二人の後ろから続く僕たちにも、中の様子はハッキリと見てとれた。
扉の向こう側に広がるのは、天井の高い、大きな空間。窓にはステンドグラスがはめ込まれており、赤い絨毯が敷かれた通路の左右には、木造の長椅子が整然と並べられている。
日曜ミサには大勢の信者を収容するであろう、典型的な礼拝堂だった。
『なるほど、教会だな。といっても、元の世界で訪れる機会はなかったが……。漫画やアニメには割と出てきたから、雰囲気だけは知ってるぜ』
と、またダイゴローが、彼自身の概念と照らし合わせている。
そんな感じで、僕たちが礼拝堂を観察する間に……。
ミサの時には神父が説教に立つ、講壇と呼ばれる場所。その近くにあった小さなドアが開いて、一人の男性が顔を出した。
リーゼルの呼びかけが、奥まで届いていたらしい。
「はい、誰でしょう……?」
張りのある、よく通る声だった。背格好も髪の色も僕と似ている若者だが、僕より少し年上で、威厳や風格といったものが感じられる。
教会関係者のスペースから出てきたけれど、明らかに神父ではなかった。神父と言えばキャソック――黒い立襟の祭服――のイメージだが、彼が着ていたのは金属製の鎧。全体的には白く、ところどころに赤い装飾が施されている。赤とピンクという色の違いはあるが、ニーナのそれを彷彿とさせる鎧だった。
いかにも、今日の冒険から戻ってきたばかりの冒険者、という格好だ。
「カトック! やっと会えた!」
喜びの声を上げるニーナ。
斜め後ろからなので不明瞭だが、彼女の目には、うっすらと嬉し涙が浮かんでいるように見えた。
その小さな水滴を、振りまきながら……。
この日を待ちわびていたニーナは、彼の元に駆け寄るのだった。
彼女を受け止める形で、カトックが両腕を広げる。胸に飛び込んでくるニーナに応じて、半ば無意識のうちに出たポーズ、という感じだった。
「ああ、君は……」
抱きついてきたニーナを、自然に抱きしめるカトック。いや『抱きしめる』と表現したら大袈裟だろうか。軽く背中に手を回す、という程度だ。
対照的に、ニーナの方は情熱的な振る舞いだった。もう二度と放さない、と言わんばかりに、ギュッとしがみつきながら、喜びの泣き声を上げている。
「カトック! カトック! ああ、本当にカトックだわ……!」
涙もろい女子供であれば、もらい泣きしそうな光景だ。それこそカトック隊の中でも、ニーナの姿に当てられて、誰か涙を流しているかもしれない。
僕は仲間の顔に視線を向けようかと思ったが……。
カトックの言葉を耳にして、それどころではなくなった。
「……冒険者の方なのですね、その鎧姿から判断すると。私に何かご用ですか?」
その場の空気が凍りつく。
冷たさすら感じさせる、他人行儀な声だった。
彼の胸に埋めていた顔を上げて、カトックを見つめるニーナ。それまでの歓喜から一転、彼女は、まるで地獄に突き落とされたかのような表情になっていた。
シーンと静まり返る中。
「あちゃあ。サプライズのショック療法も、ダメだったか……」
その静寂を破ったのは、マヌエラの従姉妹であるリーゼルだった。苦々しく呟きながら、額に手を当てている。
このリーゼルの発言が、硬直を解くスイッチになったのかもしれない。
「カトック……」
今までとは全く違う口調で、同じく彼の名前を口にしながら、ニーナは二、三歩、後退り。彼から離れた。
彼女を手放したカトックの方には、特に名残惜しい様子は見られない。ニーナへの意識はその程度しかなく、彼は僕たちの方へ向き直った。
「おや、誰かと思えば、リーゼルさんではないですか」
見知った顔を見つけたからだろうか。声と表情が、少し柔らかくなる。
僕には、むしろ残酷に思えた。本来ならばニーナたちの方が、この街の人間よりも、彼にはゆかりの深い者であるはずなのに……。
「ああ、うん。こんにちは、カトックさん。いや、もう『こんばんは』かな? こんな時間に、わざわざ教会に来たのは……」
リーゼルは、悲しそうな目をニーナに向けてから、カトックへの言葉を続ける。
「……お仲間を紹介しようと思いましてね」
「お仲間……? 見たところ、冒険者のようですが、リーゼルさんに冒険者の仲間がいたとは……」
「違う、違う」
ゆっくりと首を横に振りながら。
諦めの色も浮かぶ顔で、リーゼルはカトックに言い切った。
「あたしじゃなくて、カトックさんの仲間たちだよ。……本当は、思い出して欲しかったんだけどね。あたしの口から言うんじゃなくて」
「この人たちは、アーベラインという街から来た冒険者で……」
リーゼルが事情を説明する間。
