大樹の露出した根に僕とエリーは座り込んだ。エリーの頭が僕の肩にもたれ掛かる。彼女の髪の毛のふわっとした感触と頭の重さを肩を通して感じられる。この感触は嫌いじゃない。
「ラインお兄ちゃん……このままこうしてもいい?」
「エリーはこれからお姉ちゃんになるって言うのに随分と甘えん坊だね」
「お姉ちゃんだって甘えたくなる時はあるよ」
穏やかな風が流れる。静かな森の中に小鳥のさえずりが聞こえる。とてもゆったりした時の中で僕はエリーといられる幸せを噛み締めていた。
「ラインお兄ちゃんは大きくなったら何になりたい?」
「僕は王国を守る騎士になるんだ。そして、悪いモンスターをいっぱいやっつける!」
男の子は皆誰でも騎士に憧れるものだ。僕も例外ではなかった。村の男の子達が集まってすることと言えば棒切れを剣に見立てて、騎士ごっこをすることだ。
「騎士か……ラインお兄ちゃんならきっと格好いい騎士になれるよ。私は大きくなったらラインお兄ちゃんのお嫁さんになりたいな」
「ははは。大きくなってもエリーが僕のこと好きだったら結婚しようか」
「本当? 嘘じゃない? 結婚してくれる?」
「本当さ。約束する」
「嬉しい……」
次の瞬間、僕の頬に少し湿った柔らかい感触のするものが触れた。エリーが僕の頬にキスをしたのだ。僕はなんだか照れ臭くなり、反射的にその場から立ち上がった。
「えへへ。誓いのチューだよ」
無邪気に笑うエリー。可愛い笑顔だけれど、不意打ちを食らった身としてはたまったものじゃない。心臓がバクバクして心が落ち着かなった。
「エリー。もう帰るよ!」
「ええ。もう帰っちゃうの。私はまだラインお兄ちゃんと二人きりでいたいのに」
「いいから帰るの!」
僕はキスされた恥ずかしさから、帰り道はエリーから少し離れて、目もロクに合わせられなかった。エリーは少し不満な顔をしながら、僕の後を付いてくるだけだった。
◇
村に辿り着いた僕達が目にしたのは村の大人達が二足歩行のトカゲと戦っている姿だった。村がモンスターに襲われている。その凄惨な光景を見て僕は固まった。
村の青年たちが農具を持って、トカゲに対抗している。しかし、トカゲは剣を持っていて農具ではとても太刀打ち出来ない。モンスターはたった一匹だが、村の男の人数人がかりでやっと戦えているレベルだ。
戦闘中にバランスを崩した青年が倒れかけた。その隙をトカゲが見逃さずに剣を思いきり振り下ろす。もうダメだ。そう思った次の瞬間。
「やめて!」
エリーの声に反応したのかトカゲの動きが止まった。トカゲはその場で大人しくなり、剣を鞘の中に納めた。村の大人達はチャンスと言わんばかりに農具をトカゲに振り下ろそうとする。
「ダメ! トカゲさんを虐めないで! この子は悪くないの!」
エリーの言葉に村の大人達は農具を振り下ろすのをやめた。
「ど、どういうことだ? エリーちゃん」
エリーはトカゲに近寄る。トカゲは村の大人には敵対心剥き出しに睨みつけていたが、エリーが近づくと目を細めて安心しきった表情を見せる。
「この子はリザードマンの子供なの。群れからはぐれてこの村に迷い込んだだけなの。それで人間達がいてびっくりして暴れちゃっただけなの!」
エリーはリザードマンの頭を撫でる。リザードマンは母親に撫でられている子供のように幸せそうな穏やかな表情を見せる。まるでエリーに懐いているみたいだ。モンスターが人間に懐くなんてありえるのだろうか。
「エリー……お前まさか」
村長がエリーを見て目を丸くして驚いている。
「皆の衆! エリーを捕まえろ。こいつは魔女だ」
僕は耳を疑った。何で? エリーのお陰でリザードマンが大人しくなったのに、何で村長はエリーを虐めようとするの?
