首を斬り落とされたリンドブルムの胴体はその場に崩れ去った。重量が大きいものが地面に叩きつけられたのか地響きが起こる。
「ライン……後は頼んだ」
そう言うとロザリーは片膝をついてしまった。今の一撃で力を使い果たしてしまったのか。無理もない。竜騎士の力に覚醒した分、肉体にかかる負荷も当然多くなるだろう。リンドブルムから攻撃を受けたこともあり、ダメージが蓄積しているのだろう。
疲労困憊しているロザリーを見たエリーは物凄い速さでロザリーに突っ込もうとしてくる。まずい。エリーの標的はロザリーだ。このままではロザリーが殺されてしまう。
僕はクレイモアに宿るオリヴィエの霊の力を解放した。エリーとロザリーの間に分厚い氷の壁が出現した。壁に阻まれたエリーはその場に立ち止まった。
「邪魔しないでラインお兄ちゃん! こいつさえいなくなれば、ラインお兄ちゃんは目を覚ましてくれるんだから!」
「僕の愛した人を傷つけさせはしないぞ!」
「もういい……ラインお兄ちゃんには自分の意思で私の仲間に入ってくれると思ってたのに……こうなったら、実力行使に出るしかないわね!」
エリーがそう言うと、僕の周囲に黒いもやもやとした雲のようなものが出現した。その雲はドーナッツ状で僕を拘束するように展開されていた。
「こ、これは……」
黒い雲は僕を中心にどんどん小さくなってきている。やがて、その雲は僕の全身を纏わりついた。僕の視界が真っ黒に染まる。それと同時に段々と眠気が襲ってくる。エリーは今、夢魔サキュバスの力を得ている。夢魔は人に悪夢を見せると言う。僕はこのまま悪夢の世界に連れていかれるのだろうか。僕の意識が薄れていく……僕はもう……
◇
「……ん! ……ちゃん! ラインお兄ちゃん!」
誰かが僕を呼ぶ声がする。この声は聞き覚えがある。かつて、僕が一番大切に想っていた女の子の声だ。その声に導かれるまま僕は目を覚ました。
「良かった。ラインお兄ちゃん起きたんだね」
あれ? 何かがおかしい。エリーの姿が子供のままになっている。エリーはもう大人になっているはずなのに。それに僕の目線も心なしか下がっている気がする。
「あれ? おかしいな。僕はキミと戦っていたはずなのに」
「私と戦う? 何それ? ラインお兄ちゃん寝ぼけているの?」
周囲を見回す。僕はさっきまで王都の市街地で戦っていたはずなのに、周りの光景は僕の故郷の森だった。僕は、いつもエリーと一緒に背比べをしていた大樹によりかかるように寝ていた。
「そうだ! ロザリーは! 紅獅子騎士団の皆は!?」
「どうしたのラインお兄ちゃん? ロザリーって誰? 紅獅子騎士団って何?」
「えっと……あれ? ロザリーって誰だっけ? 紅獅子騎士団? 何だそれ」
「ふふふ。ラインお兄ちゃん寝ぼけているのね。随分と気持ちよさそうに眠っていたからね。長い夢でも見てたんじゃない?」
「夢……なのかな?」
夢にしては随分と長い夢を見ていたような気がする。エリーが村の皆に迫害されたこと。そのエリーが王国全体に復讐心を持つようになり、モンスターテイマーミネルヴァとして僕の敵になったこと。……そんなわけないか。エリーがそんなことするはずがない。だって、エリーは優しい女の子だし、村の皆もいい人ばかりだ。エリーを虐めるなんてことはしないはずだ。
「ねえ、ラインお兄ちゃん。行こう」
「行くってどこに?」
エリーは僕の手を取って、歩き始めた。
「二人だけの楽園に……」
何だかエリーの手が温かい気がする。このまま二人だけの楽園に行ってしまいたい。エリーがいれば他にもう何もいらない。僕はそれだけで十分だ。
「ほう、面白い話だな。その楽園に俺も連れて行ってくれないか?」
僕の背後から声が聞こえた。この声は……
「オリヴィエ!?」
「な! ど、どうして……この世界は私とラインお兄ちゃんしか来れないはずなのに」
オリヴィエは僕の友人で、今は死んでいるはずだ。あれ? おかしい。何かが。オリヴィエの存在も夢の中だけだと思っていたのに。どうしてここにいるんだ?
