「どうやら邪魔者は去ったようだな。しかし、邪魔者といえば……」
黒い怪人の言葉が、僕の耳に飛び込んでくる。
雑魚ゴブリンと斬り結んでいた最中なので、怪人の方を見る余裕はないが――どうせ見たところで顔がないから表情はわからないはずだが――、ニヤリと笑っているような口調だった。
「……ワシの笛には、その音も邪魔になるのう。ゴブリンどもを、思ったように操れなくなっておる」
その発言に、僕はハッとする。
対峙していた一匹をバッサリと袈裟斬りで始末してから、慌てて怪人に視線を向ける。
黒ローブの怪人は、右手で笛を口にあてがったまま、左手でアルマを指し示していた。
正確には、アルマ本人というより、彼女が地面に叩きつけている鞭なのだろうか。モンスターたちには効いていないように見えたが、相手のコントロールを妨害する程度の影響はあったらしい。
『おい! あの娘が狙われてるぞ!』
ダイゴローに言われるまでもなかった。
僕はキョロキョロと辺りを見回し、怪人がアルマに差し向けるゴブリンはどれなのか、見当をつける。
ちょうどニーナが、新たに一匹を倒したばかりで、また次のゴブリンに斬りかかろうとしていた。アルマから最も近い一匹を狙っているので、おそらく僕と同じ考えなのだろう。
そちらはニーナに任せて、二番目に近いゴブリンへ向かって行く。
しかし怪人は、笛を吹こうとはしなかった。モンスターを操る代わりに……。
アルマに向けていた左腕が、まるでゴム紐か何かのように、ブーンと物理的に伸びていく!
『チッ! やっぱり、こいつは人間じゃねえ! モンスターだ!』
思いっきり伸ばした左腕を、怪人は横薙ぎに振るう。
「避けろ、アルマ!」
カーリンが叫ぶが、間に合わなかった。
脇腹を強く叩かれて、アルマが悲鳴を上げる。
「きゃあっ!」
彼女が小柄だからか、あるいは、怪人の力が強かった故か。アルマは体全体でポーンと弾き飛ばされ、大きく宙を舞った。
「アルマ!」
仲間の悲痛な叫びが、いくつも重なる中。
アルマの体は、泉の中央くらいまで投げ飛ばされていた。
そこに浮かぶ紫色の怪物――ヴェノマス・キング――が、主人である黒衣の怪人を見習うかのように、その体毛の一部を伸ばす。岩の塊に付着した長い藻みたいだ、とダイゴローは言っていたが、こうした使い方を見ると、むしろ触手なのだろう。
その怪物の触手によって、アルマは叩き落とされ、ボチャンと大きな音と共に水没した。
「……!」
『まずいぞ、バルトルト! ありゃあ、毒の泉だ! ただ溺れるだけでなく、少しでも口に入れただけで……』
誰よりも早く僕が行動に移れたのは、ダイゴローの言葉のおかげだったのかもしれない。
「僕が助けます! 泳ぎは得意ですから!」
叫びながら駆け出した僕は、毒々しい泉に向かって、両手を揃えて飛び込むのだった。
『おい、バルトルト。お前……』
本当は。
僕は別に、水泳に自信があるわけではなかった。人並みに泳げる、という程度に過ぎなかった。
しかし。
巨人ゴブリンの足止めを試みているクリスタやカーリンはもちろんのこと、最下級のゴブリン相手とはいえ、一人で次々とモンスターを屠っているニーナも、この戦場には欠かせない冒険者たちだ。ならば持ち場を離れることが出来るのは、戦力的に一番弱小の、僕しかいないではないか!
『おいおい。いつもは弱気なくせに、無茶しやがって……。そういうのは自己犠牲っぽくて、俺は嫌いだぜ』
自己犠牲というほどではないが。
そもそも僕は、昔々、自分が直接モンスターから被害を受けたわけでもないのに、モンスターを駆逐して世界平和に貢献したいと考えていたのだ。モンスター相手に命懸けで戦う、冒険者になりたいと思っていたのだ。
ならば子供の頃から、そういう傾向――犠牲的精神――も、少しはあったのかもしれない。
そんなことを考えながら、泉の中を泳ぐ。
紫色に濁った毒の水は、とても『水』とは言えないような、ベタベタした感触だった。もしも泥の中を泳いだら、こんな感じなのではないだろうか。
泳ぎにくいだけでなく、視界も悪かった。目を開けているのが辛くて、頭も朦朧としてくる。
『毒にやられたな? しっかりしろ、バルトルト!』
ダイゴローが呼びかけてくれるが……。ぼやけた頭に浮かんでくるのは、むしろ今ではなく、少し前の彼の言葉。黒衣の怪人に対する『こいつは人間じゃねえ! モンスターだ!』という発言だった。
顔がないという時点で人間と違うのは当然なのだが、あの時まで僕は、怪人をモンスターとは認識していなかった気がする。今さら理由を考えてみると、おそらく、怪人が人間の言葉を発していたからだ。
いくらモンスターも生き物とはいえ、さすがに話すはずがない。犬や猫だって話せないというのに……。アルマのように動物と意思疎通できるのは例外であり、誰にでも理解できるレベルで『話す』となれば、それは動物でもなければモンスターでもないはず。
ならば、あの怪人は、いったい何者なのか……?
