「そういえば、ニーナはカトックさんに世話になった、って言ってたね。あんたも彼に、似たようなシチュエーションで助けられたのかい?」
マヌエラに水を向けられて、
「うん、そうなんだ。私の冒険者デビューの時に……」
ニーナは嬉々として語り出す。部屋に呼ばれた僕が、アルマと一緒に聞かされたのと、全く同じ内容だった。
チラッとアルマの方を見ると、僕の視線を感じたのだろう。窓の外を眺めるのを一時中断して、こちらに顔を向けて、微笑みかけてくる。まるで「私たちは知ってる話だよねー」と言っているようにも思えた。
『なあ、バルトルト。さっきから、少し気になってるんだが……』
僕の頭の中で、ダイゴローが口を開く。聞き流せる話題になるまで、わざわざ待ってくれていたらしい。ならば『気になる』といっても、本当に『少し』程度なのだろう。
『……そんな分析は、どうでもいいだろ。それより、このマヌエラって姉ちゃんの話だ。アーベントロートの従姉妹と手紙のやり取りをした、って言ったよな? それも、この三日の間に』
確かに、今ここでカトックの話題になったのは、それが発端だったが……。そこに何か引っかかる点があるのだろうか?
『アーベラインからアーベントロートって、こうして速い馬車を使っても、かなりの日数だろ? わずか三日の間に書簡の往復なんて、どうやるんだ?』
ああ、なるほど。『手紙』という言葉で、ダイゴローは少し誤解したようだ。この世界の人間ではないから、仕方ないのだけれど。
『……ん? 手紙は手紙じゃねえのか? 紙に書いて送るんだろ?』
ダイゴローの言う通り、本来、手紙とはそういうものだった。今でも同じ街や村の中であれば、そうやって紙に書いたものを、郵便として運んでもらうのが普通だろう。
しかし。
遠くの街へ送る手紙は、現在では、少し事情が異なる。同じく郵便局を利用するのだが、物質的な紙媒体で送るのではなく、そこに書かれた文面だけを魔法郵便で届けるのが一般的になっていた。相手は最寄りの郵便局まで出向いて、そこで魔法郵便を受け取るシステムだ。
普通の郵便も魔法郵便も、どちらも『手紙』と称するが、それほど紛らわしくはなかった。魔法が日常生活に根付いた僕たちの世界では、もう当たり前すぎる話なのだから。でも、魔法の存在しない世界から来たダイゴローにとっては……。
『あー。優越感に浸ってるところ悪いが、俺の世界にも似たようなシステムはあるぞ。魔法の代わりに、電気を使うんだぜ! ……いや電気というよリ電波かな? とにかく、電子メールって言ってな。本来「メール」は郵便って意味なんだが、今じゃメールといえば電子メールを示すくらいで……』
なるほど。ならば、僕たちの『手紙』の意味合いが変わったのと、同じ状況かもしれない。
『……しかも、俺の世界の「メール」は凄いぞ。郵便局どころか、個人に直接、届くのさ! どこにでも持ち歩けるような、小さな端末機械があって……』
と、誇らしげに続けるダイゴロー。
どうやら、優越感があるのは、僕ではなく彼の方だったらしい。
「……だから私にとって、あの時のカトックは、本当に救世主だったのよ」
「そうかい、そうかい。カトックさんの人柄、今も昔も変わってないみたいだねえ」
「そうなの? じゃあ、やっぱり私たちのカトックだ! 記憶を失くしても、カトックはカトックなんだわ!」
マヌエラの言葉に、目を輝かせるニーナ。
どうやらニーナの思い出話は一区切りついて、またマヌエラが何か情報提供してくれそうな雰囲気だ。
僕はダイゴローとの脳内会話を切り上げて、そちらに耳を傾けることにした。
「カトックさんは教会で世話になってる、って聞いたから、あたしは最初、教会の下働きみたいな話かと思ったが……。どうやらカトックさんは、街全体の用心棒みたいな感じで、自警団のリーダーを務めているらしい」
「あら、それじゃ今は、アーベントロートの自警団が『カトック隊』なのね」
クリスタの言葉に対して、マヌエラはニヤリと笑う。
「そうだな。そっちが『新カトック隊』で、あんたたちは『元祖カトック隊』だ」
という軽い冗談で返してから、話を続ける。
「さっきも言った通り、しょせん街の自警団なんて、ちょっと自信があるだけの素人の集まりだ。まあアーベントロートの場合は、近くの森でモンスター相手に実戦経験があるから、デビューしたばかりの冒険者よりマシかもしれないが……」
そんな人々と一緒になって戦うと、カトックの力量は凄まじく目立ったらしい。本人の戦闘能力だけでなく、他の者への指示やフォローも優れていた。だから、リーダーに祭り上げられたのだという。
