もともと僕たちが今日宿屋を出たのは、昨日パトリツィアから聞かされた「そろそろゴブリンが現れそう」という話が理由だった。適当に村を見て回るうちに遭遇できるかもしれない、と期待していたのだ。
カールとパトリツィアの二人と合流したことで、闇雲に歩き回るのではなく、今までゴブリンが現れた場所を巡る、という形に変わったが……。それだって、これまでのゴブリンの痕跡を調べるというより、これからの出現ポイントを考える手がかりにする、という意味合いが強かったはず。
こうして実際に現れたのであれば、公園巡りよりも優先なのは当然であり、むしろこちらから頼みたいくらいだった。
「もちろん行きます! さあ、案内してください!」
職人風の男の言葉に、ニーナが二つ返事で応じる。
「よし、来てくれ!」
息を整える暇もなく、走り出す男。彼に連れられて、僕たちはゴブリンのところへ向かうのだった。
これまでにゴブリンが現れた場所として今日見て回ったのは、どちらも公園であり、残りの三箇所も、昨日の話では同様の印象だった。村外れというほどでなくても、それっぽい地域にあると思ったのだが……。
僕たち八人――職人風の男とカールとパトリツィアとカトック隊――の行く先は、僕の予想とは違っていた。どうやら村の中心へ向かっているようで、進むにつれて、商店や民家が増えてくる。
余所者である僕だけでなく、村の者にも不思議に思えたらしい。
「おい、デニス。ゴブリンが現れたのは、どこの公園だ? それとも、どこかの空き地か?」
走りながら、カールが職人風の男に問いかける。彼はデニスという名前のようだ。
「今回は子供の遊び場じゃない。いや、ある意味では遊び場といえるのかな? 親方の店だ」
「オーラフさんの玩具屋ですね? じゃあ、先に行ってください。後から追いかけますから」
質問したカールより先に、パトリツィアがデニスの返事に反応した。彼女は一行の最後尾を走っていたはずだが、その声は、思った以上に遠くから聞こえてきた。
チラリと振り返ると、パトリツィアは完全に立ち止まっていた。膝に手をついて、大きく肩で息をしている。これ以上は走れない、と全身で表現している状態だった。
目的地さえわかれば、冒険者や男たちに合わせて、パトリツィアが無理して走る必要はないだろう。脱落した彼女を残して、僕たちはその『オーラフさんの玩具屋』目指して、走り続けるのだった。
「さあ、ここだ!」
デニスに案内された先は、茶色い屋根の、こじんまりとした商店。ただし『こじんまり』という印象なのは店構えだけであり、奥には大きな建物が併設されているようだ。店の者たちが住んでいるだけでなく、売り物を作っている工房なのではないだろうか。
『バルトルトが最初に「職人風の男」って言ってたくらいだもんな。このデニスって男も「親方」って言い方してたし、工房一体型の店舗なんだろうさ』
実際に入ってみると……。
木彫りの人形や積み木、寄木細工など、様々な木製玩具が棚に並べられていた。名称は不明だが、部品が複雑に動くようなギミック多めの玩具もある。
「わあ、楽しそう!」
「こういうお店は、事件のない平和な時に訪れたかったわね」
アルマやクリスタが、そんな言葉を口にするくらいだった。
だが、店の商品に対する感想はどうでもよくて、今重要なのは……。
「ほら、あれだ!」
デニスが指し示したのは、店の片隅に出来た人だかり。
その一部が、僕たちの存在に気づいて声を上げた。
「あっ、デニス! 呼んできてくれたのか?」
「その人たちが、噂の冒険者か……!」
頷いて、デニスが叫ぶ。
「みんな、どいてくれ! モンスター退治の専門家が来てくれたぞ!」
ワッという歓声と同時に、道を空ける村人たち。彼らが取り囲んでいたものが、僕たちの視界に入ってくる。
つまり、問題のゴブリンだった。
おとなしいゴブリンだと聞かされていたので、それが一番の特徴かと思っていたが……。
ゴブリンを見慣れている冒険者の視点から見ると、最初に目につくのは、その小柄な体躯。ペタリと床に座り込んでいるせいで余計にそう感じるのかもしれないが、普通のゴブリンよりも一回り小さく、もしかしたら成体ではなく子供なのではないか、と思うほどだった。
