ニーナが誰かを探していたことは、彼女と出会った時から、僕も知っていた。
それがカトックという人物なのも、マヌエラに詰め寄るニーナを見た時点で理解していた。
彼がカトック隊を去った経緯は、今まで聞いていなかったが……。「カトックは森で消えてしまった」というニーナの言葉は、驚きよりも、むしろ妙に納得できるものだった。
「ああ、それで……。ニーナたちは『回復の森』を探索していたのか」
思わず口にした僕に続いて、頭の中のダイゴローも、同じく納得の口調になっていた。
『そういやあ、マヌエラって女武闘家に対して、クリスタも言ってたな。カトックは森で見つかると予測してた、って』
しかし。
「でもバルトルトくん、それはちょっと変だよ」
アルマが難しい顔をして、僕のスッキリ気分に水を差す。
「カトックくんが消えたのは、遠い遠い場所にある別の森でしょ? いなくなった森から出てくるならわかるけど、全く違う森から現れるって期待するのは、理屈に合わないよ?」
先ほどもアルマは冷静な言葉を挟んでいたが、案外アルマの方が、僕より頭が回るのかもしれない。こうして三人で話してみると、五人でいる時にはわからなかった一面も見えてくるものらしい。
「うん、アルマの言うのも尤もだね。でも、キミの感覚も間違ってないよ」
僕に対して、小さな笑みを浮かべてから。
「だから、その辺の事情を詳しく話すね。あの日の出来事は、今でもハッキリと覚えてる。忘れようとしても、忘れられないくらいで……」
ニーナは、再び語り始めた。
その日の朝食は、デザートの果物がオレンジだったという。
朝のメニューから話し始めるなんて、ニーナは本当に、細かい点まで覚えているようだ。僕は感心してしまうが……。
「ちょうどその頃、ザルムホーファーの街では、安くて新鮮なオレンジが大量に売られててね。食材として、つい買い込み過ぎた直後だったの」
ニーナ曰く、当時の彼女たちは、何食も続けてデザートをオレンジにしていたそうだ。
だから、森ダンジョンを歩きながらの雑談も、
「さすがに、こうオレンジばかりだと、ちょっと飽きてくるなあ」
「わかる、わかる。ずっと同じだもんね! 美味しいけど、でも……」
「あらあら。カトックもニーナも贅沢だわ。果物は新鮮なうちに食べないと……」
というように、自然とオレンジが話題になった。
「すまない、クリスタ。僕たちが文句を言える筋合いじゃないのはわかっている。カトック隊の料理は、クリスタとカーリンに一任しているのだから」
「そんなに大袈裟に謝らないで。でも……」
クリスタが少し思案顔になって、
「……だったら、少し変化をつけてみようかしら? そのままで食べるのが一番だけど、肉や魚のオレンジ煮とか、サラダにしてみるとか……。生ハムとレタスを使ったオレンジ・サラダのレシピ、どこかで見た気がするわ」
「オレンジ・サラダか! 今日の夕食が楽しみだね」
ちょうど、そうカトックが返したタイミングで。
ブーンという不気味な低音が聞こえてきて、四人は一斉に身構えた。
「慣れた森だけど、ダンジョンだったからね。森林浴じゃなくて、モンスター・ハンティングをしてたわけだし……。だから私も他のみんなも最初、モンスターが出てくると思ったの」
とはいえ、それまで経験のある気配とは明らかに違う。だから、見たこともないモンスターが出現するのだと考えて、ニーナたちは緊張したのだが……。
実際に現れたのは、黒い空間だった。
「黒い空間……? 黒い塊、ではなくて?」
「ニーナちゃん、何それ……?」
僕とアルマが、ほぼ同時に聞き返す。
空間といえば形のないものであり、そもそも物体ですらない。黒い塊ならば引っ掛かることもなかったが、空間が現れるという表現は、僕の理解を超えていたのだ。
これに対して、ニーナは苦笑しながら首を振った。
「そう、塊じゃないわ。空間としか言いようがない存在だったの」
