渡された地図に導かれた先は、アーベラインの街の東側の区画だった。
この辺りは、金持ちや貴族が住む高級住宅街らしい。そう聞いていたので、今まで足を踏み入れたことは一度もない。
実際に来てみると、噂通りの雰囲気だった。いかにも広い敷地を持っていそうな、大きな屋敷が建ち並んでいる。門と門の間隔も大きくて、これでは近所づきあいも大変なはず。……などと考えてしまうのは、余計なお世話に違いない。そもそも『近所づきあい』というのが庶民の感覚であり、彼らには縁のない話なのだろうから。
「うわあ、すごーい!」
「まるで公園みたいだね」
感嘆の声を上げたアルマに、ニーナが頷いたように。
ベッセル男爵の屋敷は、一際目立っていた。
ちょっとした森という感じだ。赤いレンガ塀で囲まれているのだが、塀の外からでもハッキリ見えるくらい、葉を広げた大木が大量に植えられていた。
当然そのレンガ塀は長々と続いていたが、少し歩くと、正門に辿り着く。頑丈そうな鉄の扉には紋章が彫ってあって、昔の英雄らしき人が武器を高々と掲げている姿だった。
その勇ましさに僕が目を奪われている間に、白い通話装置を扉の横に見つけて、ニーナが魔力を流し込んでいた。ポンという起動音と共に、屋敷の使用人らしき声が聞こえてくる。
「どちら様でしょうか?」
「カトック隊です。『回復の森』の件で、冒険者組合から派遣されて参りました」
「ああ、冒険者の方々ですね。はい、聞いております。どうぞ」
ゴーッという重々しい響きを立てながら、ゆっくりと門が開いていく。
僕たち五人は軽く顔を見合わせてから、中へ入っていった。
広い池まであるような庭を突っ切って、砂利の敷かれた道を進んでいくと、見えてきたのは、ガッシリとした城のような建物。玄関前では、白黒を重ねたメイド服の使用人が一人、かしこまった表情でスタンバイしていた。僕たちの出迎えなのだろう。
「お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ」
きらびやかなシャンデリアが目を引く玄関ホールから、赤絨毯の廊下を抜けて、案内された先は、大きな茶色の扉の部屋。
「中でお座りになって、しばらくお待ちください」
廊下よりも色の濃い絨毯が敷き詰められて、壁や天井は木目調で整えられた室内。立派な部屋ではあるが、豪華という感じはしなかった。客をもてなす応接室というより、議論をするための会議室という雰囲気だ。
長いテーブルには、横一列に並んで、先客が座っていた。エグモント団の四人、つまり、ゲオルク、ザームエル、ダニエル、シモーヌだった。
「……」
彼らは黙ったまま、僕に対して睨むような視線を向ける。
負けない気持ちでそれを受け止めながら、向かい合う形で、彼らの正面に腰を下ろす。
リーダーであるニーナが最もドア側――上座に近い位置――に座り、その隣にアルマ。カーリンとクリスタの二人は奥へ回ったので、挟まる形で、僕の席は五人の中央になった。
「エグモント団のみなさん、今日はよろしくね」
愛想笑いを浮かべて、挨拶するニーナ。
「ああ、こちらこそ……」
向こうのリーダーのゲオルクも応じるが、互いに言葉を交わしたのは、それっきり。あとはベッセル男爵が来るまで、何も話さず、シーンと静まり返っていた。
『嫌な雰囲気だなあ。俺、こういうのは苦手だよ』
苦笑いするようなダイゴローの声。脳内で彼と会話できる分、僕はマシだったのかもしれない。
三十分にも一時間にも思えるような時が流れたが、実際には数分程度だったのだろう。ギーッと扉が開く音がして、一人の男が入ってきた。
短髪の似合う角ばった顔立ちに、立派な口髭。年齢は四十代か五十代くらい。青を基調とした貴族服に身を包んでおり、これが屋敷の主人であることは明白だった。
立ち上がった僕たちに対して、手で「座れ」と合図しながら、重々しい声で告げる。