『そういえば、ダンジョンに出てくるモンスターって大人ばかりなのか?』
ダイゴローが今さらの疑問を持ち出してきたが、正直、僕にも答えられない。
もちろんモンスターには個体差があるので、時には小柄な個体と遭遇することもあった。特に意識していなかっただけで、目の前にいるゴブリンと同じくらいの個体とも、戦ったことがあるかもしれない。
今までは、それを『小柄な個体』と思うだけで『子供』とは認識していなかったが……。今回に限って『子供』と感じてしまうのは、ここが玩具屋だから、という理由だけではないはず。
体の大きさ以外にも、ダンジョンで出会うゴブリンとは、大きな違いがあったのだ。武器を手にしていない、という点だ。
普通ならばナイフを持つはずの手で、このゴブリンは、木彫りの人形を抱えていた。大きさは二十センチくらいで、人間というより猿のような顔をした人形だ。同じ二本足だから、ゴブリンには、同族を象っているように見えたのかもしれない。軽く撫で回しながら、ジーッと人形を眺めていた。
「噂通り、おとなしい個体だねー!」
アルマが無邪気な言葉を発すると、案内役のデニスが、怪訝な顔をする。
「おとなしいモンスターだとしても、モンスターはモンスターだ。ちゃんと退治してくれるんだよな?」
「いえいえ、私たちは……」
ここまで来る間、急いでいたので、彼の誤解を解く機会はなかった。
だから現場へ到着した今になって、ニーナは説明する。
ゴブリン討伐のためではなく、単なる好奇心でクラナッハ村を訪れた、ということ。
殺すよりも、むしろ捕らえて調べたい、ということ。
「そういうことだ、デニス。この人たちは、俺たちじゃなくパトリツィア寄りなんだ」
昨日のうちに聞かされていたカールが、デニスの肩をポンと叩く。デニスは驚きのあまり、絶句しているようだった。
ニーナの言葉はデニスだけでなく、周りの村人たちの耳にも届いていたので、
「退治じゃなくて捕獲だって?」
「やっぱり、殺すほどのモンスターじゃないんだよ!」
「モンスター退治の専門家が言うなら、それが公式見解なのか?」
彼らはザワザワと騒ぎ始めた。昨日のカールとパトリツィアのやり取りと同じだ。ここにも、カール派とパトリツィア派の両方がいたらしい。
よく見ると、ゴブリンを取り巻く村人たちの中には、彫刻刀や包丁のような刃物を握っている者も含まれていた。僕たちが来なければ、彼らだけで、またゴブリンをどこかへ追いやっていたのかもしれない。
「とりあえず、みんな鎮まれ」
カールが、その場の混乱を抑えようとする。
「退治するにせよ捕獲するにせよ、この人たち冒険者が、今からゴブリンを何とかしてくれるはずだ。この場は、彼らに任せようじゃないか!」
カールに促されて、僕たちは、少しだけゴブリンに歩み寄った。
便宜上「捕らえたい」という言い方になったが、僕たちの本当の目的は、モンスターの背後にいるであろう魔族の情報を得ることだ。ただゴブリン一匹を捕獲して檻に閉じ込める、というだけでは解決しない。
だから、四方八方から一斉にワッと飛びかかる、というわけにもいかず……。
「どうする、ニーナ?」
「やっぱり、アルマかな? いつものように……」
クリスタの問いかけに対して、アルマの方を見ることで答えるニーナ。特に彼女の視線は、アルマの腰に下げられた鞭へと向けられていた。
リーダーの指示みたいなものだが、アルマはニッコリと笑いながら、首を横に振る。
「鞭は必要ないよ、ニーナちゃん。こんなおとなしい子、強引に従わせるのは可哀想だもん」
この場の村人たちが騒いだからというより、僕たちが近寄ったからなのだろう。
ゴブリンは冒険者の鎧姿を目にすると、うずくまったまま、怯えたように後退りし始めた。大切そうに持っていた木彫りの人形も、既に手放している。
「ギギッ……?」
小さな鳴き声と共に、小首を傾げるゴブリン。モンスターらしくない、まるで人間のような仕草だった。
そんなモンスターの近くまで、アルマは駆け寄り……。
少しだけ体を屈めて、目線を合わせてから話しかけた。
「こんにちは、ゴブリンさん。あなたのお名前、教えて?」
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