「いきなり! どうして?」
アルマの悲痛な叫び。
彼女のジョブはテイマーだ。しかも、冒険者学院を若くして卒業したほど、才能あるテイマーなのだ。普通これくらいの距離までモンスターが近づけば気配を察することが出来るはず、という自負があったのだろう。
だが今は「どうして」を考えている場合ではなかった。
「カトック、大変! ここは私たちにも手伝わせて!」
現実的な対処として、ニーナはそう言いながら剣を抜く。カーリンも既に槍を構えていたし、僕も彼女たちに倣って、ショートソードに手をかけた。
ところがカトックは、不思議なことを言い出した。
「手伝わせる? 何を勘違いしているのです?」
優しい笑顔を浮かべて、穏やかな口調だが……。
「手伝わせるも何も、最初からこのゴブリンたちは、あなた方のために用意したのですよ」
カトックの言葉が合図だったかのように、自警団の者たちが、斧や鎌や鉈など、それぞれの武器を手にする。
ただし、その矛先は周囲のモンスターではなく、僕たちカトック隊に向けられていた。
「ちょっと待って! どういうつもり?」
「まだわからないのですか、ニーナさん」
カトックの表情に、呆れ顔が混じる。
「言ったでしょう、ここならば相応しい場所だ、って。あなた方を始末する場所ですよ」
「えっ……」
絶句するニーナ。
僕も同様に驚いた。
この街から立ち去る気がカトックにない以上、僕たちを鬱陶しく思っているのは薄々わかっていた。しかし、だからといって、殺してしまおうとまで考えるとは……。
一皮剥けば、その内面は、これほど残忍な人物だったのだろうか?
あるいは、記憶を失うと同時に、すっかり人格まで変わってしまったのだろうか?
混乱した頭で僕が考える間も、カトックの言葉は続いていた。
「本当に厄介な存在ですね、あなた方冒険者というものは」
わざとらしいくらい大袈裟に、困った顔を見せるカトック。
「精神も肉体も、冒険者は普通の人間より強靭なのでしょう? とはいえ、しょせん肉体の頑丈さはモンスターの足元にも及ばない。問題は精神力の方です。私の術が通用せず、全く洗脳できないとはねえ……」
「やっぱり洗脳だったね」
すかさず反応したのは、クリスタだった。
カトックの表情が変わる。
「ほう、面白い。ニーナさんと違って、少しは頭の回る人間もいるようだ」
ニーナに対する侮蔑は無視して、クリスタが続ける。
「おかしいと思ったのよ。あなたを糾弾していた人が、逆にあなたの信者になった、という話を聞いて」
初めてアーベントロートがモンスターに襲われた際、元凶としてカトックをジルバが責めたという件だ。
確かに、そのエピソードをマヌエラが馬車の中で披露した際、クリスタは思うところあったらしく「面白い話ね」と言っていた。
こちらに来た後、リーゼルの口から再び同じ話が出た時も、クリスタが真っ先に反応していたような気がする。
『かなり早い段階から、クリスタはカトックを怪しんでたようだな』
そう、クリスタはカトックを疑っていたのだ。僕の部屋まで来て、疑惑について話し合ったこともあり……。「この街にいるカトックは、本当に私たちのカトックなのかしら」とまで言っていたではないか!
