私はキミに無理などさせはしない」


 ユピテルの甘言が聞こえる。この辛い状況の中ではその言葉が救いの言葉に聞こえる。


「私はキミには無理強いをしたくない。キミが人間のままでいたいならその意思を尊重する。モンスター化して私と共に戦いたいならそれも良い。そこに無様に蹲っている女と逢引したいならそれも認めよう」


「黙れ。お前に何がわかる! 僕は……僕の大切な人の為に戦うんだ。例え苦しくたって辛くたって、ロザリーの笑顔を思えば乗り越えられるんだ」


 僕は勢いのまま再びレイピアを握る。今度は絶対離さない。手は震えるけど、絶対に握る力を弱めないんだ。


 そしてそのままユピテルに向かって駆けていく。レイピアでの突き攻撃を一発入れてやるんだ。そう決意して僕はレイピアを振るった。


「剣の軌道が甘い」


 僕の渾身の一撃はユピテルのサーベルに意図も容易く弾かれてしまった。もう一撃入れたいところだ。しかし、僕はその場で膝をついてしまい倒れこんでしまった。


 トラウマを抱えた精神で無理をした結果、体に異常をきたしてる。もう手の震えじゃ済まない。体全体が悪寒に包まれて、僕を責めるオリヴィエの幻聴が聴こえる。


「お前のせいで俺は死んだ……ラインお前のせいで」


 その幻聴が僕の精神を蝕んでいく。そうだ……僕のせいでオリヴィエは死んだんだ……僕が、僕が殺した……


「ラインきゅん……」


 僕の背後から声が聞こえた。すると倒れている僕の背中に何かが乗っかってくる。そして、僕はその何か暖かくて優しいものに後ろから抱きしめられた。


「ラインきゅん……お願い……ん……ハァ……ハァ……このままこうさせて……人間でいる間は……ラインきゅんの温もり感じたいの」


 ロザリーは息も絶え絶えの状態で僕に話しかけくる。その様子がとても儚げで彼女の声を体温を感じると切なくなってくる。


「お願い……ロザリーはもうモンスターになる……そしたら、もう二度とラインきゅんに甘えることが出来ないから……ロザリーの最後の甘えを許して……」


 僕は何をしているんだ……彼女に甘えられて、完全に目が覚めた。ロザリーは覚悟して僕に甘えている。愛する人になんて覚悟をさせているんだ僕は。トラウマとか言っている場合じゃない。ここで男を見せなきゃいつ見せるんだ。


「ロザリー。ごめん。キミを甘やかすことは出来ないよ」


「え?」


「今はね……このゲス男爵をやっつけてからなら、好きなだけ甘やかしてあげる。だからそれまで待ってて」


 僕は三度みたび、レイピアを手に取りユピテルに立ち向かった。右手にレイピア。左手にマンゴーシュ。僕のかつての戦闘スタイルだ。


「何度やっても同じこと。トラウマ持ちの精神では、この私に勝てるわけがない!」


 僕はレイピアを振るった。ユピテルも僕のレイピアを弾こうとサーベルを動かす。しかし、僕はその動きを読んでいて、変則的な動きを加える。


「何ィ!」


 僕の頬に鮮血が飛ぶ。ユピテルの頬に一筋の切り傷を入れてやった。僕はユピテルの返り血を左手の甲で拭う。


「僕は紅獅子騎士団の衛生兵改め、騎士のライン。これよりユピテル男爵! 貴殿に決闘を申し込む!」

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