女騎士ロザリーは甘えたい

下垣
下垣

149.夢魔エリー

公開日時: 2020年11月7日(土) 22:05
文字数:2,908

「ママ……こいつ強いよ! 僕の力じゃとても勝てないよ!」


 リンドブルムは完全に戦意を喪失してしまったようだ。しかし、それに対してミネルヴァは逆に闘志を燃やしている。


「勝てないのなら、一度生まれ変わりなさい!」


 ミネルヴァはリンドブルムの額にナイフを突き刺した。


「な……お、お前! そいつは仲間じゃないのか!」


 ロザリーはミネルヴァの突然の奇行に狼狽えた。彼女の狙いは一体何なんだろう。


 ナイフを突き付けられたリンドブルムは大きな唸り声を上げて、暴れまわった。そして、リンドブルムの黒い鱗がボロボロと剥がれ落ちていく。そして、全ての鱗が剥がれ落ちると白いドラゴンが現れた。


 そのドラゴンの放つ邪気は、黒いドラゴンの時よりも激しく前進の毛穴が突き刺されたような感覚を覚える。


「ミネルヴァ……キミはリンドブルムに何をしたんだ」


 僕が疑問を口にする。するとミネルヴァは高笑いをし始めた。


「このナイフにはね、ユピテルの唾液が塗ってあるの? わかる? 噛みついた者をモンスターに変えるユピテルの唾液。それをリンドブルムに刺した。リンドブルムは更に強化されたわ。ビッチな女騎士をすりつぶせるくらいにね!」


 その刹那、ロザリーが思いきり後方に吹き飛ばされた。後ろに壁に思いきり激突するロザリー。僕は近くで見ていたのに何が起きたのか全く理解出来なかった。ただ、推測出来るのはリンドブルムの手の位置から、彼がロザリーを右手で薙ぎ払ったのであろうことだ。


「ロザリー! 大丈夫?」


「く……ああ。竜騎士の肉体になってからは体も頑丈になっている。これくらいなら何ともない」


 先程に比べてパワーとスピードが段違いに上がっている。モンスターを更にモンスター化させるとこんなに強化されるのか。


「ママァ……ママァ……」


 リンドブルムは壊れた蓄音機のように、その言葉を繰り返すだけだった。どうやら、パワーとスピードと引き換えに知能を失ってしまったようだ。


 ロザリーは、ゆっくりと立ち上がった。右手で左の脇腹を抑えている。まさか……


「ロザリー! 負傷したの?」


「だ、大丈夫だ! 私はまだ戦える!」


 ロザリーの顔色が悪い。どう見ても万全な状態ではない。彼女はやせ我慢をしているんだ。


 こうなったら、ロザリーの分も僕が戦うしかない。僕はクレイモアを構えてリンドブルムに立ち向かおうとする。


「だめだめ。ラインお兄ちゃん。その邪龍に戦いを挑むなんて無謀なことだよ。ラインお兄ちゃんの相手は……」


 ミネルヴァはユピテルの唾液が付着したナイフで自身の首を掻っ切った。あのナイフに斬られた者はモンスター化する……まさか!


 ミネルヴァの頭に二本の角が生えて、背中には羽、臀部からは尻尾が生えてきた。


「サキュバス……ふふふ。私がモンスター化したら、こうなるのね」


 サキュバス。別名夢魔と呼ばれるモンスター。人の夢に寄生し、淫らな夢を見せることで精気を吸い取る存在。


 サキュバスと化したミネルヴァは羽を羽ばたかせて僕の方に近づいてくる。そして、ナイフで僕を斬りつけようとしてきた。


 僕はそれをすかさずクレイモアで受け止める。あのナイフに斬られたらやばい。モンスター化してしまう。モンスター化を解除するには、完全にモンスターになる前にユピテルの心臓を停止させなければならない。けれど、今ユピテルが分厚い氷の中に閉じ込められている現状ではそれは難しい。つまり、あのナイフに少しでも斬られたら終わりだ。


