「はい、わかりました。もちろん、その条件で構いません」
内心ではどう思っているのか知らないが、表面上は笑顔で応じるニーナ。
一方、ゲオルクの方は、気持ちが表に出てしまう。憮然とした表情になったが、自分では気づいていないらしく、その顔のままで告げる。
「こちらも、了解しました」
「うむ。そう言ってもらえると、わしも一安心だ」
ゲオルクの態度には見て見ぬ振りを決め込んで、ベッセル男爵は、満足げな声を上げる。
こうして、先にお金の話を済ませた上で、
「では、問題の泉に関して、わしが知るところを話そう。事の起こりは、行政府の大臣の一人が突然、わしに突きつけてきた話であり……」
ようやく彼は、事情説明を始めるのだった。
「『回復の森』の泉が汚れている、という訴えが、市民から届いております」
その報告が最初に持ち出されたのは、行政府の役人が一堂に会した、定例会議の席上だったという。
寝耳に水な話であり、ベッセル男爵としては「そういう話は前もってわしを通してくれ」と文句を言いたいくらいだった。しかし発言者である下級役人は、ベッセル男爵とは派閥が違う大臣の部下。ならば仕方がない、と自分を納得させる。
問題の大臣が、嫌味ったらしく口を開いた。
「『回復の森』といえば、ベッセル男爵の担当エリアでしたな? その件の調査、どうなっておりますか?」
「申し訳ありません。至急、対処いたしますので、しばらくお待ちください」
「ふむ。では、次回の会議で報告していただけますかな? 水の汚れくらい、簡単に解決できる問題でしょうから」
その場では肯定も否定も出来ず……。
会議が終わり次第、ベッセル男爵は、配下の者を走らせた。
訴え出た市民――森を使う冒険者――から改めて話を聞いても、ただ「いつものように回復のために泉を利用したが、体力も魔力も戻らなかった。そもそも水の色が淀んでいる」というだけで、それ以上の情報は得られなかった。
だが、さらに冒険者たちから話を聞いて回るうちに、「回復するどころか、逆に気分が悪くなった」という者の声も入ってくるようになり……。
「この段階で、わしは気が付いたのだ。これは冒険者に関するトラブルであり、行政府で扱う案件ではない。むしろ、冒険者組合で解決すべき問題であろう、と」
しかし冒険者組合に話を持ちかけても、組合側の対応は「『回復の森』の管理は街にお任せしています」の一辺倒。
「酷い話だと思わんか? 確かに名目上は、わしが管理を担当しておる。しかし『回復の森』はアーベラインの街の外にある。完全に、冒険者のテリトリーであろう? そんな場所で起こった事件など、わしにはどうしようもないではないか!」
かといって放置しておけば、ベッセル男爵の失態となってしまう。
かくして、冒険者組合との押し問答の結果、組合を通じて冒険者に依頼することを提案されて……。
二つの冒険者パーティーが、ベッセル男爵と対面しているのだった。
「一応、断っておくが。この依頼は、行政府の公費で行っているものではない。わしの私費で行われるものだ。その点しっかり理解した上で、仕事に励むように」
と言い放って。
ベッセル男爵は、この会談を切り上げた。
カトック隊もエグモント団も、屋敷の正門までは帰り道が一緒だ。その間、互いに言葉を交わさなかったが、
「バルトルトのところには負けないからな!」
門を出た途端、捨て台詞を吐くゲオルク。そして彼らは、足早に立ち去っていった。
僕たちも歩き出したところで、頭の中のダイゴローが話しかけてくる。
『あの貴族、最後まで報酬にこだわってたじゃないか』
去り際のベッセル男爵の発言を、好意的に受け取ると……。
行政府の予算から出ているわけではないから、ベッセル男爵の判断一つで報酬額を増やすことも可能。つまり、彼を満足させればボーナスも出る仕事だから頑張れ、という意味だろうか。
『甘いぞ、バルトルト。ありゃあ単に金への執着が強いだけだ』
だとしたら、わざわざ自腹で冒険者を雇わないはずだが……。
『いや、それでも冒険者を雇わざるを得ないほど、行き詰まったんだろ。部下の役人だけでは解決できない、と考えたのさ』
確かに一般人では、うようよモンスターがいるような森の奥まで立ち入るのは、ちょっと厳しいかもしれない。
領主や王様ならば直属の騎士を抱えているが、貴族とはいえ男爵程度では、そんな手駒もほとんどいないのだろうし……。
僕がダイゴローと脳内会話を繰り広げている間、他のみんなも、ベッセル男爵の発言を振り返っていた。
「泉を回復させたパーティーにだけ、前金も含めた報酬を支払う、という言い方は……。私たちのどちらか一方に払う、と言っているようで、でも微妙に違うみたいね」
「うん、クリスタの言う通りだね。『泉を回復させたパーティーにだけ』ということは、両方失敗したら、どっちにも一切払いません、って意味だと思う。なんだか癪に触っちゃうね」
カトック隊としては、この依頼の件がなくても『回復の森』について調べるつもりだったはず。それでも「無料働きを押し付けよう」というベッセル男爵の魂胆は、どうも気にくわないらしい。
クリスタとニーナの指摘は、僕としては、言われて初めて気づく点だった。
なるほど、カトック隊でもエグモント団でも問題を解決できない場合は、両方ともテスト失格ということ。つまり雇うに値しない冒険者だった、ということで、また別の冒険者パーティーを探すつもりなのだろう。
『でもベッセル男爵にしてみれば、それほど悠長に構えてられる案件でもなさそうだけどな』
と、ダイゴローは少し僕とは意見が違うようだ。
改めて、仲間たちの様子を見ると。
アルマはクリスタとニーナの発言に対して、わかったようなわからないような顔をしていたが……。
カーリンはハッキリと頷きながら、しかも珍しく口を開いた。
「それで、具体的には、これからどうするつもりだ? なんとなく街の中心方向へ歩き出したが、俺たちは今、どこへ向かっている?」
「そう、それなんだけど……」
足を止めないまま、ニーナが、少し状況をまとめる。
結局、わざわざ貴族の屋敷まで来たが、あまり有益な情報は得られなかった。
すでに僕たちも現在の泉の状態は目にしており、新たな情報としては、実際に利用してみた結果くらいだろう。
「最初が『体力も魔力も戻らなかった』という話で、その後から『逆に気分が悪くなった』という冒険者が出てきたのよね。これってつまり、ある日いきなり悪化したんじゃなくて、ドンドン泉の状態は酷くなってる、ってことよね?」
「そう思うわ。その辺りのこと、もう少し調べてみるべきでしょうね」
クリスタがニーナに同意を示し、アルマやカーリンも頷いてみせる。僕としても納得できる内容だったので、同じく首を縦に振った。
「それなら、私たちの方でも一応、その冒険者たちから直接、話を聞いておきたいけど……」
泉の異変に関して証言した者たちの名前は、紙に記されたリストの形で、カトック隊もエグモント団も渡されている。
「……今の時間は、どうせ冒険に出かけてるだろうし、会いに行っても留守だよね。だから、そっちは夕方以降になるわ」
と、方針を決定するリーダー。
ならば、今から夕方までは……?
僕は疑問に思ったが、それに対する答えも、すぐにニーナの口から出てきた。
「とりあえず夕方までは、『回復の森』に関する噂を街で集めましょう。このリストの冒険者以外でも、何か知ってる人いるだろうし。……いいわね? じゃあ、決まり!」
一同の顔を見回して、明るく告げるニーナだった。
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