テイマーであるアルマが身につけているのは、戦士系のジョブが着る鎧や、魔法士のローブではない。それでもモンスターが見れば、一目で冒険者だとわかるのだろう。
アルマが近寄ったことで、ゴブリンは警戒して、さらに後ろへ下がっていた。傍から見ると、彼女がモンスターを壁際まで追い詰めている雰囲気だった。
彼女自身、そう感じたのかもしれない。
「心配しないで! ほら、怖くないでしょ?」
相手に合わせて目線を下げたまま、まるで子供を迎え入れる母親のように、アルマは大きく両手を広げる。顔に浮かぶ微笑みも、いつもの無邪気さではなく、むしろ慈愛という言葉が似合いそうな表情だった。
その甲斐あって、
「ギギッ……?」
ゴブリンは小さく体を震わせながら、後退りを止める。
アルマは満足そうに笑って、再び同じ質問を口にするのだった。
「ゴブリンさん、お名前、教えて?」
「ギッ? ギギ……」
「お名前、ないの? それじゃ……」
口元に指を当てて、少し考え込むようなポーズを見せてから、アルマはポンと手を叩いた。
「ギギちゃん! ギギって鳴くから『ギギちゃん』でどうかな?」
「ギギ……」
鳴き声そのものは同じだが、モンスターとは意思疎通できない僕にもわかる。ゴブリンが文句を言っているようには見えなかった。
「よかったー! 決まりだねー!」
アルマは嬉しそうに頷いてから、こちらを振り返って宣言する。
「今日から、このゴブリンの名前はギギちゃんだよー! みんなも、そう呼んであげてねー!」
パウラという娘の話をゴブリンが理解したとか、鳴き声で返していたとか、そんなエピソードは昨日、既にパトリツィアから聞いていた。つまり、一般人である村の子供でも、ある程度はこのゴブリンと会話が成り立っていたのだ。
ならば、テイマーという専門職のアルマが、より詳しく気持ちを伝え合えるのは当然であり……。
「うん、うん。それで?」
「ギッ、ギギ……」
膝に手をついて前屈みのアルマと、玩具屋の床に座り込んだゴブリンは、しばらくの間、二人だけの会話に没頭していた。
僕も仲間たちも、おとなしく見守るだけだ。そんなカトック隊の様子を、さらに村人たちが遠巻きに眺める、という構図になっていた。
「こうして見ていると……。やっぱり、かなり特殊なゴブリンなんだね」
ニーナの呟きを耳にして、クリスタが肯定的な意見を口にする。
「そうでしょうね。確かにアルマは優秀なテイマーだけど、そんな彼女でも普通のゴブリンだったら、ここまで話せないもの。こんなゴブリン、初めてだわ」
「『回復の森』にいた早起き鳥みたいですね」
と、僕も言ってみた。
実際には『早起き鳥みたい』どころか、それ以上の人懐っこさなのだろう。
早起き鳥は愛玩用にも適しており、もともとはモンスターではなく動物と間違われていたほど、平和なモンスターだ。それでも僕たちが『回復の森』で遭遇した際、アルマは最初に、いつもの鞭を使うくらいだった。一方、今回のゴブリンは、その鞭による調教すら不要だったのだ。
「うむ。バルトルトが引き合いに出した通り、ちょうど早起き鳥だな。殺す必要なんて皆無のゴブリンだ」
そう言ってから、カーリンは周りの村人たちに目を向ける。
始末するより捕獲の方が良い、と改めて強調したかったのだろうが、村人たちの中には、怯えたように二、三歩後退りする者もいた。キツそうな目つきの冒険者に睨まれた、と感じたに違いない。
「うん、そうだよね。じゃあ一緒に行こうか?」
「ギギッ!」
アルマとゴブリンの間に、何らかの話がまとまったらしい。
彼女はゴブリンに手を差し伸べ、うずくまっていたゴブリンを立ち上がらせた。
「おおっ……!」
静かに見守っていた村人たちが、再び騒ぎ出す。
冒険者とモンスターが握手をした、とも見える場面であり、それに驚いたのだろう。あるいは、おとなしく座っていたモンスターが動き出したことで、本能的な恐怖を感じたのかもしれない。
そんな周囲の反応には知らん顔で、アルマはゴブリンを連れたまま、僕たちのところへ戻ってくる。
「ギギちゃん、今日も子供たちと遊びたい、って言ってるー!」