「ラインお兄ちゃん……私達の仲間になろう? ねえ……騎士ラインとミネルヴァという関係じゃなくて、ラインお兄ちゃんとエリーっていう関係に戻ろうよ」


「ミネルヴァ……いや、エリー! 僕はこの国を守る紅獅子騎士団のラインだ! 本音を言えばキミと戦いたくない。けれど、キミが僕達の脅威になるなら排除しなければならない」


 モンスターテイマーミネルヴァ。王国を陥落させようとする女。その罪は例え未遂であっても死刑のみである。どれだけ情状酌量の余地がある境遇でもそれは変わらない。


 ミネルヴァを倒すということは、エリーを殺すということ。例え、僕がエリーの命だけは助けても、国がミネルヴァを許さない。執行官が死刑を下すであろう。


 だから……変わらない……僕がこの手でエリーを殺しても変わらない……そのはずなのに、どうして僕の手は震えるんだ……


「ラインお兄ちゃん剣が鈍っているよ!」


 エリーが左手で僕の右手の甲を引っ掻いてきた。サキュバスの爪は人間のそれに比べてかなり鋭い。僕の右手の甲が引き裂かれて、血が噴き出す。


「ママァ……ママァ……」


 リンドブルムが再び、ロザリーに近づく。まずい。ロザリーは負傷している。援護に回らなければ。


「よそ見しないで!」


 エリーの持っているナイフが僕に襲い掛かる。僕は寸前でそれを躱した。危ない。ロザリーの援護に回っている余裕はない。少しでもエリーから気を逸らせば、僕は彼女のナイフの餌食になってしまうであろう。


 ごめんロザリー。僕はキミの援護に回ることが出来ない……ごめん。肝心な時に支えられなくて……


「ラインお兄ちゃん……どうして、私じゃないの?」


 エリーは悲しそうな表情を僕に見せた。う……僕はどうも、女の子のこういう表情に弱い。守ってあげたくなるし、甘やかしたくなるし、構ってあげたくなる……ああ。泣き落としに弱い自分が嫌になる。


「一番最初にラインお兄ちゃんを好きになったのは私なんだよ! それを後から横取りするような女のどこがいいの!? ラインお兄ちゃんを想っていた年数は私の方が上なのに!」


 そう言うとエリーはナイフを僕に向かって突き刺そうとしてきた。僕はそれを躱す。エリーのスピードとパワーはモンスター化したことによって飛躍的に上昇したであろう。だけれど、戦闘センスはあんまりないようだ。経験が圧倒的に足りない。そんな攻撃、ずっと剣の修行をしてきた僕に当たるはずがない。


 エリーの気持ちは正直言ってわかる。わかるからこそ辛いんだ。もし、ロザリーと出会う前の僕だったら彼女の気持ちに応えていたであろう。


「ごめん……僕もエリーのことが好きだった……妹のように懐いてくれて、兄弟がいない僕には心の支えになっていた。でも、それは昔の話なんだ! 今の僕には愛している人がいる! 愛してくれる人がいる。その人に心を満たされているから、もうキミに入り込む余地はないんだ」


 凄く心が苦しい。一度は好きだった女の子。守りたかった女の子。守れなかった女の子……それを拒絶する……こんなに胸が痛むことはあるのだろうか。


「そ、そんな……ラインお兄ちゃん……」


 エリーは僕の言葉を受けて涙を浮かべている。出来ることなら僕はエリーも救いたい。けれど、それは無理なんだ……僕にはそんな力はない。中途半端な優しさはエリーを傷つけるだけなんだ。


「ママヲ……ママヲ泣カセルナ!」


 リンドブルムが僕に標的を変えた。リンドブルムの口が大きく開く。この瞬間、僕は悟った。僕はここで死ぬ……この邪龍に食われて死ぬ……


 僕は目を瞑った。しかし、次の瞬間何かがポトっと落ちる音が聞こえた。僕がゆっくりと目を開けるとそこには、首が切断されたリンドブルムの姿があった。


「私のラインに手を出すな!」

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