村の中へ逃げ込んでも、普通ならば、問題は解決しないはず。
依頼されて討伐しに来たドライシュターン隊の三人以外にも、ゴブリンのギギをよく思っていない者はいる。今までだってギギは、武器を持った村人に追い回されたのだ。だから村の中に留まる限り、彼らから危害を加えられる可能性があった。
つまり、村の外へ逃がす必要があるのだ。
その意味では、入り口の広場を押さえられたのは、困った事態だが……。
幸い、例の馬小屋がある。村の北の外れまで行き、転移魔法陣を使えば、普通の出入り口を通らずとも、村から脱出できるのだった。
だからアルマは、ゴブリンを連れて、そちらへ向かっているはず。僕が走り出した時点で、既にアルマたちの姿は視界から消えていたが、行先の見当がついたので、追うのは簡単だった。
おそらく単純な足の速さを比べても、アルマより僕の方が上だろう。しかも彼女はモンスターと一緒。実際、全速力で少し走っただけで、アルマとゴブリンの背中が見えてきた。
「おーい、待ってくれ! 僕も一緒に行くよ!」
いったん止まってもらおうと思って、僕は大声で呼びかける。
通りを歩く村人の目もあるので、あまり大きな声で叫ぶのは恥ずかしい気もするが、そんなことを言っていられる状況ではなかった。
後ろから追いかけるより、きちんと合流して、アルマやゴブリンと一緒に行動したいのだ。
『お前、もう疲れたんだろ? ここまで短距離走のペースで走ってきたもんなあ。でも、まだまだ目的地は遠い。マラソンみたいなもんだ』
ダイゴローは僕の中にいるだけあって、体力や肉体の状態をよく把握している。茶化している口調だが、全く冗談ではなかった。
とりあえず、僕の声はアルマに届いたらしい。彼女は足を止めて振り返り、
「バルトルトくん……? あっ!」
こちらを視認したはずなのに、なぜか再び走り出してしまった。まるで、仲間ではなく敵の姿を見たかのような勢いで。
「アルマ? どうして……」
彼女とゴブリンが止まったのに合わせて、僕も止まりかけたのだ。その状態からまた走り出すというのは、いっそう辛い。もう足が勝手に、動かなくなりそうだった。
僕の不満の声に対して、アルマもゴブリンも、今度は止まらない。走りながらチラリと振り返るだけだ。
「バルトルトくん! 後ろ、後ろ!」
「後ろ、って……?」
怪訝に思いながら、僕も首を後方へ向けてみる。
すると、視界に入ってきたのは……。
「追いついたぞ! 俺の獲物だ!」
ドライシュターン隊の一人が、恐るべき速さで迫り来る光景だった。
筋骨隆々とした、青い軽装鎧の武闘家だ。カーリンと戦っていたはずなのに、僕たちを追ってきたということは……。
彼女を退けた、ということだ!
『まさかカーリンが突破されるとは……。でも、こういう事態もクリスタは想定してたからこそ、お前をアルマたちの護衛につかせたんだろ?』
ダイゴローの言葉で、僕は自分の役目を思い出す。特に、クリスタの期待は裏切れない!
「アルマ! この場は僕に任せて、先に行って!」
「うん! バルトルトくん、頼んだよ!」
短く言葉を交わしてから、その場にストップ。アルマとゴブリンの姿が小さくなる中、青い武闘家と対峙するために、回れ右をする。
『おお! 一度は言ってみたいセリフ、ナンバーワンだぜ! 「ここは俺に任せて先に行け」ってやつじゃねえか!」
ダイゴローが揶揄する間に、僕に合わせて、武闘家も走るのを止めていた。
「今度はお前が相手か? 立ち塞がるなら、容赦はせんぞ!」
拳を握りしめて、構える武闘家。
応じるように、僕もショートソードを腰から引き抜いた。
彼我の距離は数メートル。
往来の真ん中で冒険者二人が争う様子を見せ始めたので、通行人たちは、巻き込まれたら大変と思ったらしい。蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
「槍使いの女は、なかなかの相手だったが……。さて、お前はどうだ?」
青い武闘家は軽口を叩きながら、すり足でジリジリと、少しずつ距離を縮めてくる。
『一気に攻めてこないのは、バルトルトを警戒してるからだろうな。足止めに失敗したとはいえ、カーリンは決して弱くない。お前も同じような力量じゃないか、って過大評価されてるらしいぞ?』
そう分析するダイゴロー。
ならば、相手が誤解しているうちに……。
「先手必勝!」
大上段に構えて、僕は斬りかかった。
本当は対人戦で刃物は使いたくないのだが、相手はカーリンをも凌ぐほどの強者だ。僕の斬撃くらいは軽くいなすだろう、という信頼があった。
「何だ? ずいぶんと大振りのようだが……」
不思議そうな顔で、ひらりとかわす武闘家。あまりにも避けやすい攻撃だから、フェイントではないかと疑っているようだ。
すぐさま僕は剣を戻して、二の太刀、三の太刀を入れていく。やはり武闘家はこれをかわすが、
「その程度ならば……!」
後ろへステップすると同時に、彼の手は反対に動いた。
その素早さが故に『動いた』としか僕は認識できず、何をされたか理解できたのは、手の甲に強烈な痛みを感じて、武器を取り落とした時だった。
『チョップで叩き落とされたのか!』
ダイゴローが騒ぐ間に、今度はパンチが目前に迫っていた。
「……!」
体を捻って避けながら、僕も拳を突き出す!
