「待たせたな、諸君」
立派な口髭の目立つベッセル男爵は、前回同様、青い貴族服というスタイルで部屋に入ってきた。立ち上がろうとした僕たちに「座れ」という仕草をしてみせたのも、前と同じだった。
「早速、本題に入らせてもらおう。元凶を排除したので『回復の森』の汚染問題は解決した、と冒険者組合からは聞いておる」
上座に腰を下ろした途端、彼はニーナに視線を向ける。まるで、エグモント団の存在など無視するかのように。
「だから、あらましは承知しておるのだが……。当事者の口から、詳細な報告を聞かせてもらいたい」
「わかりました。では、泉を訪れていた怪人の話から……」
早朝に出没する、黒衣の怪人。その怪人が泉の中で飼っていた、毒を撒き散らす怪物。止めようとして始まった、怪人や怪物との戦闘……。
ニーナは要点を押さえつつ、淡々と述べていく。「詳細な報告を」と言われたが、あまり具体的に話し過ぎると、英雄譚や武勇伝のように聞こえるからだろう。
「その戦闘の最中、ちょうどエグモント団が現れましたから、彼らも証言してくれることでしょう」
「ほう?」
ニーナに促されて、初めてゲオルクに目を向けるベッセル男爵。
貴族の視線の迫力に負けて、ゲオルクは少し萎縮しているようにも見えたが、それでも返答は怠らなかった。
「は、はい。俺たちが泉に到着したのは、カトック隊の戦闘中で……。黒いローブを着た怪人もハッキリ見ましたし、泉の中央には毛むくじゃらの怪物が浮かんでました」
「それで? エグモント団の諸君も、カトック隊が戦うのに加勢したのかな?」
「いや、それは……。俺たちも『怪人が犯人だろう』って推測してましたけど、モンスターに囲まれて、怪人に近づける状態じゃなくて……。おとなしく転移魔法で撤退しました」
「ふむ、なるほど」
エグモント団から聞くべき話は終わった、と判断したらしく、ベッセル男爵はニーナに視線を戻す。
「では、共闘したわけではなく、エグモント団が逃走しても、カトック隊の諸君は戦い続けた。そして、泉を汚していた犯人どもを始末した……。そういうことだな?」
「はい。ですが、厳密には、私たちだけの力ではありません」
「ほう?」
通りすがりの冒険者の助力があった、とニーナは正直に告げる。
言わなければバレない話ではあるが、隠し事はしたくなかったようだ。
『というより、もしも後で知られた場合、改めて追求されたら困るからだろ?』
確かに、ニーナは『通りすがりの冒険者』の正体を知らないのだから……。いつか彼がベッセル男爵のところに名乗り出るかもしれない、と考えても不思議ではなかった。
『それだけじゃないぞ。変身したバルトルトは、ニーナから見れば、あくまでも第三者の介入だ。第三者の協力に過ぎない以上、今ここで話したって、カトック隊とエグモント団の競争には関係ないはず、という打算もあるんだろうさ』
そんな分析をダイゴローがしている間に、
「残念ながら、その冒険者の素性は不明なので……。いつかダンジョンで出会うことがあれば、今回の謝礼の一部を、彼にも渡そうと考えています」
と、付け加えるニーナ。
エグモント団ではなくカトック隊が報酬をいただく、という前提の上での発言になるが……。ゲオルクたちもベッセル男爵も、そこは当然のように受け流していた。
「私たちカトック隊からの報告は、以上になります」
「うむ……」
ニーナの話が終わったところで、ベッセル男爵は両腕を組んで、目を閉じる。
少しの間、何か考え込んでいるようだったが……。
再び目を開けると同時に、口も開いた。
「その黒衣の怪人というのは、悪事を企む人間だったのか? それとも、モンスターだったのか?」
「人間ではありません。いくつかの点から、モンスターだと思われます」
フードの中に顔がなかったり、ゴムのように伸び縮みする腕を持っていたり、という身体的特徴。
それに加えて、巨人ゴブリン二匹分に相当するモンスター討伐料を得られたこと。
これらを、彼女は根拠として述べ立てた。
一昨日、冒険者組合の医務室でダイゴローと二人で考えたように、実は、このモンスター討伐料云々は間違っているのだが……。
それを僕が指摘するのは、転生戦士ダイゴローの正体を明かすのと同義なので、何も言うわけにはいかない。少しもどかしいくらいだった。
『それくらい我慢しろ、バルトルト』
頭の中では、ダイゴローの諭すような言葉。その間にも、ベッセル男爵とニーナの会話は、先に進んでいた。
「何故モンスターが泉を汚染しようと考えたのだ? 冒険者を回復させる泉が邪魔だったのか?」
「そうだと思います。あの怪人は『回復の森』の泉のことを、『神が設置したイレギュラー』とか『自然の摂理に反するチート設備』とか言っていました」
あの場で聞かされた言葉を、正確に引用するニーナ。
これで、ベッセル男爵も納得したらしい。
「ふむ。事情は、よくわかった。これだけ聞けば、わしも報告書を書けそうだが……」
僕たち冒険者から見れば依頼主だが、ベッセル男爵も、行政府で雇われている役人に過ぎない。
そもそも行政府の定例会議でせっつかれたのが事の起こりなのだから、彼としても、他人に報告できるレベルで全貌を把握する必要があったのだ。
「……しかし。今の話では、本当に『回復の森』が元通りの機能を取り戻したのか否か、その点は確かめていないのだな?」
あっ!
