翌日。
朝食の後、また僕たちは、カトックがいる教会へ向かった。
「昨日はあたしが案内したけど、一度で十分だろ?」
ということで、今日はリーゼル抜きだ。マヌエラも含めた、六人のカトック隊で出かける形になった。
『ただしカトック隊といっても、あくまでもマヌエラは暫定的なメンバーだけどな』
苦笑気味のダイゴロー。
マヌエラにしてみれば、カトックに対して、特に強い興味はないはず。これが仕事と思って、同行してくれるのだろう。本当は、久しぶりの従姉妹と一緒に過ごして、旧交を温めたいところだろうに。
案内役ということで一応、マヌエラはリーゼルから簡単な地図を渡されている。昨日も訪れたばかりの教会だが、行きの時点で夕方の遅い時間であり、帰りは暗くなっていた。朝になれば途中の景色も違って見えて、少し迷うかもしれない、と配慮してくれたのだ。
そう考えてしまうくらいに、明るい朝だった。空はどこまでも青く、見上げるだけで、心まで晴れ渡りそうだ。
『ここは田舎だから空気もきれいだ、ってことだな!』
そこまでアーベントロートを田舎扱いするのは、さすがに失礼な気がする。規模が小さいというだけで、ここだって『街』であり、そもそも都会から離れた僻地ではないのだから。
……と、頭では理解しているのだけれど。
心情的には、ダイゴローの言葉もわかる、と思うのだった。
僕たちが泊めてもらっている家は、郊外にある農園だ。隣近所――といってもかなり離れているが――の家も、農業を営んでいるのだろう。そこまでは昨日も見てとれた点だが、こうして明るい朝の日差しの下で眺めると、さらに見えてくる部分もあった。
どこの農家も野菜を栽培しているだけで、畜産に励むところはないようなのだ。つまり、昨日のディナーに出てきた牛や豚は、この辺りの特産物ではなく、普通にお店から購入したものだったに違いない。
……などと考えていると、
『アルマじゃないが、だんだんバルトルトの頭ん中でも、食べ物の占める割合が増えてきたなあ』
ダイゴローが、僕を面白がるのだった。
地図を持つマヌエラが先頭を歩いていたこともあり、僕たちは特に迷うこともなく……。
やがて、目的の教会が見えてきた。
昨日はこの辺りが街の中心だと考えて、その割には建物と建物の間隔が広いと感じていたが、その認識は誤っていたようだ。
夕方遅くと違って、この時間帯ならば、少し先の景色もよく見える。どうやら、教会を越えた向こう側のエリアが、アーベントロートの中心街らしい。
そちらまで行けば、ある程度は人々の往来も増えて、それなりの活気を感じる。商店街と呼ぶには大袈裟だが、立派なお店も、いくつか視界に入ってきた。昨日は既に閉店していたところも、今朝は開いているようだ。
そんな商店が掲げる看板の一つを目ざとく見つけて、強く惹き付けられたのがアルマだった。
「あれって、ケーキ屋さんかな? 美味しそうー!」
目をキラキラさせて叫ぶ彼女に対して、
「朝御飯、さっき食べたばかりでしょう?」
「私たちの行き先、そっちじゃないからね」
クリスタとニーナが、二人がかりで注意する。ニーナに至っては、腕を伸ばして、アルマの首根っこを掴むほどだった。
明後日の方向へ走り出さないよう、アルマを引っ張るニーナを見ていると、なんだか昨日とは別人みたいだ。昨日の落ち込み具合は感じられず、いつものニーナのようで、僕は懐かしさすら覚えるくらいだった。
昨日は礼拝堂の奥から出てきたカトックだが、今朝は違っていた。
僕たちは建物の中に入る必要もなく、彼に会えたのだ。カトックは教会の庭先で、何か作業をしていたのだから。
「カトック!」
「おや、また来たのですね。おはようございます」
駆け寄るニーナに対して、他人行儀な笑顔を向けるカトック。
昨日の鎧姿とは異なり、ゆったりとしたズボンとシャツに、農夫が被るような帽子。今日の彼は、冒険者ではなく、完全に市井の人に見えた。
