「いや、私たちは……」
「やめなさい、カール! 冒険者の方々が困っているじゃありませんか!」
再びニーナが男の言葉を否定しようとしたところで、今度も邪魔が入った。
既視感のある展開だ。叫びながら宿屋に駆け込んできた者がいる、という点までは同じだが、今度の乱入者は女性だった。
若干カールより若く、二十代後半か三十前後だろう。外見的な特徴の一番は、眼鏡をかけていること。女性の眼鏡は、見ようによってはチャームポイントにもなるが、彼女のそれは少し違う。キツネ目のように、レンズの目尻側が吊り上がった形状であり、賢そうというより「教育熱心を他人に押し付けそう」というイメージだった。
『わかるぜ、バルトルト。俺も「教育ママ」って言葉が頭に浮かんだからな』
僕とダイゴローがそんな第一印象を抱く間に、振り向いたカールが彼女を目にして、表情を変えていた。
「またあんたか……」
「『あんた』とは失礼ですね。これだから粗野な男の人は……」
「じゃあ言い直さそう。パトリツィア、また持論を振り回すつもりか? あのゴブリンは無害だから退治の必要はない、って」
無害なゴブリン。
こちらの方がカールの主張よりも、今まで聞いてきた話に合致しているが、
「当然でしょう? あなたのところと違って、うちの子は、問題のモンスターとも仲良くしていますからね」
村の子供がモンスターと親しくする、というのは、僕の想像を超えていた。
驚いたのは、僕だけではない。アルマに至っては、目を輝かせながら声を上げていた。
「モンスターと仲良く?」
アルマはテイマーなだけに、聞き逃せない発言だったのだろう。
カールと口論していたパトリツィアは、横から会話に割り込まれた形にも嫌な顔ひとつせず、アルマに微笑みを向けた。
「そうですよ、冒険者のお嬢さん。うちのパウラちゃんは、誰とでもすぐ打ち解ける、本当に優しい娘でねえ。だからモンスター相手でも……」
こうした会話の傍らで、ニーナは宿屋の女将さんに笑顔を向ける。少し苦笑の混じった、皮肉な笑みにも見える表情だった。
「次々と人が入ってきて、賑やかな宿屋じゃないですか。繁盛してるんですね」
「でも客じゃないからねえ。繁盛とは言えないよ」
肩をすくめてから、女将さんは、大きくパンと手を叩く。
その場の面々が思わず黙り込む中、彼女は宣言した。
「カールもパトリツィアも、商売の邪魔は止しとくれ。こちらの冒険者の方々は、うちのお客さんだ。今から私が、二階の客室へ案内するんだよ。話があるなら、その後にするんだね!」
「それじゃ、ごゆっくり!」
僕たち五人を残して、女将さんが部屋から立ち去る。
この宿屋には五人部屋は用意されていないらしく、案内された先は六人部屋だった。入ってすぐに室内を見回したが、ブロホヴィッツの宿屋とは異なり、冒険者の男女同室を想定した衝立は置いていないようだ。
『いいじゃねえか。空きベッドが仕切りみたいなもんだろ?』
視覚的には衝立ほどの仕切りにならないが、ベッドひとつ分、離れるだけでも精神的な効果はあるだろう。
そう思いながら、一番奥のベッドを確保していると……。
ニーナの声が聞こえてきた。
「じゃあ早速、夕食へ行こうか!」
「わあ、珍しい! ニーナちゃんも、お腹ペコペコ?」
「そうじゃなくてね」
笑顔で首を横に振りながら、アルマに意図を説明する。
「さっきの二人、今ならまだ下にいるでしょ? この村のゴブリンの話、聞かせてもらわなきゃ!」
「カールとパトリツィアと言ったかしら? モンスターに対する見方も正反対のようだし、二人から同時に聞けたら、ちょうど良いでしょうね」
と、クリスタも補足。
こうして僕たちは、部屋で一休みする間もなく、階下へ戻るのだった。
「だいたい、あなたは過保護なのですよ。男の子なのだから、そんなに神経質にならずとも……」
「よそはよそ、うちはうちだ。俺の教育方針に口出しするのは、やめてくれないか?」
「そうは言ってもねえ。男手ひとつで育てられてる息子さんが、なんだか不憫で……」
「それはパトリツィアのところも同じだろ? シングルマザーなんだから」