「ミネルヴァ。お前、俺がラインのクレイモアに宿っていることを忘れたな。クレイモアごと夢の世界に取り込んだら、俺もこの世界に入って来てしまうだろ。少し考えればわかると思うがな」
「く……私とラインお兄ちゃんの邪魔をするな!」
エリーの姿が急変した。大人になり、頭には角が生えて、背中には蝙蝠のような翼が生えて、臀部には尻尾が生えて来る。これは夢魔サキュバスの姿だ。やはり、僕が見ていたのは夢じゃない! ってことは、ロザリーも実在しているんだ。
「ライン! こっちに来い! この世界から脱出するぞ」
「あ、ああ」
気づくと僕の体も大人のものに戻っていた。僕はオリヴィエについていった。進んだ先には光が見える。あの光に飛び込めばこの世界から抜け出せると直感的に思った。
「待て!」
エリーが恐ろしい形相で僕らを追いかけて来る。早くこの世界から脱出しなければ。僕は急いで、光の中に飛び込んだ。
◇
僕は目を覚ました。ここは王都の市街地。現実世界に戻ってくることが出来た。危なかった。後少しで、夢の世界の住人にされてしまう所だった。
僕はクレイモアを手に取り、エリーの方へと向かった。するとエリーは片膝をついてしまう。一体何があったのだろうか。
「ふふふ……今ので力を使い果たしたみたい……私の負けね……ねえ、ラインお兄ちゃん。一つ私のお願い聞いてくれる?」
「ああ。言ってみて」
エリーは息を切らしている。その言葉に嘘はないようだ。僕はエリーのお願いを聞いてあげることにした。
「ラインお兄ちゃんの手で私を殺して……もう、他の誰かに傷つけられるのは嫌なの……ラインお兄ちゃんの手で死ねるなら、私の人生に悔いはないわ」
なんて恐ろしい提案だろうか。僕の手でエリーを殺せと言うのだ。
「そ、そんなこと出来るわけないだろ!」
「お願い! 私の最期のわがままを聞いて……お願いだから……」
僕はクレイモアを振り上げた……そして、そのままエリーに向かって振り落とした。
目の前の光景が赤く染まる。なんて虚しい赤だろうか。僕は自分がかつて守りたかった女の子を自分の手で殺した。僕の心をただ虚無感が支配していた。これで良かったのだろうか……
◇
王国の危機が去った。紅獅子騎士団はモンスターテイマーミネルヴァを倒した褒章を受け取り、更に活躍が期待されるのかと思った。しかし、僕とロザリーは騎士を辞めたのだ。僕は、エリーを殺した一件で戦うことの虚しさを知り、剣の道を引退した。そして、ロザリーはそんな僕に着いてくる形で騎士を、団長職を辞めたのだ。
ロザリーに「キミまで騎士を辞めることはないだろう」と言ったが、ロザリーはふくれっ面でこう返した。「私だってそろそろ結婚を考える年だぞ!」
言葉の意味とロザリーの行動の意図を理解した僕は顔が熱くなった。そして、僕達はすぐに結婚をして、それから十年程が経った。
紅獅子騎士団は疾風の騎士という称号を得たアルノーが団長を務めるようになった。ジャンは軍師としてアルノーを補佐している。クローマルも隊長となり、キャロルも衛生兵として頑張っているようだ。一方でクランベリーは老齢のため引退した。今ではジャンの所で静かな余生を過ごしているだろう。
その一方で、僕達は三人の子宝に恵まれた。双子の長女と次女のルイーズとセリーヌ。今年で八歳になる。そして彼女達よりも五歳年下の長男ロランだ。
長女のルイーズはロザリーに似て、とても甘えん坊だった。僕が休みの日は、四六時中僕にべたべたとくっついている。
一方、妹のセリーヌは、しっかり者で家事をよく手伝ってくれている。それでも、僕が褒めてあげると目を細めて喜んでくれるから、本質的には彼女も甘えん坊なのだろう。ただ、自分から積極的に甘えるような性格ではないだけで。
そして、長男のロランだけれど、これがまた誰に似たのか物凄い元気な子供で、かなり活発な性格だ。姉たちを振り回してそこら中で暴れまわるくらい元気だ。
僕の父さんと母さんに聞いた話だけれど、僕も昔はあんな感じだったらしい。エリーの面倒を見るようになってから落ち着いた性格になったと……
子供達がすっかり寝静まった夜。僕とロザリーは二人で一つのベッドに寝ることになった。
「ねえ、ラインきゅん……ロザリー幸せだよ。ラインきゅんと暖かい家庭が持てて」
「ああ。僕もそうだよ」
ロザリーは僕の胸に飛び込んできた。
「えへへー。昼間はルイーズがいてあまり甘えられないけど、夜ならラインきゅんを独占出来るね」
「そうだね……」
ロザリーは一晩中僕に甘えてきた。この分じゃ四人目の子供が出来るのもそう遠くないかな……
◇
僕は夢の中の世界にいる……十年前から毎晩見る夢である。その夢では僕はまだ少年。そして、いつも隣には少女がいた。
「おかえりラインお兄ちゃん」
「ただいまエリー」
夢魔エリーの肉体は確かに滅んだ。けれど、その魂は僕の精神に纏わりついている。何でも自分を殺した人間に寄生するのは夢魔の特性らしい。だからこうして僕はエリーの夢を毎日見るようになったのだ。
「ラインお兄ちゃん。今日も一緒に遊ぼう」
「ああ。いいよ何して遊ぼうか」
「ふふふ。夢の世界でラインお兄ちゃんを独占出来る……こんな幸せな日々を過ごせるなんて」
昼間はロザリーと家族と一緒に過ごす幸せな日々、夜になると眠り夢の世界でエリーと一緒に過ごす日々。少し歪な形な気がするけれど、僕はこれで良かったんだと思う。
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