そんなカトックに対して、親しみを込めた微笑みと口調で、ニーナが問いかける。
「何してるの?」
「今日は自警団の予定もないのでね。こうして、庭の手入れをしています」
なるほど、よく見れば、彼が手にしているのはガーデニング用の刃物。剪定ばさみと呼ばれる道具だった。
「あれ? カトックに、そんな趣味あったっけ?」
「いやいや、趣味というより……」
小首を傾げたニーナに、カトックは苦笑いを浮かべる。
「……庭師の真似事ですよ。ほら、私は、この教会でお世話になっている立場ですからね。少しでも恩を返さないといけません」
『つまり、教会の下男ってことか。なんだい、やっぱり、そういう身分じゃねえか』
途中の馬車の中で、マヌエラがカトックについて「教会の下働きみたいな話かと思ったが、違うらしい」と言っていたのを、ダイゴローは思い出したのだろう。
チラッと彼女の方を見ると、僕の視線の意味に気づいたらしく、「あたしゃ知らないよ」と言わんばかりのポーズで、マヌエラは肩をすくめてみせる。
一方、ニーナはカトックの言葉に、違う反応を示していた。
「そうだよね! きちんと恩返ししてからじゃないと、この街から立ち去れないもんね!」
彼の発言をそのような意味で受け取ったのは、彼女一人だったに違いない。
カトックの表情が、少しだけ悲しげなものに変わる。それはニーナの解釈を否定する顔のように、僕には思えた。
しかし、ニーナは気づかないのか、あるいは、気づいた上で無視しているのか。
「だったら、私たちも手伝うよ! その方が早く終わるでしょう?」
と、明るく提案するのだった。
「冒険者のみなさんに、庭仕事の手伝いなんてさせるわけには……。しかも、この街の者でもない、あなた方に……」
遠慮がちに身を引くカトックに対して。
今度は、カーリンとクリスタが歩み寄った。
「あなただって、かつては冒険者だったのだ。いや、今でも冒険者のようなものだろう? 街の自警団のリーダーというのであれば」
「遠慮することないわ。私たちの仲ですもの。あなたは忘れているでしょうけど、私たちカトック隊のリーダーだったのよ。昨日も言ったように」
二人に言われて、カトックの態度が軟化する。
「ハハハ……。そういえば、あなた方は、今でも『カトック隊』と名乗っているのですね。それでは、お言葉に甘えて……」
「うん! 何からやったらいい? その庭木の形を整えたらいいの?」
ニーナは、カトックの手から剪定ばさみを奪い取りそうな勢いだ。
微笑ましく見守っていると、ポンと背中を押される。振り返ると、マヌエラだった。
「ほら、あんたたちも行きなよ」
マヌエラが促したのは、僕だけではない。反対側の手は、アルマの背中にあてがわれていた。
軽く顔を見合わせてから、僕とアルマも、カトックを取り巻く輪に入ろうと歩き出したのだが……。
ほんの二、三歩、踏み出しただけで、二人とも足が止まる。
背後から聞こえてきた物音と叫び声が、ただならぬ雰囲気だったのだ。
「カトックさん! 大変だ!」
教会に駆け込んできたのは、息を切らした男。カトックの姿を目にした途端、膝に手をついて、ゼーゼーと全身で呼吸し始める。
カトックと同じか、少し年上くらいだろう。濃紺の皮鎧に身を包んでいるが、冒険者ではなかった。鎧の着こなし具合だけでなく、背中に薄手の盾を背負っていたり、手にした武器が農作業用の鉈だったりするのが、そう感じられる根拠になっていた。
おそらく、自警団の一人に違いない。
「おや、ブルーノさん。どうしました、そんなに慌てて?」
カトックの声にも、仲間に対する親近感が含まれていた。それは、相手を落ち着かせるような、優しい響きでもあったが……。
男は首を横に振りながら、目を見開いて叫ぶ。
「一大事だよ、カトックさん! また現れたんだ、モンスターが! このアーベントロートの街に!」
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