「記憶のない男なんて、得体の知れない存在だ。それでも自警団を率いてくれと頼まれるのだから、よっぽどだったんだろうね」
カトックが褒められるのを聞いて、隣に座るニーナは、満面の笑みをたたえていた。まるで自分のことのように。
おそらく、また「カトックは凄いんだよ!」みたいな言葉を挟みたいのだろうが、マヌエラの話の腰を折らないよう、我慢しているようにも見えた。
「カトックさん自身は、自分が冒険者だったことすら覚えていない。でも、自警団における振る舞いとか、そもそも最初に森に現れた時点で、それっぽかったからね。さぞや名のある冒険者に違いない、って街の人々は思ってるそうだ」
「さすがに、それは……。買い被りよねえ」
そう言ってクリスタが、こちらを向く。
僕はカトックとは面識ないのに……。と思ったが、実際には僕ではなく、僕を越えた席のカーリンに対する言葉だった。
「うむ。カトックが記憶を取り戻したら、笑うだろうな」
見れば、カーリンの口元にも笑みが浮かんでいた。彼女にしては珍しい表情だ。
「だとしても、アーベントロートの人々にとっては、今言ったような感じでね。自分たちは冒険者じゃないから知らなかっただけで、冒険者の間では有名人なのではないか……。従姉妹が手紙の中で最初にカトックさんの名前を出したのも、冒険者のあたしなら知ってるんじゃないか、って期待があったらしい」
「あらあら、それこそ過大評価だわ。そもそも、誰でも知ってる冒険者なんて、現役の中にいるのかしら? 過去の偉人なら、名前を挙げられるけど……」
「それも、自分と似た系統だけだろう。例えば俺なら、魔法剣士だから……」
クリスタの発言に反応して、昔々の――今や伝説となっている――魔法剣士の名前を、何人か口にするカーリン。
彼女が目標としている魔法剣士なのだろうか。こういう話題に喜んで加わるのは、いかにもカーリンらしいと思う。
「そうだよなあ。でも、もうアーベントロートの人々から見れば、カトックさんは、そのレベルかもしれないぜ? 従姉妹の手紙によると、街を襲ってきたモンスターを返り討ちにした、って話もあって……」
何でもないような口調だが、マヌエラの発言には、驚きの事実が含まれていた。
そう感じたのは僕だけではない。クリスタも同様の態度を見せる。
「アーベントロートが街になったのって、昨日や今日じゃないわよね? それなのに、モンスターに襲われたの?」
「そうらしい。まあ襲われたと言っても、数匹のゴブリンが街に入ろうとした、って程度らしいが……。あたしの従姉妹は冒険者じゃないからね。普通の市民にとっては、それでも大事件なんだろうさ」
マヌエラは軽く言うが、十分に大事だと思う。
モンスターが平気でやってくるような場所ならば、人間が住まいを構えるには適しておらず、街や村として発展するほど住民は集まってこないはず。だからアーベントロートの街の歴史の中でも、ほとんど見られないような大事件だったのだろう。
「いきなりだったから、自警団の対応も遅れてね。カトックさんの奮戦がなければ、アーベントロートは大変な事態に陥っていたかもしれない、って従姉妹は書いてたよ」
「あらあら。それじゃカトックは、まるでアーベントロートの英雄ね」
「『まるで』というより、本当に英雄なんだろうな。英雄だからこそ、嫉妬の対象にもなったらしくて……」
苦笑いしながら、マヌエラが披露したエピソード。
それは、自警団の中でカトックを非難する者も現れた、という話だった。
近くの森にはモンスターが居着いていたとはいえ、アーベントロートの街そのものは、今まで平和だったのだ。それなのに素性不明のカトックが来た途端、モンスターに急襲された。何か関連があるのではないか。カトックがいるからこそ、モンスターに襲われたのではないか……。
そんな理屈を振り回す若者が二、三人、出てきたそうだ。
「穿った見方というより、言いがかりのレベルだよなあ? 妬みや嫉みから出た言葉だったらしく、数日もしないうちに、すっかりおとなしくなった、って話だ」
「あら、そこまで言っておきながら?」
「むしろ恥ずかしくなったのかもしれないねえ。反カトック派の連中、今じゃ逆にカトックさんを慕ってて、従姉妹に言わせると『まるで信者みたい』だとさ」
「へえ。面白い話ね」
と、クリスタは合いの手を挟んだが。
彼女がどの点を『面白い話』と感じたのか、僕にはよくわからなかった。
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