カウンター気味の一撃であり、これが決まれば、大きなダメージを与えられたはず。実際には、当然のようにかわされてしまったが、武闘家の顔色を変えるくらいの効果はあった。
「ほう。やはり剣戟はフェイントだったか。そんな格好してるが、お前、本当は武闘家だな?」
軽口と共に繰り出されるパンチの連打。
僕も左右の拳で応じる。相手の勘違いに合わせたつもりではなく、武器を拾う暇がない以上、他に手がなかったからだ。
「いいぞ! やはり己の肉体こそが一番の武器! 血湧き肉躍るというものだ!」
こちらの事情も知らずに、あちらは歓喜の表情で、殴り合いを楽しんでいる。
『いいじゃねえか。こっちの目的は相手の足止め、つまり時間稼ぎだ。このまま殴り合っておけば、アルマとゴブリンが逃げるには十分だろ?』
理屈としては、ダイゴローの言う通り。
だが、カーリンを倒すほどの武闘家と、僕が体術で対等に渡り合えるはずもなく……。
「しょせん、この程度か」
もう飽きた、と言わんばかりの小さな呟き。
同時に、僕の口からは呻き声が漏れる。
「ぐふっ!」
腹に強烈な一撃を叩き込まれたのだ。
パンチに気を取られていた隙に、回し蹴りを食らってしまったらしい。
蹴り飛ばされた僕は、その場に踏み止まることも出来ず……。
近くの民家の生垣に、頭から突っ込んでいた。ズボッとはまり込むどころか、生垣の低木を薙ぎ倒して突き抜けて、その家の庭に出てしまうほどの勢いだった。
『石塀じゃなくて良かったな。大怪我してたところだぜ』
その点は、不幸中の幸いだった。この勢いで壁に叩きつけられていたら、どうなったことやら。
とりあえず立ち上がった僕は、この家に迷惑かけたのを謝るつもりで、周囲を見回すが……。
庭には、住民の姿は見えない。建物の中にいるのはチラリと見えたが、すぐに家中の窓をバタンと閉めてしまったので――ガラス窓だけでなく鎧戸まで一緒に閉ざすほどなので――、どうやら関わり合いになりたくないらしい。
「申し訳ない……」
聞こえないのを承知で呟いてから、庭を出ていくつもりで、体の向きを戻す。半壊した生垣越しに、青い武闘家が走り去るのが見えた。
「まずい!」
思わず叫んでしまった。
少しの時間は稼げたはずだが、あれだけでは十分ではないかもしれない。アルマたちは追いつかれてしまうのではないだろうか。僕もすぐに追わないと……。
『待て、バルトルト。このまま追いかけても、また軽くあしらわれるだけだぞ』
慌てる僕に、ダイゴローがストップをかける。
『一応、生垣があるんで、通りの方からバルトルトの姿は見えないはず。ここの住民は家に閉じこもって窓も閉めてるから、やっぱりお前の姿は見えていない。つまり……』
そこまで聞けば十分だった。
今のままでは青い武闘家に太刀打ち出来ないのだから、今より強くなって立ち向かえばいい。そして僕には、一時的にパワーアップする手段がある。
僕は思わず、笑みを浮かべながら……。
懐から銀色のアイマスクを取り出して、顔に当てるのだった。
「変身! 転生戦士ダイゴロー!」
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