昨日や一昨日と同じ観察ポイントに到着して。
やはり昨日までと同様に、
「バルトルトくん、今日もよろしくね!」
「こちらこそ」
まずは僕が、アルマと組んで警戒役に回った。
他の三人が泉を見張っている間、彼女たちに背を向けて、この小道の手前の部分――たった今僕たちが通ってきた方角――を見ておくのだ。逆にアルマは、ここより先へ視線を向けていた。
つまり同じ『警戒役』といっても、僕とアルマは、小道に沿って正反対を見張る格好になる。もう三日目なので、あらかじめ打ち合わせる必要もなく自然に、そうした配置についていた。
このまま一時間、おそらく現れることはない――まだ寝ている――であろうモンスターを警戒して、ほとんど仲間の顔を見る機会もなく過ごすというのは、退屈な役割だが……。
数分もしないうちに、そんな想定は崩れることになった。
「アルマ! バルトルト! 二人とも伏せて!」
後ろから聞こえてきたクリスタの声は、ボリュームこそ小さく抑えられていたものの、勢いとしては叫んでいる調子だった。
慌てて振り返ると、クリスタは問題の泉に目を向けたまま、「頭を下げろ」と言わんばかりに手だけを動かしている。
アルマも同じタイミングで振り返ったので、僕たちは目が合った。彼女の顔には驚きの色が浮かんでいたが、おそらく僕も同じだったに違いない。
ニーナ、クリスタ、カーリンの緊張が伝わってくる。気のせいかもしれないが、胸がモヤモヤするような不快な空気が、遠くから漂ってきたように感じられて……。
「二人とも、気配を消せ!」
カーリンがこちらを向いて、僕とアルマの頭を押さえつけた。
気配を隠す訓練なんて、全くしたことがない。とりあえず、黙って動きを止めてみた。
それにしても。
これだけ地面に突っ伏してしまうと、かなり視界は悪くなる。
特に、この辺りから泉を見ようとしたら、ただでさえ木々の隙間から覗く状態だったのだ。さらに下草に邪魔される形になったが、それでも一応、様子を観察できた。
『部屋の中から、網戸越しに外の景色を覗くのと同じ要領だな。こっちからは見えるけど、おそらく向こうからは、窓際に立っているのはわからない……。そんな感じだろう』
日常で例えられるのは、現在のような緊迫した状況では、違和感も大きかったが……。
ダイゴローの言う通りだった。まるで網戸越しに見るように、こちらからはあちらが見えているが、あちらは「見られている」と気づいていないに違いない。
いつのまにか、泉のほとりに、うずくまっている者がいたのだ。こちらに背を向けているためハッキリとはわからないが、水際ギリギリに座り込んで、泉に何か投げ入れているらしい。
頭からスッポリとフード付きのローブを着ているので、全身が真っ黒。まさに、あの女性武闘家から聞いた通りの外見だった。
「やっぱり早朝の怪人だったのね……」
と呟くニーナ。
朝の早くにしか目撃されていないとはいえ、たまたま見られなかっただけで昼間も来ていた、という可能性もゼロではなかった。その意味では、自分たちの張り込み方針が正解だったのかどうか、リーダーとしては今まで、少し気持ちが揺らいでいたのかもしれない。
「ええ。間違いなく、あれが問題の黒フードなのでしょうね。でも……」
ニーナの言葉を受けてクリスタが続けたが、彼女の口調には、疑問の色が混じっていた。
「……あれは何かしら? 毒を投げ入れている、という雰囲気とは違うような……」
「うむ。ある程度の硬さと大きさのある、固形物のようだが……」
カーリンもクリスタと同意見らしい。
三人は、僕やアルマよりは、少しだけ見やすい位置から眺めているのだ。僕にはわからないような細部まで、観察できているのだろう。
実際、
「見えなーい! 私にも見せてー!」
と、アルマは文句を言っている。