カールとパトリツィアの二人は、まだ同じ場所で言い争いを続けていた。ただし議題はモンスターではなく、それぞれの家の教育問題のようだ。
僕たちには関心のない話であり、同じ村の住人である女将さんにとっても同様らしい。彼女は受付カウンターに肘をついて、退屈そうに、二人へ視線を向けていた。
僕たちが降りてきたのに気づくと、少し驚いた顔をする。
「おや、お客さんたち! 『ごゆっくり』って言ったのに、もう来たのかい!」
「ええ、早く食事にしたくて」
ニーナに続いて、
「お腹ペコペコー!」
「もう食べられます?」
アルマとクリスタも女将さんに声をかけた。
「もちろんさ! 厨房は私じゃなく旦那の担当でね、美味しい料理がいつでも出来てるよ! あっちが食堂だ」
女将さんは、受付カウンターの右側を指し示す。少し前に小型馬車の御者が消えていった通路があり、意識すると確かに、食欲をそそる匂いがそちらから漂ってきた。
「それで、カールさんとパトリツィアさんでしたっけ? 二人にお願いがあるのですが……」
ニーナは女将さんの言葉に頷いてから、カールとパトリツィアの二人に話しかける。僕たちが来たことで、二人とも既に口論を中断していた。
「……この村のモンスターの話、聞かせてもらえます? 食事でもしながら、ゆっくりと」
「ああ、喜んで! あの恐るべきゴブリン、やっつけてくれるんだな?」
「あらあら、カールったら大袈裟な物言いを……。冒険者の方々、どうか騙されないでくださいね。この村のゴブリンは、子供たちの友だちです。本当に平和な個体で……」
「お前こそ嘘を吹き込むなよ、パトリツィア」
「まあ、また! 『お前』だなんて!」
こういう相性なのだろうか。二人の口喧嘩が再開の兆しを見せるので、ニーナが軽く両手を前に出しながら――「おさえて、おさえて」といった感じで――、仲裁に入った。
「まあまあ。ここで立ち話を続けたら、この宿屋にも迷惑でしょうし……。続きは食堂で、ってことにしません?」
「おお、カールじゃないか! 酒でも飲みに来たのか?」
「あれ? パトリツィアも一緒なのか! どういう風の吹き回しだ?」
二人と一緒に食堂ホールへ行くと、早速カールに話しかけてきた者たちがいる。宿屋に泊まる客ではなく、村人が食事をしに来ているのだろう。
そもそも小さな村なのだから、僕たち以外に今晩の宿泊客がいるのか、それすら疑わしいものだ。
一方、僕たちカトック隊に反応する者もいた。ブロホヴィッツからクラナッハ村まで送り届けてくれた御者だ。
長テーブルの端に座って、ポツンと一人で食事中らしい。僕たちに気づくと、軽く手を振ってきた。
「あっ、御者のおじさん! 美味しそうなステーキ食べてるー!」
アルマが笑顔で手を振り返し、その様子を見て、クリスタが提案する。
「せっかくだから私たちも、同じテーブルに座らせてもらおうかしら? 人数的にも、ちょうどいいだろうし」
馬車の中で色々と話しかけてもらって、特にアルマは親しみを感じているはず。一緒に食べるとなれば、アルマは喜ぶだろう。
クリスタは、そう考えたに違いない。
『それだけじゃないぞ。いくら話好きの御者とはいえ、カールやパトリツィアが大事な話を始めたら、口は出さないだろう? でも……』
と、僕の中で解説を始めるダイゴロー。
『……ここの村人が話すのを聞くだけで、乗客に語る噂話のネタがまた増える。つまり、あの御者にとってもオイシイ状況だ。クリスタのことだから、そこまで考えてるだろうさ』
僕たちの目の前には、宿泊客用のディナーセット。アルマが「御者のおじさんが美味しそうに食べている」と目ざとく見つけた仔牛のステーキも、メニューに含まれていた。
カールはビールとポテトフライ程度のおつまみで、パトリツィアは葡萄酒一杯のみ。二人とも、食事そのものは家でするつもりらしい。
「わあ、美味しそう! いただきまーす!」
いつものようにアルマの言葉が合図になって、僕たちは食べ始めた。
すると早速、カールが語り始める。
「それじゃ、食べながら聞いてくれ。村にやってきたゴブリンは……」
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