痛いところを突かれた。
そう思って、僕は動揺してしまうが、ニーナは平然としていた。
「はい、確かめてはおりません。ですが、もともと『神の奇跡』と言われるほどの、強い回復能力を発揮していた泉です。水中で毒を吐き出す怪物が消えた以上、本来の回復能力により、泉そのものも浄化されるに違いありません」
理屈としては、僕も理解できる。ただし、それが机上の空論にすぎない可能性もあるから、本当は確かめる必要があるはずで……。
『そうだな。この様子だと、口だけで言いくるめるのは難しいぞ』
もしかしたら、泉が正常に戻ったかどうか不明な以上、依頼遂行とは認められないのではないだろうか。
そんな心配が、僕の頭に浮かんだタイミングで。
「ベッセル男爵、発言よろしいでしょうか?」
エグモント団の一人、ダニエルが挙手をした。
『医務室の前で、バルトルトを待ち構えてたやつだな。あの時、何か思わせぶりなこと言ってたよな?』
ダイゴローの言葉で、僕も思い出す。ダニエルの「事後処理では働かせてもらう」という発言を。
いったい何をしでかすつもりなのか、僕は身構えてしまうが……。
「僕たちエグモント団は、あの泉の水を採取して、解析魔法の専門家に見てもらいました。その結果、泉が改善しつつあることを、データとして確認できました」
むしろダニエルは、僕たちを助けるような話をし始めた。
僕もハッキリ覚えているが、カトック隊が早朝の張り込みを始めた日――つまり怪人と戦う二日前――、エグモント団は泉に現れて、水の一部を持ち帰っている。
その後は知らなかったが、あの戦いの日も彼らは、数時間後に泉を再訪して、水サンプルを回収したのだという。さらに、昨日も今朝も同様に……。
それらを専門家のところに持ち込んだ結果、明確なデータが得られたらしい。
「こちらが、魔法で解析した数値です」
礼儀正しい手つきで、ダニエルがベッセル男爵に渡した一枚の紙。そこには、いくつかの数字やグラフが描かれていた。
ベッセル男爵のために用意された書類であり、僕たちがハッキリと覗き込む暇はなかったが、チラッと見えただけでも、減少傾向にあるグラフと、逆に増加傾向にあるグラフが視界に入った。おそらく、前者が毒性などのネガティブな要素、後者が泉本来の回復能力を数値化したものだろう。
「おお! これは見事な……!」
喜ぶベッセル男爵に、ダニエルが補足する。
「あくまでも、これはカトック隊が果たした仕事を証明するものでしかありません。僕たちエグモント団は、今回の汚染問題を解決する上で、全く貢献できませんでした。競争する形になった今回の仕事でしたが、僕たちエグモント団の敗北です」
結局。
ダニエル自身が認めたように、無事に依頼を遂行したのはカトック隊ということになり、僕たちは約束通りの報酬をいただくことになった。
驚いたことにベッセル男爵は、前回の面談ではケチ臭い顔を見せていたにもかかわらず、エグモント団にも少量の礼金を支払った。
『それだけ、最後にダニエルが見せたデータが有用だったのさ。ほら、ベッセル男爵も行政府の議会で報告しなきゃならんから、あのデータをそのまま使おう、って魂胆だ。無料で使うのは気が引ける、ってことだろ』
というのがダイゴローの考えだが……。
理由はともあれ、払う必要のない金銭を支払うということは、案外ベッセル男爵は、気前の良い貴族だったのかもしれない。
ダニエルの潔い敗北宣言とは対照的に、
「バルトルト、勘違いするなよ! お前の力で勝ったんじゃないからな!」
「そうだぞ! 運良く、強力な冒険者パーティーに拾われただけじゃないか! その仲間の力のおかげだってこと、忘れるなよ!」
ゲオルクとザームエルは、僕に向かって捨て台詞を吐いてから、去っていった。
『あいつら、何も知らないからなあ。カトック隊のおかげというより、逆に、変身したバルトルトがカトック隊を助けたくらいなのに……。敢えて言うなら「変身能力のおかげ」ってことだな!』
というダイゴローの言葉が、今回の事件の総括だったのかもしれない。
ベッセル男爵から報酬を手渡されたことで、この冒険仕事は完全に終了だ。一応、その旨を冒険者組合に報告しよう、ということで、僕たちは『赤天井』へ向かったのだが……。
窓口まで行き着く前に。
建物に入ったところで、すれ違った一人の女性冒険者から、声をかけられる。
「あんたたち! あの汚れてた泉を元に戻したんだって? お手柄じゃないか!」
特徴的な紫髪と、それより少し淡いが同じく紫色の武闘服。僕たちに黒衣の怪人の情報を提供してくれた、あの女性武闘家だった。
「あら、こんにちは。あなたは、確か……」
以前に相手をしたクリスタが、代表して挨拶する。続いて何か言おうとしたが、女性武闘家の方が、軽く手を振って遮った。
「ああ、いいんだよ。この間は、互いに名乗らなかったからね。そうそう、だからあたしも知らなかったんだが……」
女性武闘家の顔に、人懐っこい笑みが浮かぶ。
「……あんたたち、カトック隊ってパーティー名だそうだね。もしかして、カトックさんの知り合いかい? カトックさんというのは、ちょうど、あんたたちくらいの……」
最後まで言い切ることは出来なかった。
飛びかかるような勢いで、ニーナがグイッと迫ったのだ。女性武闘家の両肩をガッシリと掴んで、質問をぶつける。
「カトックを知ってるの? ねえ、教えて! どこ? 彼は今、どこにいるの!」
いつもの決然としたリーダーぶりが嘘のように、口調も態度も、むしろ半狂乱に近いものだった。
こんなニーナを見るのは初めてであり、驚いてしまうが……。
同時に。
僕の心の中では、妙に納得できる部分もあった。
ああ、ニーナが探していたのは、そのカトックという人なのだ、と。
彼女たちが『回復の森』にこだわっていたことにも、そのカトックが関わるのだろう、と。
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