首から下は、赤い装飾のある白色鎧を着た『カトック』の姿。だが、そこに乗っているのは人間の顔ではなかった。いや、首から上そのものがなかった、と言い表すべきだろうか。
とはいえ、全く何もないわけではない。顔のような物質的な存在ではなく、雲のように曖昧なもの。楕円形の黒いモヤモヤが、人間の頭部の代わりに、胴体に乗っているのだった。
僕はふと、ニーナの話――本物のカトックが消失した際のエピソード――に出てきた『黒い空間』という言葉を思い出す。あの時ニーナは「空間の歪みだから『黒い塊』ではなく『黒い空間』」と言っており、僕は頭では理解しながらも、絵として思い浮かべることは出来なかったのだが……。
なるほど、こんな感じだったのだろう。
『おい、バルトルト。お前、この魔族の顔を「黒い」と言ってるが……』
わかっている。
この偽カトック――自称『機械屋』――の顔は、完全な暗黒とは違う。
夜空で弱々しく輝く星々のように、真っ暗な中にポツポツと、小さな光点が浮かんだ状態。それが、僕の目に映る見え方だった。
でも、あくまでも『僕の目に映る見え方』に過ぎない。おそらくダイゴローには強力な光点に見えて、逆にカトック隊の仲間たちには、真っ暗闇のように見えているのではないだろうか。
つまり。
かつて『回復の森』で倒した黒ローブの怪人――『毒使い』――と、同様の顔だったのだ。
『バルトルトの想像通りだ。女の子たちはわからんが、少なくとも俺の方はそうだぜ。キラキラ光る星みたいに見える』
ダイゴローが、僕の意見を肯定してくれた。
ちょうどこのタイミングで、クリスタが小さく呟く。
「まるで首なし騎士ね……」
首から上だけでなく、偽カトックが仮面を手にしている点にも、クリスタは注目したらしい。その仮面は、見た目だけならば、本物のカトックの顔そのものなのだ。自分の首を抱えているという首なし騎士を連想するのも、理解できる話だった。
同時に、彼女の発言は、僕の想像に合致するものでもあった。頭部が完全に暗黒のモヤモヤだからこそ、クリスタは「首から上がない」と感じたはず。
『そうだな。気配も見た目も同じなんだ。この偽カトックは、本人が言うように、この間の黒い怪人と同族で間違いない。つまり、魔族ってことだ』
ならば、伝説の存在であるはずの魔族と、僕たちは二度も遭遇したことになる。しかも今度の魔族は、完全に人間のふりをして、人間の街に潜り込んでいたのだ。
『魔族にとっちゃ、気配を隠す仮面が必須だった、ってわけだな』
僕の考えを引き継いで、ダイゴローが要点をまとめた。
それにしても……。
偽カトックのような魔族がいるのだから、他にも人間社会に溶け込んでいる魔族がいるのだろうか? 街中の店や冒険者組合などで普通に顔を合わせている人間が、実は魔族だったりするのだろうか?
