ニーナの「せーのっ!」という掛け声に合わせて。
馬小屋の床に触れている手を介して、魔法陣にグッと魔力を注ぎ込んだ。
例えば魔法灯のように、潜在的な魔力を必要とする道具は日常の中にありふれており、魔力を流し込むという動作は、一般市民でも日頃から無意識のうちに行っている。それと同じ要領だが、特に意識するのであれば、僕の場合、魔法剣士として魔法を唱える時の感覚に近いのかもしれない。
今回は僕だけでなく、凄腕の魔法士であるクリスタも含めて、五人分の魔力だ。これで転移装置が発動して……。
エグモント団にいた頃のシモーヌの転移魔法とか、転生戦士ダイゴローに変身した際の瞬間移動とかみたいに、僕は一瞬のうちに別の場所へ移るはずだった。
それなのに、
「あれ……?」
いつまで経っても、視界に入ってくる景色は変わらない。使われなくなった馬小屋のままだった。
「もしかして、転移装置じゃなかったのかな……?」
「それは変だよ、バルトルトくん」
僕が口にした言葉は、ただちにアルマに却下される。
「実際にギギちゃん、いなくなってるもん。ここから別の場所へ転移したのは確実だよ!」
言われてみれば、その通りだった。この魔法陣とは限らないが、少なくとも、この建物の中に転移装置があるのは間違いない。
『埃の乱れた様子から判断すれば、ここが頻繁に使われてるみたいだが……。これ以外にもあって、今回はそっちからジャンプした、って可能性はあるもんな』
僕が考え足りなかった部分を、補ってくれるダイゴロー。
仲間たちも同じ考えのようで、
「他のところも一応、調べてみようか?」
ニーナの提案に従って、馬小屋全体を再捜索することになり……。
残りの二つのブースからも、床に刻み込まれた幾何学模様――おそらく魔法陣――が見つかるのだった。
「よし! こっちも試してみよう!」
ニーナの号令で、最初の魔法陣と同様、僕たちは魔力を流し込んでみる。だが新たに見つかった二つも、やはり全く反応しなかった。
「残念ね。転移装置なのは確かだと思うけど、私たちが考えていたものとは違うみたい」
「魔力を注ぐだけでは作動しない装置か……」
クリスタとカーリンの言葉を聞いて、僕も意見を口にする。
「人間が使う魔法器具と同じと思ったのが、間違いだったんですね。でもこれはこれで、人間が作った装置じゃない、つまり魔族が関わっている、という状況証拠が増えたことになりませんか?」
「いいこと言うわね。そういう前向きな考え方、私は好きよ」
クリスタに笑顔を向けられて、少し嬉しくなってしまった。
明るい雰囲気を感じる中、アルマが僕以上に『前向き』な可能性を持ち出す。
「人間には使えないにしても、ギギちゃんには使えたんだよね。じゃあ、ギギちゃんに頼んで、一緒に連れてってもらったら良かったのかな?」
今回の僕たちは、ゴブリンには内緒で、その後をつけたわけだが……。最初からゴブリンに了解をとって同行させてもらう、というのが可能であれば、その方が確実だっただろう。
「ゴブリンと一緒だからといって、本当に一緒に転移されるかどうか、そこはまだわからないけど……」
これがモンスター用に調整された転移魔法陣だと仮定した場合。モンスターさえいれば装置が発動するから一緒に転移される、という可能性だけでなく、そもそもモンスターしか転移されないから僕たち人間は弾き出される、という可能性もある。
そう解説した上で、クリスタは、希望に満ちた視線をアルマに向けた。
「……でも、試してみる価値はあるわね」
「どう? あのゴブリンに頼めそう?」
指示や命令ではなく、疑問混じりのニーナ。それに対して、
「うん、お願いしてみる! ギギちゃんのお家に連れてって、って。きっと大丈夫だよ!」
自信満々の笑顔で、アルマは請け合うのだった。
翌日。