「わしがベッセル男爵である」
上座に腰を下ろした彼は、厳めしい顔つきで僕たちを見回してから、言葉を続けた。
「冒険者組合から話は聞いておる。諸君が、わしの依頼に手を挙げてくれた冒険者たちだな?」
「はい」
「そうです」
それぞれパーティーを代表して、肯定するリーダーたち。
「うむ。最初に言っておくが、わしは二つも冒険者パーティーを雇うつもりはない。必要なのは、どちらか一方のみだ」
その場の空気に緊張が走るのが、僕にもわかった。
ベッセル男爵が改めて一同を見回すのも、今度は品定めのように感じられる。
『おお、まるで大学生の就活だな。圧迫面接ってほどじゃないが』
またダイゴローがわけのわからないことを言うが、相手していられる余裕はなかった。
「この街の冒険者組合を通した以上、諸君はアーベラインの住民だと思うのだが……。ならば、わしのことは知っておるな?」
「えっ、それは……」
口を開いたものの、すぐに言葉が詰まるゲオルク。
対照的に、
「もちろん存じております。ベッセル男爵は、アーベラインの運営に携わっておられるのですよね。おかげさまで暮らしやすい街となり、感謝しています。住民を代表して、お礼を述べさせてください。ありがとうございます」
我らがリーダーであるニーナは、しっかりと点数を稼ぐ発言だった。クリスタが直前に教えた情報なのだから、彼女の入れ知恵が成功した、と言えるのかもしれない。
「うむ。それを聞いて、わしも日頃の労苦が報われる思いだ」
ベッセル男爵の表情が、少し柔らかくなる。そのままエグモント団の方に視線を向けて、
「ああ、心配することはないぞ。こんな質問の答えで、雇うべきパーティーを決めるつもりはないからな。冒険者としての実力を見せてもらった上で、どちらにこの件を任せるのか、決定しようと思っておる」
「では、何かテストのようなものをなさるおつもりで……?」
と、話を促すニーナ。貴族に対しても及び腰にならず、堂々と対応できるのは、本当に凄いと思う。
「いや、テストを用意するほどの余裕はない。『回復の森』の問題は、早急に解決してもらわないと困る。わしは本当に、頭を抱えておるのだ」
そう言っておきながら、ベッセル男爵の口元には、わずかに笑みが浮かんでいるようにも見えた。
「だからな。とりあえず二組とも、この問題のために動いてもらおうと思う。その上で、泉を回復させたパーティーにだけ、報酬を支払うつもりだ。つまり、この事件を解決すること自体が、冒険者としての実力を示すテストも兼ねている、と考えてほしい」
『……ん? それって結局、二組とも雇う、って話じゃないのか? 前金は両方で、成功報酬は上手くいった方にだけ払うんだろ。違うのか?』
僕にしか聞こえないダイゴローのツッコミは、おそらく、この場の全員の頭に浮かんだ疑問だったに違いない。
ベッセル男爵にも予測できたとみえて、誰かが声に出して問いかけるより早く、その答えを口にしていた。
「わかりにくいようだから、説明し直そう。問題解決のパーティーには手付金も成功報酬も支払うが、失敗したパーティーは最初から『雇われなかった』という形になるから、手付金すら発生しなくなる。……良いな?」
ベッセル男爵が持ち出したのは、わかったような、わからないような理屈だった。
前金というものは、本来、依頼を受けた時点でもらえるはず。しかし今回は後払いとなり、もらえるのは一方のみ。先に片方が事件解決したら、もう片方は完全に無料働きということだ。
『要するに、何が何でも一つのパーティー分しか金は出したくない、って話だな。しみったれた貴族だが、これがこの世界の一般的な貴族ってやつなのか?』
問いかけるダイゴローに対して、庶民に過ぎない僕は、何も答えられなかった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!