「静かに! 後で詳しく教えてあげるから!」
「えー。ずるいよ、ニーナちゃん。せっかく目の前にいるんだから、私だって、この目で見たいよ……」
不満を口にするアルマも、大きな声で喚いてはいけない状況だ、という程度は心得ていた。だからアルマとニーナの言葉は、本当に小さな声で交わされている。一本隣の道にある泉まで、その会話は届いていないはずだったが……。
「お前たち……。ワシに何か用か? ならば遠慮することはない。ワシの前に、姿を現すが良いぞ……」
背中を向けたままで、声だけを飛ばしてくる黒い怪人。
この世のものとは思えないほど、忌まわしい響きだった。聞いているだけで、ズシリと腹の底まで、不快感が沈殿していくように感じられた。
「それじゃ、お言葉に甘えて!」
重苦しい雰囲気を捨て去るかのように、ニーナが元気な声で立ち上がる。
そして木々の間を分け入って、強引に、隣の小道へと向かっていった。
カーリンもクリスタも、僕もアルマも、彼女に続く。道なき道を行く形だが、なんとか歩けそうなところをニーナが選んで進むので、僕たちは彼女の背中を追うだけで良かった。
とはいえ、行けそうな箇所を行くということは、泉への最短コースにはならないということ。泉に面した道に僕たちが出たのは、泉より少し手前の辺りだった。
この位置からだと、斜め後ろから黒ローブの怪人を見る形になる。まだフードに隠れて、怪人の顔は拝めないが……。
足元に小さな革袋があるのは見てとれた。そこから取り出した物を次々と、泉の中にポチャン、ポチャンと投げ込んでいる。
「やっぱり……。毒なんかじゃなかったのね……」
クリスタの声が少し震えているように聞こえて、思わず彼女に視線を向けてしまった。
その横顔に、いつもの優しい表情は浮かんでいない。大袈裟に言うならば、顔面蒼白という雰囲気だった。
「ひどい……」
泣き声のような、アルマの呟き。見れば彼女は、涙こそ流していないが、今にも泣き出しそうなくらいに、顔をクシャクシャにしていた。
改めて。
僕も、問題の小袋に視線を向け直す。怪人が取り出す度に垣間見える、その中身は……。
「肉片……?」
思ったままを、素直に口にする僕。
緑や茶色など、皮膚の色がそのまま残っているところもあれば、赤黒く湿ったところもある。おそらく後者は切断面であり、いわゆる「血が滴る」という状態なのだろう。それだけ新鮮な生肉という証だった。
ここまで生な肉片は、確かに、少し気持ち悪いかもしれない。しかし、僕たちだって、普通に牛や豚などを食べているのだ。食卓に並ぶのは調理済みとはいえ、肉屋や料理人が扱うのは加工前の生肉。それに対して今さら「気持ち悪い」という態度を見せるのは――特にクリスタなんてカトック隊の調理係なのだから――、あまりに軟弱な気もするのだが……。
『よく見ろ、バルトルト。あれは牛や豚なんかじゃねえ。あんなもの食わねえだろ、この世界の人間でも』
と、ダイゴローに言われて。
さらに目を凝らすと……。
「えっ? あれって……!」
僕の口から飛び出したのは、驚きの声。
ちょうど黒い怪人が取り出した肉片には、五本の指が生えていたのだ。牛や豚のような四足動物とも違うし、食用の鶏とも違う。もっと人間に近い、二足歩行する生き物の『五本の指』だった。
もちろん、人間の肌の色ではない。野生の猿は見たことないが、図鑑などから得た知識と照らし合わせると、猿の類いでもなさそうだった。むしろ、もっと親しみのある色と形状で……。
頭の中に、一つの単語が浮かんだ瞬間。
まるで僕の心を読んだかのように、カーリンが呟いた。
「お前も気づいたようだな、バルトルト。あの者が投げ込んでいるのは……。あれは、ゴブリンの肉片だ」
読み終わったら、ポイントを付けましょう!