暗闇の世界の中、左手の指先が生暖かい感触に包まれる。何やら湿っているようだ。そのまま吸引されている感覚を覚える。何だろうこれは……僕は目を開けて隣を見た。
僕と同じベッドに寝ているロザリーが、僕の指を咥えこんで吸っているのだ。目を瞑っていていることからまだ寝ているのだろう。完全に寝ぼけた上での行動だ。
「ママ……ママ……」
うわ言のように何度も呟いている。ロザリーは幼い頃に母親を病気で亡くしている。そのせいで、母親に甘えるということをあまりしてこなかったのだろう。僕は吸われている方の手と反対の手でロザリーの頭を撫でてみた。
「ほわあ……」
ロザリーの目じりが下がっている。幸せそうな表情だ。いい夢でも見ているのだろうか。
……あれ? そういえば何で僕ロザリーと一緒のベッドで寝ているんだ? 昨日はロザリーの家に行って、それから一晩中ロザリーが甘えてきたんだ。そのまま泊まってしまったのか。
「ンマァマ……マァマ」
僕の指の吸いつきが強くなる。何かを絞り取ろうとするようなそんな吸引力だ。まるで指が取れそうな程の鈍い痛みがじんじんと広がっていく。そろそろ起こさないとまずい。
「ロザリー起きて……」
「ふぇ……? ママ……? うぇ!? ラ、ライン!? あれ? じゃあ私が今まで吸っていたものは……」
ロザリーは湿っている僕の指を見て全てを察したようだ。その瞬間、ロザリーの顔がみるみるうちに赤くなっていく。
「え、す、すまない! ライン! えっと……その、べ、別に赤ちゃんになった夢を見ていたわけじゃないぞ」
何もそこまで言っていないのに自分から白状した。そうか。僕の指をママのアレに見立ててたのか。
「ああ。恥ずかしい。穴があった入りたい……いっそ殺してくれ」
今まで散々、恥も外聞もなく僕に甘えてきたロザリー。だが、今回ばかりは流石に恥ずかしいようだ。
「ライン。忘れてくれ。頼む」
「うん。わかったよ。このことは見なかったし、聞かなかったことにするよ」
「ありがとう。流石ライン。優しい……」
朝っぱらから甘えん坊なロザリーに癒された。だけれど今日はそうも言ってられないかな。
「ロザリー。今日は海底に行くんだね」
「ああ。ヘキス海域。そこの海底に邪龍が封印されていると言う。伝説が本当ならミネルヴァは必ず現れるはずだ」
邪龍の封印を解くのは何としても阻止しなければならない。ロザリーの決意は固いようだ。
◇
エルマ漁村。この村に来るのもこれで三度目だ。以前、セイレーンの時に世話になったボルグ船長が今回も付いて来てくれることになった。
「よお、また会ったなロザリー。何だか運命を感じてしまうよ」
「私は運命なんて信じませんけどね」
「ははは。これは手厳しいや。それじゃあ、レッドシー号に乗りな。ヘキス海域まで案内してやる」
ロザリーがレッドシー号に乗り込んだ。ここでロザリーとお別れか。
「ライン。見送りに来てくれてありがとう。後は私に任せてくれ」
ロザリーは口では強がっているが手元を見ると若干震えていた。やはり、一人で戦いに行くのが怖いのであろう。
「ロザリー! 必ず生きて帰ってきて!」
「ああ。わかってる」
「じゃあ出航だな」
ボルグ船長の指示で漁師達が船を出航させた。正直言ってロザリーが心配だ。いくら彼女が強いからと言っても、やはり人間であるから限界はある。無事に帰ってきてくれればいいのだけれど。
◇
私は白いクジラ型のモンスター、モビーディックに乗ってヘキス海域を目指した。指名手配されている私は正々堂々と船を借りて乗ることが出来ない。
いくら水龍薬を飲んで水中に潜れると言っても泳いでヘキス海域まで行くのは体力的には無理がある。潜水能力を得たこと以外は私は普通の人間なのだ。
モビーディックは巨大なモンスターだ。人間なら数人は乗せることは可能だ。尤も私の隣に乗っているのは、人間ではなくて精霊なのだけれど。
「へへ。こうしているとデートみたいだなー」
軽薄そうな男。水精ニクス。実力はあのロザリーにも匹敵する程強い。けれど、どうも私はこの人が苦手なのよね。やはり、私は誠実な人が好きだ。ラインお兄ちゃんみたいな……いいえ。そのことはもう忘れましょう。いくら、昔を懐かしんだ所であの鮮やかな日々は帰って来ないもの。
それにラインお兄ちゃんはもう私なんかよりも……やめよう。考えただけでも身が張り裂けそうな思いになる。あのロザリーとかいう女騎士が憎い。アイツさえいなければ、ラインお兄ちゃんはきっと私の味方になってくれたはずだ。優しいお兄ちゃんを惑わす女狐め。次会った時は容赦しない。
「なあなあ。ミネルヴァ。アンタってさ、甘えたい派? それとも甘えられたい派?」
急に何を言い出すんだこの男は。
「答える必要ある?」
「ちょっとした世間話だろ? ちなみにオイラは年上のお姉さまに甘えたいな」
「そう……私は貴方より大分年下だから話しかけてこないで」
「冷てえなあー。もちろん甘えさせてくれるなら年下でもオイラはいいぞ」
何なんだこの精霊は。精霊と言えばもっと厳かなものだと思っていたけれど、人間の女をナンパするような奴だとは思わなった。
「なあ。ジュノーって結構美人だと思わないか? 顔が火傷しているのが残念だけど、それを差し引いてもオイラは行けると思う」
「だったら、ジュノーに相手してもらえば。私は恋人を作るつもりはないもの。特にモンスターのね」
ちなみに先程のニクスの答えだけれど……私はやっぱりラインお兄ちゃんに甘えたい。彼には女の子が甘えたくなる何かがある。そういうオーラが出ているのだ。もしかして、ロザリーも彼に甘えてたりするのかな……そうだったら嫌だな。
私はもやもやとした気持ちを抱えたまま、特に好きでもない男と一緒に海を渡った。
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