当時のカトック隊は、カトックとニーナが前衛で、カーリンとクリスタが後衛という布陣。ただし前衛の二人は完全な横並びではなく、リーダーであるカトックが一歩前を歩き、新人であるニーナが斜め後ろからついていく、という形だった。
「あっ!」
驚きの声を上げるカトック。問題の『黒い空間』の出現に真っ先に気づいたのは、彼だったのだ。
リーダーだから注意力や認識力が高かった、という話ではない。位置的な理由に過ぎなかった。
なにしろ、彼のすぐ近くで、空間が歪み始めたのだから。
「その時、私はカトックの左側にいたんだけど……。空間の歪みは、ちょうど反対、彼の右側で発生したの。最初は、まるで波打つ水面のように、その部分の空気にひずみが生じて、変な見え方になって……。でもすぐに、歪んだ部分だけ暗くなったの。真っ黒と言っていいくらいに」
「なるほど、それで『黒い空間』か……」
納得したような言葉を口にする僕。
正直なところ、ニーナの説明を、完全に映像として思い浮かべるのは難しかった。それでも、少しは理解できたような気がしたのだ。
「ニーナちゃんの言ってるのは、黒い穴って感じかな?」
アルマもアルマなりに、イメージできたらしい。しかも、かなり的確だったようだ。
「うん、そうだね。真ん丸だったし、『黒い空間』より『黒い穴』の方がわかりやすいかも。特に、その後の出来事を考えたら……」
新種のモンスターどころではない怪現象に遭遇して、
「下がれ!」
咄嗟にカトックは叫んだし、ニーナもカーリンもクリスタも、パッと後ろへ飛び退いた。
カトックの後退りがワンテンポ遅れたのは、リーダーの責任として、まず自分が動く前に、仲間の行動を見届けていたからだろう。
そして、この一瞬の遅れが致命的だった。
「もともとカトックが一番、黒い穴に近い位置だったからね。急に広がった暗黒が、彼の体まで届いてしまって……。カトックは、その穴に吸い込まれてしまったの!」
『吸引力のある「黒い穴」かい。まさにブラックホールだな……』
しみじみとダイゴローは呟いているが、黒い穴をブラックホールと言い直しても、かっこつけた言い方にしか聞こえないのだが……。
『そうか、この世界にはブラックホールの概念はないのか。まあ俺も詳しくはないが……』
と、何やら説明しようとしたところで。
「穴が広がったのに、ニーナちゃんたち、よく無事だったね」
アルマが興味深い指摘をしたので、僕もダイゴローも、そちらに意識を向ける。
「うん。カトックの号令のおかげで、私たち、距離を取ってたから……。それに問題の黒い空間、カトックを吸い込んだら、また小さくなったのよ。広がった時より素早く、ギュッと点になるようにして……」
空間の異変は、一瞬のうちに消えてしまったのだという。
『それじゃ、まるで、そのカトックってやつを捕まえたら目的は果たした、って感じだな?』
ダイゴローのコメントは面白い見方であり、ニーナやアルマには聞こえないのが、残念なくらいだった。
「カトックが消えて、私、取り乱すしかなかったんだけど……」
カーリンとクリスタの二人が、先輩冒険者として、ニーナを落ち着かせてくれたそうだ。
サブリーダーのカーリンが暫定的に指揮をして、ニーナたち三人は、カトック消失地点の近辺を探し回った。
まずは、空間が歪んだ辺りを調べて、手がかりとなるような痕跡がないか、丹念に探す。何も見つからないので、そこから同心円状に、少しずつ捜索範囲を広げていき……。
「その日の夕方まで、ずっと森を探し続けたんだけど……。カトックの姿どころか、異常の痕跡すら、全く出てこなかったの」
だから失意のうちに、三人はザルムホーファーの街に戻った……。そう言って、カトック消失事件の顛末を語り終えるニーナ。
当時の心境が蘇ってきたのだろう。あからさまに肩を落として、すっかり落ち込んだ表情になっている。
実は僕は、少しだけ「結局、その日の夕飯でオレンジ・サラダは食べたのかな?」と気になっていたのだが、とても質問できる雰囲気ではなかった。
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