『雑念でもいい! 何でもいいから、とにかく考え続けろ! 意識を保つために!』
と、ダイゴローのアドバイスが脳内に鳴り響く。
さらに。
『見えにくくても、少しでも目を開けておけ! 俺が補正して、ガイドしてやる!』
言われた通り、閉じかけた目で頑張って、アルマの姿を探すが……。
毒水の紫色に阻まれて、僕には全く見えてこなかった。
『そのまま真っすぐ……。いや、少し右! ああ、行き過ぎた! 今度は左で……。そう、その方向に進めばキャッチできるぞ!』
頭の中のナビゲーションに従って、僕は泳ぎ続ける。
苦しさもあって体感時間としては長かったが、実際には、それほどでもなかったのだろう。
やがて僕は、アルマの姿を視界に捉えた。ブクブクと泡を吐き出しながら、泉の底へと沈んでいくところだった。
かろうじて間に合ったらしい。僕は腕を伸ばして、彼女を抱きかかえて……。
『あとは、ここから脱出するだけだぜ!』
ダイゴローは簡単に言うが、ここから浮上するのは一苦労で……。
いや、違う!
僕は気づいた。
脚力を高めて、湖底を強く蹴ればいいのだ!
『思い出したか、自分のジャンプ力を!』
そうだ。
こういう時のための――人助けのための――力ではないか!
意識のないアルマを左手で抱きかかえたまま、右手を自分の懐に入れて……。
取り出した銀色のアイマスクを、顔にあてがう!
「変身! 転生戦士ダイゴロー!」
三色の全身スーツに包まれて、一回り大きくなった体には、力がみなぎってくる!
変身状態の跳躍力を活かして、泉の底を両足で勢いよくキック。水の抵抗に負けることなく、僕の体は、グングン水面に近づいていく。
そして。
ザバーッと泉から飛び出した僕は、そのまま、近くの岸辺に倒れ込んだ。
「はあ、はあ……」
変身さえすれば楽勝かと思いきや、かなり息が上がっている。変身直前に、毒の中を泳ぐという無理をしたせいだろう。
『俺もウッカリしてたぜ。毒の泉に入ってすぐ変身しておけば、ここまでの負担はなかったはずだが……』
後悔するのは、この状況から脱した後にしよう。
とりあえず、周囲を見回せば。
反対岸というほどではないが、仲間たちからは、かなり遠いところに飛び出してしまっていた。泉の水際まで低木が生えていて、ちょっとした茂みになっている辺りだ。
『いいじゃねえか。ここなら戦場から遠いから、アルマを休ませておけるだろ?』
本当は、すぐに仲間たちのところまで連れて行き、クリスタに――回復系の魔法を使える彼女に――預けるべきなのだろう。しかし、今の状況では難しい。そのためには、あのモンスターたちを一掃しなければならないからだ。
今ここで、僕一人で出来る処置は……。
『人工呼吸とか、胸骨圧迫とか……?』
と、ダイゴローは言うが。
「けほっ、けほっ!」
意識はないまま、アルマは本能的に、毒水を吐き出していた。とりあえず、どちらも必要なさそうだ。
ならば!
改めて、僕は仲間たちの方へ視線を向けた。
三人とも、必死に戦っている。
泉に浮かぶ怪物と、司令塔である怪人は、やはり後回し。そちらを攻撃する余裕はなく、まずは差し迫ったモンスターから相手する、という方針を続けていた。
ニーナとカーリンが最下級のゴブリン相手に剣や槍を振るって、クリスタが一人で二匹の巨人ゴブリンの足止めをしている。僕とアルマが抜けた分、こういう配置になったのだろう。
ちょうど、クリスタの呪文詠唱が聞こえてきた。
「ブリッツ・シュトライク・シュターク! キース・シュタイン・シュターク!」
強雷魔法と強礫魔法だ。炎系統だけでなく、使える限りの攻撃魔法を用いているようだ。
『悠長に見てる場合じゃねえぞ!』
「わかってる! もう十分、戦況は把握した!」
戦いから離れたこの場所に、アルマを静かに寝かせたまま。
泉の岸辺に沿って、僕は仲間たちの方へと駆け出した。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!