あからさまに落ち込んでいるニーナを、僕はジッと見つめていた。何か声をかけてあげたいけれど、どう慰めたら良いのか、僕にはわからなかった。
しゃがみ込むほどではなく、きちんと二本の足で立っているものの、ガックリとうなだれている。対面すれば記憶が蘇るに違いない、という期待が、それだけ大きかったのだろう。
「そうですか。では私は、かつて、この方々と行動を共にしていたのですね」
一通りの話を理解して、カトックはニーナに歩み寄る。笑顔を浮かべていたが、営業スマイルのような、他人向けの表情だった。
「記憶がなくて、申し訳ない。『久しぶり』ではなく『はじめまして』になってしまいますが……。カトックです。あなたのお名前は?」
「私はニーナ……です」
しっかりと顔を上げて返答したけれど、ニーナは困惑しているようだ。
一方、僕の中では、ダイゴローがツッコミを入れていた。
『おいおい。最初は「君は」と呼びかけておきながら、今度は「あなたは」かよ。かえって遠くなってるじゃねえか』
そんな状況の中。
ニーナとカトックのところへ、アルマがパタパタと駆け寄っていく。
「私、アルマ! よろしくね、カトックくん!」
そう言って、カトックに対して手を伸ばした。
あからさまに年下の女の子から『カトックくん』と呼ばれて、彼の口元には、少し苦笑いが浮かんだようにも見える。それでも、
「ええ、よろしく」
アルマの握手に、明るく応じていた。
少し既視感のある光景かもしれない。僕がカトック隊に入った時も、アルマは握手を求めてきたし、マヌエラに対しても、この旅が始まる際、真っ先に握手していたはず。
『人懐っこいアルマらしい行動じゃねえか』
ダイゴローも、そう評しているが……。
ならば。
今は、このアルマの性格を利用させてもらおう。
彼女に倣うようにして、僕はスタスタと、カトックのところへ歩み寄った。
最初に遠くから見た時も、カトックからは、独特のオーラや貫禄が感じられたのだが……。近づいてみると、それがいっそう強まったような気がする。
さすがはカトック隊の前リーダーであり、ニーナやカーリンやクリスタを率いていた人物だ。
『体つきはバルトルトと似ているのに、少し年齢が違うだけで、えらい違いだな。これが大人の男ってことか?』
ダイゴローの冗談を聞き流しながら、僕は笑顔で、カトックに手を差し出した。
「はじめまして。バルトルトです」
「はい、はじめまして」
握手に応じてくれた彼に対して、僕は少し補足する。
「僕とアルマは、あなたが消えてからカトック隊に加わったメンバーです。だから、これが初対面になります」
「おや、では正真正銘の『はじめまして』なのですね」
ニッコリと笑うカトック。僕に対しては「記憶がなくて、申し訳ない」と思わずに済むと理解して、気持ちが軽くなったのかもしれない。
このように。
僕はアルマに続くことで、はじめましての握手という流れを作ったつもりだが……。
その意図は、他のメンバーに伝わったようだ。クリスタとカーリンも、こちらに来てくれた。
「クリスタよ。二人とは違って、本当は『久しぶり』なのだけど、今のあなたにとっては『はじめまして』になるわね」
「俺はカーリン。あなたからは、色々と学ばせてもらった。改めて『はじめまして』ということで、色々と勉強させてもらいたい」
「私も同じ気持ちだわ。もう一度、あなたと『はじめまして』から、やり直したいの」
「今のあなたは冒険者のリーダーではなく、自警団を率いている、と聞いている。ならば戦い方も違うだろうし、新たに得るものがあるはずで……」
いつもより饒舌なカーリンだ。つまりニーナだけでなくカーリンにとっても、それだけカトックは特別な存在だったという証なのだろう。
二人は、アルマや僕と同じように、カトックと握手をして……。
そうなると。
カトックとしては、挨拶だけで終わらせた者とも、握手する流れだった。複雑な表情で立っているニーナに対して、手を差し伸べる。
「あなたとは、挨拶の途中でしたね。ニーナさん……と言いましたか。あなたとも、また関係を築き直す形になりますね」
新たに、最初からやり直す。もう一度、最初から。その過程で、以前と同じ状況に出くわす機会もあるだろうし、それがきっかけとなって、記憶が戻るかもしれない……。
そんな可能性に、ニーナも思い至ったのだろう。
「はい! こちらこそ、よろしく!」
ギュッと彼の手を握る彼女の表情は、ようやく、少し明るくなったように見えるのだった。
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