「や、やめて。い、痛い! 放してよ!」
ただの少女だったエリーが村の大人に敵うはずもなく、あっという間に捕まってしまった。
「エリー……守ル」
エリーのお陰で大人しくなっていたリザードマンがエリーを捕まえた青年に思いきり斬りかかった。青年は背中から血を噴出してその場に倒れた。その騒動に乗じて解放されたエリーは泣きながら僕の方に駆け寄ってくる。
「ラインお兄ちゃん助けて」
僕の胸に飛び込んできたエリーを受け止める。
「大丈夫だよエリー。僕が必ず守ってあげるから」
僕はとにかく彼女を安心させたかった。エリーは何も悪いことをしていないのに何で責められなければならないのだ。
「こ、こいつやりやがった! モンスターを利用して村の仲間を斬り捨てたぞ!」
村の青年たちは仲間をやられた恨みからか農具でリザードマンをタコ殴りにした。数の利で負けているリザードマンはそのまま殴られ続けて、やがて動かなくなってしまった。
「いや……やめて……その子はまだ子供なのに……」
リザードマンがやられたことにエリーは心を痛めているようだ。
「ライン。良い子だからエリーをそちらに渡すんだ。その女は魔女だ。いずれこの国を破滅へと導く存在なんだ」
村長が僕達にじわじわと近づいてくる。何で……今まで村の皆は僕達に優しかったじゃないか。
「ふざけるな! こっちに近寄ってくるな! 臭うんだよ!」
僕はエリーの手を引いて逃げ出した。この人達はもう僕の知っている今までの優しい村の皆じゃない。敵だ。敵なんだ。
「逃げたぞ! 追え!」
僕は一生懸命全力で逃げ出した。しかし、子供の脚力で大人から逃げきれるはずもなく、僕達はすぐに捕まってしまった。
「エリー。非常に残念だよ。まさかこの村から魔女が出るなんてね。キミの処遇はこれから大人達でじっくりと話し合う。それまではこの村の村民として暮らすがいい」
◇
それから数日が過ぎた。僕の家にいつも遊びに来てくれた女の子はあの日を境に来なくなった。村を散策していると、大人達は僕を見てヒソヒソ話を始める。僕が一体何をしたと言うんだ……
村の広間に辿り着くと、エリーが道端で男の子数人に虐められていた。
「お前は魔女なんだってな!」
「ち、違うよ!」
「魔女には石を投げてやれ!」
男の子達はエリーに石を投げつけて笑っている。酷い。どうしてそんなことが出来るんだ。
「やめろ!」
「な、なんだよライン。お前も魔女の仲間なのかよ」
「こいつもやっちまうか?」
男の子達は下卑た笑いを浮かべる。この人数相手だと勝てないかもしれない。でもエリーは僕が守るんだ。
「やめろライン君! キミまで巻き込まれることはない!」
僕は大人の男の人に抱きかかえられた。何で僕が止められるの? 止められるべきなのはあっちじゃないのか?
僕は後ろを振り返り、抱きかかえた男の人を見た。その顔を見た時僕は自分の目を疑った。そこにいたのは、エリーのお父さんだったのだ。
「何で……エリーは貴方の娘じゃないんですか!」
「エリーの味方をすれば私達まで危害が加わる。私には妊娠中の妻を守る使命があるんだ。エリーには申し訳ないが、次に生まれて来る子のためにも我慢してもらうしかない」
「ふざけないで! アンタそれでも人の親かよ!」
エリーは自分の父親を悲しそうで恨めしそうな目で見ていた。僕はその顔を生涯忘れることが出来ないだろう。一体どれだけ絶望すればあの表情が出来るのだろうか。僕には想像することすら出来なかった。
やるせない気持ちを抱えたまま僕は家に帰った。すると、両親にすぐにこの村から引っ越すように言われた。僕はこれから王都に行くことになるらしい。エリーを置いていけないと抗議しても、両親は聞く耳を持ってくれない。「これはお前を守るためなんだ」そう言われて僕はこの村を出ていくことになった。
両親に強制連行される形で村の出入り口に向かうと村長が待ち構えていた。そして一言僕にこう言ったのだ。
「ライン。お前は二度とこの村に帰ってくるな。魔女の味方はこの村の村民じゃない」
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