通訳するアルマ。
このゴブリン――アルマの命名によればギギちゃん――は、いつものように村へ遊びに来て、子供の溜まり場へ向かおうとしていた。途中この玩具屋が目に入り、興味を惹かれて立ち寄ったら、店内の雰囲気が気に入って、そのまま居座ってしまったのだという。
「もう満足したし、本来の目的を思い出したから、私たちと一緒に行くってー!」
アルマは、そうまとめたのだが……。
この話は僕たちだけでなく、取り囲んでいた村人たちの耳にも入っており、彼らの騒ぎは大きくなった。
「子供たちの遊び場へ連れて行くのか?」
「大丈夫なのか? それでは、まるで子供をモンスターの生贄にするようなものでは……?」
声を聞く限りでは、カールやデニスのように「モンスターは危険」という立場の者が多いらしい。ただし、パトリツィア寄りの意見も聞こえてきた。
「いやいや、冒険者が一緒だから安心だろ?」
「そうですよ! 冒険者が監視してくれるなら、問題なんて起きっこないでしょう!」
口々に喚く彼らを代表して、僕たちに話しかけてくるのは、やはりカールだった。
「本当に大丈夫なのか……?」
「問題なんか何もないよー!」
明るく無邪気な声でアルマが返すと、カールの心配そうな顔が、さらに険しくなった。
そもそもアルマは、僕たちの中で最も若い上に、実年齢より幼く見える部分もある。カールとしては「こんな子供の言うことは当てにならない」という気持ちなのかもしれない。
「大丈夫ですよ、私たちが保証します」
パーティーのリーダーであるニーナが、すかさずアルマの言葉をサポートする。さらに、クリスタも加わった。
「こう見えてアルマは優秀なテイマーで、モンスターを使役することにも長けていますわ。優秀だからこそ、若くして冒険者学院を卒業して、一人前の冒険者になったんですもの」
「そういうものなのか、冒険者って……」
クリスタが理知的な言い方をしたので、カールも納得せざるを得なかったようだ。まだ不安が完全に消えた表情ではないものの、それ以上は何も言ってこなかった。周りを見ても、村人代表のカールが黙ったために、反対意見を口にする者は一人もいない。
「クリスタちゃん、ひどーい! 『こう見えて』って、どういう意味ー?」
と、可愛らしく――冗談っぽく――怒るアルマの言葉が、その場によく響くほどだった。
『一種の叙述トリックだな。モンスターの使役に長けてるといっても、今までアルマがまともに仲間に出来たのは、早起き鳥一匹だけだろ?』
聞こえないのをいいことに、僕の中でダイゴローがツッコミを入れる。
確かにアルマは、冒険者学院時代は才能を認められていたにしても、いざ冒険者になってからは、その能力をなかなか発揮できていない少女だった。一昨日のブロホヴィッツで「もしかして、私、お荷物?」と言い出したように、アルマ本人も自覚しているくらいだ。
だが、それをこの場で説明する必要はない。むしろ隠しておくべき話だった。
『そうだな。このギギってゴブリン、どうせ早起き鳥並みのモンスターっぽいからな。アルマなら大丈夫だろうぜ』
僕とダイゴローがそんな脳内会話を交わす間に。
現実では、ニーナが次の行動方針を提案していた。
「それじゃ、私たちは、またどこかの公園へ行こう! 子供たちがいそうなところへ!」
僕たちにそう言ってから、彼女は村人たちの方を振り返る。
「子供たちが遊んでる場所、この近くだと、どこになります? まだ私たち、村の地理には詳しくないので、案内してもらえると助かるのですが……」
その場の面々を見回してから、ニーナの視線は、カールのところで落ち着いた。全くの見ず知らずよりは、昨日から話をしてきた彼の方が頼みやすい、ということだろう。
だが子供たちのところへゴブリンを連れ行くのは、カールにしてみれば気が進まない話のはず。彼は渋い顔をしたまま、口を開こうとせず……。
代わりに。
全く別の方向から、返事が飛んでくるのだった。
「それでしたら、私に案内させてください!」
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