僕は怖い想像をしてしまう。
いや、僕だけではない。他の者たちも、黒衣の怪人を思い出したり、悪い可能性を考えたりしているのだろう。
偽カトックの異様さに圧倒されて、全員が言葉を失っていた。クリスタも、あの呟きの後は無言のままだった。
そんな中、例外が一人。
僕たちカトック隊のリーダー、ニーナだ。
「答えてないじゃない……」
それまで座り込んでいた彼女が、ゆらゆらと立ち上がったのだ。
「私たちの質問に答えるとか言って、一番大切な問題を無視してるわ! 彼はどこ? 本物のカトックは、今どこにいるの?」
つい先ほど崩れ落ちた時とは違って、彼女の表情に、もはや絶望の色はなかった。「魔族はカトックの死体を使って化けているのではない」と判明したことで、「カトックは生きている」と思えるようになったらしい。
「申し訳ない。そうですね、それが後回しになっていました」
魔族の声が、少し曇る。それまでは、自慢話を披露する子供のような態度だったのに。
「安心してください、ニーナさん。彼は生きていますよ」
「じゃあ教えて! どこ? 今どこにいるの?」
たたみかける勢いで、質問を繰り返すニーナ。
偽カトックの口から「生きている」という言葉が――想像を裏付ける証言が――出てきたのは、一つの進展だろう。だが「どこにいるのか?」という質問の回答には、まだ程遠い。傍から見ても、はぐらかされているように思えた。
「まあまあ、そう慌てずに」
ニーナを落ち着かせようという、優しい手振り。だが、モヤモヤ顔の魔族が人間じみた仕草を見せるのは、むしろ僕には気持ち悪く感じられた。
「私としても、答えを渋るつもりはないのです。でも……」
魔族には顔など存在しないのに、困った表情が見える気がする。
「……残念ながら、教えられないのです。彼の現在の居場所は、私も知りませんから」
と言った後で、魔族は再び声を明るくした。
「ですが、他の質問なら、いくらでもどうぞ! 答えられる範囲内で、何でもお答えしますよ!」
「そっか。カトックは、確かに生きてるのね。でも、どこにいるかは不明……」
かみしめるように、ニーナは魔族の回答を改めて口にする。
続いて、
「ならば今は、それで十分だわ。これ以上の質問や答えは、もう要らない。いいえ、聞きたくもないわ!」
声を荒げながら、魔族『機械屋』に対して、ビシッと指を突きつけた。
「許せない! カトックを騙り、その名を汚した魔族! 彼に代わって、ここで私たちが成敗するわ!」
そう言い切る彼女は、今回の事件で何度も見てきた、弱々しいニーナではなかった。男の反応に一喜一憂する乙女のような、みっともない姿ではなかった。
カトック隊というパーティーを率いる冒険者の、決然たる態度だった。
「魔族なんて伝説の存在は、伝説の中に戻してあげる!」
ニーナの言葉は、魔族に対する宣戦布告であると同時に、僕たちカトック隊メンバーを鼓舞するものでもあった。僕はそう感じたのだが……。
「ハッハッハッ、これは面白い冗談だ。私を成敗する、ですって? それこそ、大言壮語ではないですか!」
ひときわ大きな声で、偽カトックが笑い飛ばす。
「魔族なのですよ、私は。人間ごときが倒せるわけないでしょう?」
伝説の存在だけあって、魔族には魔族なりの矜持があるらしい。
しかし、これに真っ向から反論する者がいた。
「俺たちは、お前の言う『毒使い』を倒している。あれも魔族なのだろう?」
ずっと黙っていたカーリンだ。
いつの間にか、彼女はニーナよりも前に出ていた。
素早い動きで距離を詰めて、一気に勝負を決めようと、魔族に向かって槍を突き出したのだ!
グサリと魔族を貫く、カーリンの槍。
そうした光景を、僕は思い描いたのだが……。
現実にはならなかった。
「おやおや。せっかちですねえ、カーリンさんは。まだ私は、ゴブリンたちにも自警団の面々にも『待て』と命じたままなのに」
余裕の発言を口にする偽カトックは、全くの無傷。カーリンの槍は、一ミリも刺さらなかったようだ。
一方カーリンは、攻撃が無駄に終わったと悟った途端、大きく後ろに跳んで、距離を取った。槍を魔族に向けたまま、ジリジリと僕たちの近くまで下がってくる。
そんな彼女の動きは無視して、偽カトックは言葉を続けていた。
「『毒使い』と一緒にしないでください。私には、魔王様の加護があるのですから」
改めて銀色のペンダントに手をやりながら、魔族は思案げな声を出す。
「『毒使い』には困ったものだ。あいつのせいで、人間でも魔族を滅ぼせるなどと思われるのだから……」
ここまでは独り言だったのだろう。元の口調に戻してから、再び僕たちに語りかけてきた。
「よろしい。あなた方が、そこまで言うのであれば……。ここにいる連中だけでなく、私の最高傑作をお見せしましょう!」
宣言と共に、高々と両手を掲げる魔族。
呼応するかのように、キーンという不快な音が、僕たちの耳に聞こえてきた。複数の方向からであり、しかも、だんだん大きくなっていく。
「嫌っ! 何これー?」
「みんな! 周囲を警戒!」
アルマの悲鳴や、ニーナの指示が飛び交う中。
驚くほどのスピードで、僕たちの前に飛来した物体は……。
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