今朝、僕は街の中を歩きながら、クリスタの疑念についてチラッと思い浮かべたはずだったのに……。
『どうやらバルトルト、いつの間にか忘れてたな?』
もともとカトックは野蛮だったとか、記憶喪失のせいで人格まで変わったとか。そんな可能性よりも、目の前にいるカトックは偽物だという説の方が、素直な考え方に違いない。
理由はわからないが、今の今まで、この考えが僕の頭から抜け落ちていた……。
『お前ってさ、魔法使いとしては低レベルだから、冒険者にしては精神力のステータスも低いんだろ? だったら、バルトルトには少し洗脳が効いてた、って考えてもおかしくないぜ』
ダイゴローの解説は、妙に納得できるものだった。
冒険者のステータスは数値化されないので、自分でも実際のレベルはわからない。でも僕の精神力が高くないのは、言われるまでもなく自覚していた。
だから洗脳の影響があったのかもしれない。例えば、クリスタから疑惑を聞かされたのは一昨日であり、昨夜の暴動はそれより後だったのに、あの場に現れたカトックから、僕は不思議なカリスマを感じてしまっていた。
それに一昨日といえば、モンスター襲撃事件だ。あまり戦っていないにもかかわらず、妙な疲労感が残っていたではないか。おそらく、あの場でカトックが僕たち冒険者に洗脳を試みており、無意識のうちに対抗した結果、僕の精神力が消耗していたのだろう。
「ジルバさんは、とても洗脳されやすい人でしたからね。一般市民の代表みたいなものです」
口元をわずかに上げて苦笑しながら、カトックはジルバに視線を向ける。
本人の耳に入る形で『洗脳』という言葉が出てきても、ジルバは全く問題にしなかった。自警団の者たちにも、特に騒ぐ様子は見られない。
『こいつら全員、カトックの術にかかって、もう操り人形なんだろうよ』
途中で言葉を交わしたロルフは、普通に彼自身の意思で会話していたように見えたが……。
『それを言い出したら、ジルバだってそうだろ。あいつ自身の意識で行動してるみたいに見えたぜ』
確かにそうだ。洗脳されている本人は、洗脳されているとは認識できないのだ。
例えば、昨夜の襲撃事件において、ジルバは色々と語っていた。カトックに対する見方が変わったのも「自分で気づいたから」と言っていたが、実は『自分で』ではなく、全てカトックに吹き込まれた話だったらしい。
「従順な自警団とは対照的に……」
カトックが、再び僕たちの方を見る。
「……あなた方冒険者には、私も困らされましたよ。洗脳が無理ならば、人間がやるように説得してみよう。早く街から出ていってもらおう。そう考えて、あなた方は不要だと見せつける意味で、街にモンスターまで呼び寄せたのですが……」
『何が「人間がやるように」だ、聞いて呆れる。いくらファンタジーな世界でも、人間はモンスターを呼び寄せたりしないだろ?』
ダイゴローのツッコミは、もちろんカトックには聞こえない。
だが、他にも彼の言葉に反応する者がいた。
「つまり、モンスター襲撃事件はマッチポンプだったのね」
クリスタだ。
先ほどカトックからも「頭が回る」と言われただけあって、彼女は真っ向から指摘した。
「一度目の襲撃は、そこであなたが活躍して、あなたの有用性を街の人々にアピールするため。二度目は、あなたと自警団だけで戦えることを、私たちに見せつけるため……」
「その通りです。クリスタさんは理解が早くて、助かりますね」
やや慇懃無礼な口調で、あっさり認めるカトック。
こうして真相がわかってみれば、そもそも最初のジルバの「カトックが街に来たからモンスターも来た」は――その理屈は別にして――結果的には正しかったし、街の人々の「カトック隊のせいでモンスターが来た」も間違っていなかったのだ。僕たちが来なければ、カトックが再度モンスターを召喚することはなかったのだから。
「あれだけハッキリと見せてあげたのに、あなた方は――特にニーナさんは――まだわかってくれませんでしたからね。私としても、少々乱暴な手段を取らざるを得なくなりました」
「それが街の人たちを使った暴動かい」
今度は、マヌエラが言葉を挟む。
「リーゼルやフランツは大丈夫だったみたいだけど……。自警団だけでなく、他の人たちまで洗脳したんだね? その上で、あたしたちの泊まる家まで差し向けて……」
「違いますよ。どうやらマヌエラさんは、クリスタさんほど頭が回らないらしい。ニーナさん側ですね」
彼女の発言の途中で割り込んで、カトックは大袈裟に首を横に振った。
「私の言う『乱暴な手段』とは、こうして直接あなた方を始末すること。一方、街の方々が暴徒化したのは、彼ら自身の意思です。もっとも、私の可愛い手駒たちに影響された部分はあるでしょうけどね」
チラッと自警団に目を向けるカトックに対して、再びクリスタが質問する。
「どうして? 洗脳できるのならば、街中まとめて洗脳した方が簡単なのに……」
「クリスタさんまで、その程度の理解ですか? これは嘆かわしい」
天を仰ぐような仕草を見せてから、カトックは続けた。
「それでは意味がないのです。いくら何でも、世界中の人間を洗脳するのは難しいですからね。手駒にする分だけ洗脳して、残りは普通に支配できるように……」
「まさか! あんた、世界征服なんて企んでるのかい? とんだ誇大妄想だ。さすがに無理だよ!」
それまで厳しい顔をしていたマヌエラが、カトックを笑い飛ばす。
しかし。
「マヌエラさんは、見当外れな発言ばかりですねえ。それは私ではないですよ。私はモデルケースとして、この街一つを使って、人間支配のシミュレートをしていただけです。この世界全体を治めるべきは……」
カトックはニヤリと笑って、驚くべき言葉を口にするのだった。
「我らが主人、偉大なる魔王様です」
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