二日連続でゴブリンが現れるとは思えないが、それでも部屋に閉じこもっているよりは良い。そう考えて、僕たちは朝食後、宿屋を出たのだが……。
「おはようございます、冒険者の方々」
「やはり今日も現れたか」
既視感のある光景だった。二日続けて、パトリツィアとカールの二人が、僕たちを待ち構えていたのだ。
『「やはり今日も現れたか」は、こっちのセリフだよなあ?』
と、ダイゴローが言うくらいだった。
でも考えてみれば、昨日の別れ際、パトリツィアは「また明日、よろしくお願いします」と言っていたような気がする。だから、二人がいるのは当然なのかもしれない。
そんなことを思い出していると、カールが厳しい表情を見せた。
「ヨゼフィーネから聞いたぜ。あんたたち、昨日は手ぶらで戻ったそうだな。あのゴブリンはどうした? 捕獲するんじゃなかったのか?」
一瞬「ヨゼフィーネって誰だっけ?」と思ってしまうが、確かカールが宿屋の女将さんをそう呼んでいたはず。
僕がどうでもいいことを考えている間に、リーダーであるニーナが真面目に対応していた。
「捕らえるだけなら、簡単だったんですけどね。昨日は、わざと泳がせることにしました。ただ捕獲するだけじゃなく、ゴブリンが村へ来る背景まで、調べたいですからね」
「ああ、再発防止のため、という話か。前にも、そんなこと言ってたな」
一応は納得した様子を示すカールだが、それだけでは収まらなかった。
「でも、原因追求だったら、それこそ捕まえて聞き出せばいいじゃないか。拷問しろ、とまでは言わないが……」
「まあ、なんて乱暴な!」
「ひどーい! ギギちゃんは悪いモンスターじゃないよー!」
彼の『拷問』という言葉に条件反射で反応して、叫び出すパトリツィアとアルマ。
これにはカールも困った顔を見せる。
「待て待て。『拷問しろ、とまでは言わないが』って言ったろ? そうじゃなくて、平和的に聞き出せないのか、って話だ」
期待に満ちた目で、カールはアルマを凝視した。昨日、アルマとゴブリンが仲良くしている姿を見ているから、「この少女ならば」と思ったのだろう。
「うん! 今度は直接、頼んでみるつもりー!」
「今度は……?」
「昨日は、こっそり調べようとしたのが裏目に出ちゃいましてね」
聞き返すカールに対して、苦笑いするニーナ。ある意味、こちらのミスを認めた形であり、カールの表情が変わる。
「つまり、失敗したわけか」
別に依頼人というわけでもないのに、そこまで言われる筋合いはないだろう。そう思って、僕も口を出した。
「でも、それなりの成果はあったんですよ。少なくとも、どこからゴブリンが村に入ってくるのか、そこは突き止めましたから。秘密の出入り口と言ったら、少し大袈裟かもしれませんが……」
「そうなのか! どこだ、それは?」
思った以上の勢いで、カールは食いついてきた。彼は単なる村人に過ぎないのに、その迫力には、冒険者である僕が少し気圧されるほどだった。
「そこを叩き潰せば、もうゴブリンは、村へ入って来れなくなるんだろう?」
まさか、こんな展開になるとは……。
『迂闊な発言だったな、バルトルト』
僕の中で響くダイゴローの言葉は、呆れ声のようにも聞こえた。
『下手に教えでもしたら、あの馬小屋、村人たちで取り囲んで壊されちまうぜ』
それは困る。
クラナッハ村としては問題解決だろうが、僕たちの目的は違うのだから。せっかく見つけた手がかりを台無しにされたら、魔族のところまで辿り着けなくなってしまう!
「まあまあ、そう早急に考えずに……。その件は、私たちに任せてもらえませんか? 村のみんなで騒ぎ立てたら、必要以上に大事になっちゃいそうですから」
ニーナが、すかさずフォローに入ってくれた。
自分の軽率さを申し訳なく思って、僕は内心、深々と頭を下げて謝罪するのだった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!